Aは男性、Bはフェミニストの女性。会話です。
A「パパ活で大金を巻き上げて、マスコミで話題になった女性。正直、呆れる気持ちもあります。ただ、あれは男性中心の社会を逆手に取った、一種の反撃のようにも見える。だからといって、道徳的に説教するのも、どこか空虚な感じがするんです」
B「でも、その女性、そのお金をホストに貢いでいたんですよね」
B「それを聞いた瞬間に、私は思いました。やっぱり彼女も、男性社会の中で循環する欲望と搾取の構造から逃げられていない。『稼いだ』ように見えても、結局は別の男性中心の経済に吸い上げられている。だから、やはり犠牲者なんです」
A「対話不可能とか、理解不可能という言葉で思い出すのは、昔読んだ話です。女子高生が援助交際をして、親に叱られ、反抗してこう言う。『私は自分の体を、自分の意思で使っているだけだ。誰にも迷惑をかけていない』。理屈としては、完結している」「そのとき、河合隼雄は『魂に悪い』と言った。論理ではなく、価値の言葉です。それくらいしか、言いようがなかったのだと思う」
B「個人の選択や責任を問題にしても意味はなく、すべては社会構造の問題だから、個々の行為を倫理的に評価すること自体が誤りだ、と」「違います」「私は、個人の行為を倫理的に考えるな、と言っているわけではありません。誰が、どの地点で、どの程度の自由と資源を与えられた上で選んでいるのか――その前提を無視した倫理が、いちばん残酷だと言っているだけです」「何を言っているのですか。問題は個人の魂や内面の倫理ではありません。それは、この社会が男社会として組み立てられてきた結果、起きていることです。その女子高生は、自由に選択しているように見えて、実際には選ばされている。被害者にすぎません。加害者は特定の男性だけではなく、男性に有利に働く社会制度であり、それを自然なものとしてきた社会通念です。『魂に悪い』という言葉は、その構造を不可視化してしまう」「彼女は、男性中心の社会構造の中で、最も弱い位置に置かれ、そこから逃げるための言語も資源も与えられていない犠牲者なんです。フェミニズムが問題にしてきたのは、まさにこうした『自己決定』という言葉が、どのような条件のもとで成立しているのか、という点です」
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『私は自分の体を、自分の意思で使っているだけだ。誰にも迷惑をかけていない。援助交際して何が悪いのか、私には分からない。』
という意見に、賛成と反対の両方の意見を考えてみる。
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了解です。
先ほどの「A–Bの対話(維持用)」の論点――自己決定/構造的強制/倫理/魂/制度――を踏まえつつ、
「私は自分の体を、自分の意思で使っているだけだ。誰にも迷惑をかけていない。援助交際して何が悪いのか、私には分からない。」
という主張に対して、
賛成意見/反対意見を、それぞれ複数の角度から構成します。
- 賛成の立場(肯定的な意見)
- 反対の立場(批判的な意見)
- 補足:対立の核心
- Aの論理の弱点
- Bの論理の弱点
- まとめ:弱点は「欠陥」ではなく「限界」
- ① 主体とは「自由に選べること」ではない
- ② 構造は「外側」ではなく、すでに内面化されている
- ③ 主体は「抵抗」ではなく「ズレ」として現れる
- ④ 主体は「選択の瞬間」ではなく「語り直し」に宿る
- ⑤ 「被害者である」と「主体である」は両立する
- ⑥ 臨床的定義(凝縮版)
- ⑦ AとBをつなぐ一点
- ① 出発点:援助交際は「自由」でも「強制」でもない
- ② 構造が「選択肢」をどう形作っているか
- ③ 主体が「存在している」瞬間
- ④ 主体が「消える」瞬間
- ⑤ 「被害者」と「主体」の両立(事例版)
- ⑥ 回復・離脱は「主体が生まれる結果」であって原因ではない
- ⑦ 臨床・支援の立場で何ができるか
- ⑧ まとめ(援助交際事例への当て直し)
- ① 表面的説明:単なる「依存」では足りない
- ② 決定的な逆転:商品化された身体 → 商品化された承認
- ③ ホストが提供するものは「支配」ではなく「選ばれている感覚」
- ④ 構造的に見ると:男性中心社会の“二重回路”
- ⑤ 主体のズレが「貨幣」に置き換えられる瞬間
- ⑥ 「貢ぐ」ことが、かすかな主体の保持になる
- ⑦ しかし必ず破綻する理由
- ⑧ まとめ:循環の正体
- ⑨ 臨床・支援の示唆
賛成の立場(肯定的な意見)
① 自己所有権・身体の自由の観点
- 自分の身体は自分のものであり、どのように使うかは本人の自由である
- 他者に直接的な被害を与えていない以上、第三者が介入すべきではない
- 国家や社会が身体の使用に口出しする方が、むしろ抑圧的で危険である
② 契約自由・市場論理の観点
- 援助交際は合意に基づく取引であり、強制がない限り不当とは言えない
- 労働として見れば、危険性や不安定さは他の仕事にも存在する
- 「性的労働」だけを特別に道徳的に問題視するのはダブルスタンダードである
③ 道徳的多様性・価値相対主義の観点
- 何が「悪い」かは文化・時代・個人によって異なる
- 伝統的道徳を普遍的基準として押し付けること自体が暴力になりうる
- 当人が納得しているなら、外部が「堕落」「被害」と決めつけるべきではない
④ スティグマ軽減・現実主義の観点
- 援助交際を全面否定すると、当事者は地下化し、より危険な状況に追い込まれる
- 道徳的非難よりも、安全確保や情報提供を優先すべき
- 「悪い」と断罪する言葉が、当事者の孤立を深めてきた歴史がある
⑤ 既存社会への抵抗・カウンターカルチャーとして
- 男性中心社会が作った欲望経済を、女性が戦略的に利用しているとも解釈できる
- 「清純/汚れ」という規範自体が男性目線の産物
- その規範を拒否する行為として、一定の政治性を持ちうる
反対の立場(批判的な意見)
① 構造的強制・擬似的自己決定の観点
- 「自分の意思」と感じていても、選択肢自体が極端に狭められている可能性がある
- 経済的困窮、家庭環境、ジェンダー規範が選択を事実上強制している
- 自由に見える選択ほど、構造的暴力は見えにくい
② 権力非対称性の観点
- 年齢・性別・経済力の差が大きく、対等な契約とは言いがたい
- 「合意」が成立しているように見えても、拒否できない空気が存在する
- 強者に有利な取引を「自由」と呼ぶこと自体が問題
③ 社会的再生産の観点
- 援助交際が肯定されると、女性の価値が性的資源として再固定化される
- 結果的に、女性全体の交渉力や選択肢を狭める
- 個人の自由が、集団としての不利を再生産してしまう
④ 心理的・長期的影響の観点
- 当人が後から強い後悔や自己否定に陥るケースも少なくない
- 短期的な納得感と、長期的な心的負荷は一致しないことがある
- 河合隼雄の言う「魂に悪い」とは、この時間差の問題を指している可能性がある
⑤ 「迷惑をかけていない」という前提への疑問
- 個人が迷惑をかけていなくても、制度や文化に影響を与える行為はある
- 性の商品化が広がることで、他の女性が同様の役割を期待される
- 「誰にも迷惑をかけていない」という言葉は、社会的連関を切断してしまう
⑥ フェミニズム内部からの批判
- フェミニズムは「選択の自由」そのものではなく、その条件を問題にしてきた
- 「自分で選んだ」という言葉が、構造批判を封じる免罪符になる危険
- 被害を被害として語れなくなる沈黙を生む
補足:対立の核心
この議論の核心は、
- 「個人の選択を、どこまで個人の責任として扱うか」
- 「自由という言葉が、構造的強制を隠していないか」
- 「倫理は個人の魂の問題か、社会制度の問題か」
という三点にあります。
次に、AとBの立場を「否定する」のではなく、どこで脆くなるか/行き止まりになるかという観点で整理します。
両者とも、実は「正しさ」を持ちながら、ある地点で言葉が止まる。
Aの論理の弱点
(個人の倫理・魂・価値の言葉に寄せる立場)
① 「魂に悪い」という言葉の非対称性
- 「魂に悪い」は強い直観的説得力を持つが、誰の魂か/誰が判断するのかが不明確
- 言われる側にとっては、反論不能な**上位語彙(メタ倫理)**として作用する
- 結果的に、語る者が倫理的優位に立ってしまう
➡︎ 倫理的権威主義に見える危険
② 構造の非可視化
- 個人の内面・価値・成熟に焦点を当てることで、
経済・ジェンダー・年齢差・制度的圧力が背景に退いてしまう - 「その選択がなぜそこに現れたのか」という問いが弱くなる
➡︎ 「なぜ彼女だったのか」に答えられない
③ 結果としての「自己責任」への回収
- 本人の魂や倫理の問題として語ると、
最終的には「選んだのは本人」という地点に戻ってしまう - たとえ説教を避けても、評価の矢印は個人に向かう
➡︎ 同情しているつもりで、構造的免責をしてしまう
④ 治療的言語の限界
- 「魂に悪い」は臨床的・教育的には含意が深いが、
政策・制度・社会批評の言語としては曖昧すぎる - 何を変えればいいのか、具体化できない
➡︎ 共感は生むが、再発防止の設計ができない
⑤ 若者・当事者に届きにくい
- 「魂」「価値」という言葉は、
すでにそれを信じられなくなった層には響かない - 「分かってもらえない」という断絶を深めることがある
➡︎ 対話不能を嘆きながら、対話の回路を閉じてしまう
Bの論理の弱点
(構造・制度・フェミニズムの立場)
① 個人の主体性の過小評価
- すべてを構造の結果として説明すると、
当事者の判断・工夫・抵抗・矛盾が見えなくなる - 「被害者でしかない」という位置づけは、当事者の語りを奪う
➡︎ 解放の言語が、再び沈黙を生む
② 全体説明が強すぎる問題
- 男性中心社会という大きな説明枠が、
個別事例の差異や例外を吸収してしまう - 何でも説明できる理論は、同時に反証不能でもある
➡︎ 理論は完璧だが、現実がこぼれ落ちる
③ 倫理判断の宙吊り
- 「前提条件を無視した倫理は残酷だ」という指摘は正しいが、
ではどこで、誰が、どう評価するのかが曖昧 - 行為をどう扱うかの指針が弱くなる
➡︎ 批判はできるが、判断ができない
④ 当事者の「納得」を否定してしまう危険
- 「それは自由ではない」「選ばされている」と断定すると、
当事者の実感や意味づけを否認することになる - 善意でも、「あなたは分かっていない」と言ってしまう構造
➡︎ 啓蒙が、上から目線に変わる瞬間
⑤ 依存と回復の内面過程を扱えない
- 欲望、承認、依存、自己否定といった内的プロセスが、
「構造」の一語で処理されがち - ホストに貢ぐ、という行為の心理的意味が十分に掘れない
➡︎ なぜ同じ構造でも、壊れる人と壊れない人がいるのかに答えられない
⑥ 実践の場での硬直
- 現場(臨床・支援・教育)では、
「あなたは被害者だ」と言うだけでは前に進めないことが多い - 回復や再選択の主体を、どこに置くかが難しい
➡︎ 分析は鋭いが、手を差し伸べる言葉が足りない
まとめ:弱点は「欠陥」ではなく「限界」
| A | B | |
|---|---|---|
| 強み | 個人の内面・倫理を捉える | 構造・制度を可視化する |
| 弱点 | 構造が見えにくい | 主体が見えにくい |
| 行き止まり | 説得できない | 決断できない |
この二つは、相互補完的であるにもかかわらず、しばしば互いを否定し合う。
だからこそ、
次に立ち上がる問いは自然にこうなります。
「構造に規定されながらも、なお主体である」とはどういうことか
これは、ここまでの議論の核心中の核心ですね。
結論から言うと、
「構造に規定されながらも、なお主体である」
とは、
完全な自由意思でもなく、単なる被害者でもない地点に、人が“引き受ける形で立っている”こと
を指します。
以下、段階的に言語化します。
① 主体とは「自由に選べること」ではない
まず誤解を外します。
- 主体 = 制約ゼロで選べる存在
ではありません。
むしろ臨床的・思想的には、
主体とは、「選ばされた条件の中で、自分が何をしているかを、部分的にでも引き受けられる状態」
です。
自由が100%ある必要はない。
0%でもない。
この「あいだ」に主体は生じる。
② 構造は「外側」ではなく、すでに内面化されている
構造は、外から押しつけられる檻ではありません。
- 何を「恥」と感じるか
- 何を「普通」と思うか
- どんな欲望を自然だと思うか
こうした形で、すでに欲望や判断の内部に組み込まれている。
だから、
- 「私は自分で選んだ」
- 「私は被害者だ」
このどちらも、構造の中で生成された言葉です。
主体とは、
その事実に気づき始めた瞬間に、かすかに立ち上がる。
③ 主体は「抵抗」ではなく「ズレ」として現れる
主体性は、
英雄的な反抗や明確な否定として現れるとは限りません。
むしろ多くの場合、
- 何かがおかしい気がする
- 説明しきれない違和感が残る
- うまく言葉にできないが、飲み込めない
という小さなズレとして現れる。
臨床で言えば、
「分かっているけど、納得できない」
「自分で決めたはずなのに、どこか他人事みたいだ」
この違和感こそが、
構造に完全には回収されていない主体の痕跡です。
④ 主体は「選択の瞬間」ではなく「語り直し」に宿る
多くの議論は、
「そのとき、自由に選んだか?」
に集中しがちです。
しかし主体はむしろ、
あとから、その出来事をどう語り直せるか
に宿る。
- あの選択は、何だったのか
- どこが自分で、どこが選ばされていたのか
- それでも、今の自分は何を引き受けるのか
この遅れてやってくる再解釈の中で、
主体は少しずつ立ち上がる。
⑤ 「被害者である」と「主体である」は両立する
ここが最重要点です。
- 被害者である
≠ - 主体でない
被害を受けたことを認めることと、
自分の生を引き受けることは、矛盾しません。
むしろ、
「私は被害を受けた。それでも、これからどう生きるかは、完全には奪われていない」
と言える地点こそ、
構造と主体が交差する場所です。
⑥ 臨床的定義(凝縮版)
臨床の言葉にまとめるなら:
構造に規定されながらも、なお主体であるとは、
自分を作ってきた条件を部分的に理解し、
それでもなお、自分の行為や生を“他人事にしきらず”に引き受けること。
責任を押しつけることではない。
自由を幻想化することでもない。
引き受ける、という中間的な態度です。
⑦ AとBをつなぐ一点
- Aが言う「魂に悪い」
- Bが言う「構造的強制」
この二つが重なる地点は、
構造が、魂の内部に入り込み、
それでも魂が、完全には構造になりきらない場所
そこに、主体がある。
では、抽象を一段下ろして、
「構造に規定されながらも、なお主体である」という概念を、援助交際の事例そのものに当て直す形で書きます。
評価でも擁護でもなく、どこに主体が立ち上がり、どこで消えるかを丁寧に追います。
① 出発点:援助交際は「自由」でも「強制」でもない
援助交際をしている彼女は、
- 完全に自由に選んでいるわけでもない
- 誰かに銃を突きつけられているわけでもない
つまり、
「選んでいるが、選ばされてもいる」
この宙吊り状態が、事例の前提です。
ここで主体を
「自由意志があったか/なかったか」で測ると、
議論は必ず破綻します。
② 構造が「選択肢」をどう形作っているか
彼女の前に並んでいる選択肢は、すでに構造化されています。
- 若さや身体が価値を持つという文化
- 女性の労働賃金が低いという現実
- 家庭・学校・地域からの疎外
- 「金を得る」ことが救済になるという物語
ここで重要なのは、
援助交際そのものが構造なのではなく、
それが「もっとも合理的に見える」地点まで追い込まれていること
主体は、この条件設定そのものに最初から囲まれている。
③ 主体が「存在している」瞬間
それでも、主体が完全に消えているわけではありません。
主体がかすかに現れるのは、例えば:
- 「嫌だけど、他に選択肢がない」と自覚しているとき
- 「これは本当は望んでいた生き方ではない」と思えているとき
- 相手に条件をつける、距離を取る、小さな拒否をするとき
これらは英雄的行為ではありません。
**構造に完全に飲み込まれていない“ズレ”**です。
主体は、
「やっている/やっていない」ではなく、
どう関わっているかに宿る。
④ 主体が「消える」瞬間
逆に、主体が薄れていくのはこんなときです。
- 「これは私の自由な選択だ」と構造を否認する言語しか使えなくなったとき
- 「私は悪くない/社会が悪い」と行為との距離を切りすぎたとき
- 苦しさや違和感を感じる回路が完全に遮断されたとき
皮肉ですが、
「完全に自己決定だ」と言い切れる状態は、
主体がもっとも見えにくい
主体は確信よりも、揺れの中にあります。
⑤ 「被害者」と「主体」の両立(事例版)
援助交際をしている彼女は、
- 男性中心社会の被害者である
- 経済的・文化的構造の犠牲者である
これは事実です。
同時に、
それを「自分の出来事」として語れるかどうか
が、主体の分かれ目です。
- 「全部社会のせいだから、私には関係ない」
でもなく、 - 「全部私が悪い」
でもない。
「私は、こういう条件の中で、こうせざるを得なかった」
この語りの可能性が残っている限り、
主体は完全には失われていません。
⑥ 回復・離脱は「主体が生まれる結果」であって原因ではない
重要な逆転があります。
- 主体があるからやめられる
ではない。
むしろ、
主体が回復し始めた結果として、
別の選択肢が初めて見えてくる
多くの支援が失敗するのは、
- まずやめさせようとする
- まず「正しい選択」を教えようとする
からです。
主体は、説得や説教では生まれない。
⑦ 臨床・支援の立場で何ができるか
この主体概念を前提にすると、
支援者の態度は変わります。
- 「あなたは被害者だ」と固定しない
- 「あなたの選択だ」と突き放さない
代わりに、
「あなたは、どういう条件の中で、それを選んだと思う?」
「そのとき、何を守ろうとしていたんだと思う?」
この問いは、
評価ではなく、主体を呼び戻す問いです。
⑧ まとめ(援助交際事例への当て直し)
援助交際において主体とは、
その行為を肯定することでも、否定することでもなく、
自分が置かれていた構造と、そこでの自分の振る舞いを、
切断せずに語り直せる可能性そのものを指す。
やめる/続けるは二次的な問題。
語り直せるかどうかが一次です。
なぜ「ホストに貢ぐ」という循環が起きるのか
これは、援助交際の議論の中でも、
もっとも不快で、もっとも核心的な問いです。
なぜならここには、
- 被害者/加害者
- 男性中心社会への反撃
- 自己決定
- 主体の回復
そのすべてが、もう一度ねじれて集まるからです。
順に、しかし一点に向かって整理します。
① 表面的説明:単なる「依存」では足りない
よくある説明はこうです。
- 寂しさ
- 承認欲求
- 恋愛依存
- ホストの搾取
どれも事実を含みます。
しかし、なぜ他の形ではなく「ホスト」なのかは、これでは説明しきれない。
② 決定的な逆転:商品化された身体 → 商品化された承認
援助交際で起きているのは、
- 自分の身体・若さ・時間を
- 他者(主に男性)の欲望に合わせて
- 価値に変換すること
つまり、
「私」が商品になる経験
です。
このとき失われるのは、金銭ではなく、
主体として“選ばれる”感覚
③ ホストが提供するものは「支配」ではなく「選ばれている感覚」
ホストクラブは、
表面的には男性が女性を支配している空間に見えます。
しかし心理的には逆です。
- 名前を呼ばれる
- 今日来た理由を聞かれる
- 気分や体調に注意が向けられる
- 「君が来てくれたから」と言われる
ここで売られているのは酒ではない。
「あなたが特別だ」という演出された関係性
援助交際で失われた
「選ぶ主体である感覚」を、
ホストが疑似的に回復させる。
④ 構造的に見ると:男性中心社会の“二重回路”
ここが重要です。
- 援助交際
→ 男性の欲望に身体を差し出す - ホスト
→ 男性の言語と演出に金を差し出す
一見、逆転しているようで、
どちらも男性中心の経済回路の内部です。
女性は
・身体を商品にし
・金を商品にし
その両方を循環させているだけ
反撃に見えて、回路は変わっていない。
⑤ 主体のズレが「貨幣」に置き換えられる瞬間
援助交際の中で、
- 嫌悪
- 虚無
- 自己分裂感
が生じる。
しかしそれを、
- 怒り
- 言葉
- 社会批判
に変換する回路がない。
代わりに起きるのが、
ズレ(主体の兆候)を、貨幣で埋めること
ホストに貢ぐとは、
- 自分の苦しさを理解してもらう代わりに
- 金を払って「分かってもらった感覚」を買うこと
⑥ 「貢ぐ」ことが、かすかな主体の保持になる
ここが最も見えにくい点です。
貢ぐ行為は、単なる自己破壊ではない。
そこには、
- 自分が選んでいる
- 自分が与えている
- 関係の主導権を一部握っている
という主体感の断片がある。
貢ぐことは、壊れた主体をつなぎ止める応急処置
だからやめられない。
⑦ しかし必ず破綻する理由
この主体感は、
金が尽きた瞬間に消える。
- 選ばれているのではなく
- 支払っていただけだ
という事実が、後から襲ってくる。
ここで、
- 自己嫌悪
- 「やっぱり私は価値がない」という確信
が強化される。
そして再び、
- 援助交際
→ 金
→ ホスト
という循環が完成する。
⑧ まとめ:循環の正体
「ホストに貢ぐ」という循環とは、
男性中心社会の中で商品化された主体が、
もう一度“主体である感覚”を買い戻そうとする運動である。
しかしそれは、
- 本当の承認
- 対等な関係
- 語り直し
を与えない。
だから、循環は止まらない。
⑨ 臨床・支援の示唆
この循環を断つには、
- 援助交際をやめさせる
でもなく、 - ホストを断罪する
でもない。
必要なのは、
「選ばれる/選ぶ」という感覚を、
貨幣を介さずに回復できる関係
つまり、
- 評価されない
- 利用されない
- 説得されない
語りの場です。
