普通であり続けることの抵抗
――静かな状態を守るという、最も見えにくい闘い
この社会では、「普通でいる」ことは、ほとんど評価されない。
- 目立たない
- 成果を誇らない
- 熱狂しない
- 極端に走らない
そうした状態は、語る言葉を持たないからだ。
だが、精神医療の現場に長くいると、
次第に、別の感覚が育ってくる。
普通であり続けることほど、
抵抗的な態度はないのではないか
という感覚である。
この社会は「普通」を放っておかない
日本社会は、人に対してこう問い続ける。
- もっと頑張れないのか
- もっと前向きになれないのか
- もっと役に立てないのか
ここで言われている「もっと」は、
実は「普通では足りない」という宣告でもある。
普通でいることは、
常に「未完成」「途中」「不十分」として扱われる。
躁的であることは、社会にとって都合がいい
躁的な人は、
- 迷わない
- 立ち止まらない
- 疑わない
社会の要求に、即座に応答する。
だから、
躁的な状態は「適応」と呼ばれ、
普通の慎重さは「消極性」と誤解される。
だが、ここには大きな逆転がある。
社会にとって都合がいいことと、
人が壊れずに生きられることは、別だ
普通でいるとは「現実と折り合う」こと
普通でいる、というのは、
- 無理をしない
- 限界を知っている
- 失敗を前提にしている
という状態だ。
これは弱さではない。
現実を引き受けている強さである。
躁状態のような全能感を持たない代わりに、
普通の状態は、
- 修正がきく
- 引き返せる
- 人の話が聞ける
という力を持っている。
普通であり続けることは、実はとても孤独だ
熱狂している集団の中で、
一人だけ冷めているのは、つらい。
炎上の中で、
「それほど単純な話ではない」と言うのは、
勇気がいる。
災害や危機の場面で、
「休んだほうがいい」と言う人は、
しばしば白い目で見られる。
普通でいるということは、
空気に抗うことでもある。
精神医療が守ろうとしてきたもの
精神医療は、しばしば誤解される。
- 何もしない
- 改善しない
- 進歩がない
だが、臨床の現場で守られてきたのは、
壊れない速度
戻れる距離
現実との細い接点
である。
普通でいられること。
それ以上を、急いで求めないこと。
これは消極性ではなく、
破綻を回避するための積極的な選択だ。
回復とは「普通に戻ること」ではない
回復モデルが示してきたのは、
- 以前の自分に戻ること
- 社会の標準に合わせること
ではない。
回復とは、
その人が、
普通でいられる時間と空間を、
もう一度確保すること
である。
それは、外から見ると地味で、
物語になりにくい。
だが、人生は物語ではない。
生活は、続くかどうかがすべてだ。
普通を守ることは、社会への問いになる
もし、
- 普通でいるだけで疲れ切ってしまうなら
- 普通でいることが許されないなら
その社会の側に、何か無理がある。
普通であり続ける人は、
声高に抗議しない。
だが、その存在自体が、
「この速度は速すぎるのではないか」
「この基準は高すぎるのではないか」
という問いを、静かに突きつけている。
結び──最も静かな抵抗
目立たず、
称賛もされず、
物語にもならない。
それでも、
- 今日をやり過ごし
- 明日を迎え
- また生活を続ける
その普通さは、
実は、この社会に対する最も深い抵抗かもしれない。
躁的な勢いが支配する世界で、
普通であり続けること。
それは、
人が人であり続けるための、
最後の防波堤なのだから。
