第3章 中国はなぜ近代科学に向かわなかったのか
本章の目的:西欧と中国文明の比較を通じて、近代科学が特定の社会的・倫理的条件下でしか発展しえなかった理由を考察する。
中国文明は、清代まで高度な技術体系と行政制度を誇り、天文学、暦学、土木工学、製鉄技術などの分野で世界の先端を行っていた。しかし、17世紀以降の西欧における自然科学革命(Scientific Revolution)に比べ、近代科学は中国では体系的に発展しなかった。この現象に関して、学術的には複数の見解が存在する(Needham, 1954; Elman, 2000)。
一つの理由は、中国の知識体系が実用的・経験的な技術に偏っていた点である。官僚制度や科挙制度を通じて知識は倫理的・政治的価値と結びつけられ、自然現象を体系的に理論化する動機が限定されていた(Elman, 2000, pp. 98–104)。科学的理論よりも、儒教倫理に基づく社会秩序や行政効率が優先されたことが、理論科学の発展を抑制した可能性がある。
また、宗教的・哲学的要因も指摘される。西欧ではキリスト教神学の枠組みの中で、神の秩序を自然の法則として探求する動機が生まれた。例えば、ガリレオやニュートンの研究は、神の創造秩序を解明する行為と結びつけられていた(Brooke, 1991)。一方、中国では宇宙や自然の秩序は天人合一や陰陽五行思想に基づく倫理的・象徴的体系に組み込まれ、自然法則の抽象的理論化には結びつきにくかった。
経済的・社会的条件も無視できない。中国は長期にわたり単一帝国として統一され、中央集権的官僚制が社会安定を確保していた。この安定は短期的には繁栄をもたらすが、科学的革新や制度的競争を促す刺激を欠く構造でもあった(Spence, 1990)。技術革新は進行したが、近代科学に不可欠な仮説検証・再現可能性・論理体系化が制度的に必要とされる動機は希薄であったのである。
これらの要素を総合すると、中国が近代科学に向かわなかったのは、単一の原因によるものではなく、倫理・宗教・制度・社会構造の複合的要因による結果である。すなわち、科学発展は、単に技術や知識の蓄積だけでなく、倫理・宗教・制度の均衡が特定の形で存在することによって初めて可能になる。西欧の近代科学革命は、この条件が偶然的に結合した結果として生まれた現象である。
この分析は、日本の近代化を理解する上でも示唆的である。西欧の科学技術を受け入れつつ、宗教的倫理を拒否した日本は、どのように倫理的基盤を形成し、科学・技術を制度内に組み込んだのかを、次章で考察する。
脚注:
- Needham, J. (1954). Science and Civilisation in China. Cambridge: Cambridge University Press.
- Elman, B.A. (2000). A Cultural History of Civil Examinations in Late Imperial China. Berkeley: University of California Press.
- Brooke, J.H. (1991). Science and Religion: Some Historical Perspectives. Cambridge: Cambridge University Press.
- Spence, J.D. (1990). The Search for Modern China. New York: W.W. Norton.
