Ⅰ.ウェーバー以後:〈精神〉と〈制度〉をどう結び直すか
まず重要なのは、ウェーバー自身も実はかなり慎重だった、という点です。
- ウェーバーは
「プロテスタント倫理が資本主義を生んだ」
とは単純には言っていない - 正確には
「合理的資本主義が成立するための〈精神的土壌〉が、特定の宗教倫理と親和的だった」
という、相関関係の議論
ここから得られるヒントは、
精神(エートス)は、単独では経済体制を生まないが、
制度が芽吹く条件が整ったとき、成長の方向を決定づける
という考え方です。
つまり
- カトリック圏/プロテスタント圏の違い
- 日本/中国/朝鮮の違い
は、
「精神だけ」「制度だけ」で説明できない
→ 両者の組み合わせの歴史的偶然性をどう捉えるかが鍵になります。
Ⅱ.カトリック圏でも儲かったのに「資本主義化」しなかった理由
- ポルトガル
- スペイン
は、まさにウェーバー問題の試金石です。
1.「儲けた」ことと「資本主義」は別物
ここで重要な区別は:
| 要素 | 帝国的略奪 | 資本主義 |
|---|---|---|
| 富の獲得 | 外部から奪う | 内部で再生産 |
| 利潤の扱い | 消費・浪費・身分的威信 | 再投資 |
| 主体 | 国家・王権 | 市民・企業 |
| 時間感覚 | 一時的 | 長期的・累積的 |
スペイン・ポルトガルは
**「資本主義以前の富の論理」**にとどまった。
- 金銀は「神から与えられた恩寵」
- 貴族的消費・戦争・教会建設へ
- 商業・金融を担う市民層が弱い
2.宗教というより「身分秩序」の問題
カトリックかどうか以上に、
- 貴族身分が経済活動を軽蔑
- 商業=卑しい仕事
- 労働=罰
という中世的価値観が強く残った。
一方でオランダ・イギリスでは:
- 市民が政治的発言権を持つ
- 商業が「尊敬される活動」
- 利潤追求が道徳的に正当化される
👉 宗教は、それを正当化する言語を提供したにすぎない
Ⅲ.オランダ・フランス・イギリスの差はどこから来たか
ここは「不明」と感じられるのが自然です。
いくつかの視点を重ねると、輪郭が出ます。
1.国家と市場の距離
| 国 | 国家と市場 |
|---|---|
| フランス | 国家主導(重商主義) |
| オランダ | 商人共和国 |
| イギリス | 国家と市民の妥協 |
フランスは:
- 国家が強すぎて、資本を吸い上げた
- 官僚制・軍事費に再分配
オランダは:
- 商業的には先進
- 国力・軍事力が弱く、帝国競争に敗北
イギリスは:
- 国家が市場を保護するが、支配しない
- 議会制・法の安定
- 私有財産と契約の神聖化
👉 資本主義は「国家が弱すぎても、強すぎても育たない」
Ⅳ.日本の場合:勤勉・倹約は本当に「資本主義的」か?
ここはとても重要な問いです。
1.石門心学・二宮尊徳は「プロテスタント倫理」か?
似ている点:
- 勤勉
- 倹約
- 節制
- 日常生活の道徳化
しかし決定的な違いがあります。
プロテスタント倫理
- 労働は「神から与えられた召命」
- 成功は「救済の徴」
- 個人と神の直接関係
石門心学・尊徳
- 労働は「世の理」
- 富は「天理と人道の調和」
- 成功は「共同体への貢献の結果」
👉 日本の勤勉倫理は
個人主義的資本主義というより、共同体的生産倫理
2.それでも日本が資本主義化した理由
日本の特異性は:
- すでに
- 識字率が高い
- 貨幣経済が浸透
- 商人層が倫理的に承認されていた
- そこに
- 国家主導の制度移植(明治国家)
- 外圧(帝国主義の脅威)
が重なった。
👉 精神が原因というより、「制度を受け入れる抵抗が少なかった」
Ⅴ.なぜ日本では「成功者=徳の高い人」になるのか
ここは非常に日本的で、しかも現代にも続く問題です。
1.背景にある倫理構造
日本では歴史的に:
- 富=天命・徳の結果
- 貧=努力不足・徳不足
という儒教的・農本的発想が強い。
- 「正しく生きれば、報われる」
- 「報われた者は、正しかったに違いない」
👉 結果から徳を逆算する倫理
2.個人主義が弱い社会の評価原理
西欧では:
- 成功=能力・運・制度
- 徳=別次元
日本では:
- 成功=人格評価
- 経済的失敗=道徳的失敗と混同されやすい
これは:
- 共同体が人を守る代わりに
- 人格全体を評価対象にする
という構造と関係します。
