「徹底した生産性主義の集団B」と「精神障害者をも包摂する集団A」が衝突したとき 排除型社会は自滅する

「徹底した生産性主義の集団B」と「精神障害者をも包摂する集団A」が衝突したとき、短期的・局所的な戦いでは、余計なコストを削ぎ落としたBが勝つように見えるかもしれません。ナチス・ドイツのような優生思想は、一時期、驚異的な軍事力と効率性を発揮したのも事実です。

しかし、進化論的・システム論的な視点に立って長期的、あるいはマクロな視点で眺めると、「集団Bは、長期的には必ず自滅する致命的な欠陥を抱えている」ことがわかります。

なぜ、冷徹な生存競争の論理においてさえ、包摂型の集団Aの方が「強い」と言えるのか。その理由を考えます。


「最強の効率」が「最弱の生存戦略」に変わるとき――なぜ排除型社会は自滅するのか

「役に立たないものを切り捨て、効率を最大化する集団の方が、競争に強いのではないか」
この問いは、生物学的にも社会学的にも非常に鋭いものです。しかし、この論理には「環境は常に変動する」という、生命にとって最も重要な前提が抜け落ちています。

徹底した生産性主義(集団B)が、なぜ包摂型社会(集団A)に最終的に敗北するのか。そこには3つの論理的な理由があります。

1. 「多様性」は、システムの「保険」である

進化論における鉄則は、「現在、もっとも適応しているものが、未来も適応するとは限らない」ということです。

  • 集団B(効率主義)は、現在の環境(例:特定の経済ルールや戦争形態)に最適化しすぎた「単一栽培(モノカルチャー)」の畑のようなものです。特定の条件下では爆発的な出力を出しますが、環境が激変したとき(疫病、気候変動、新しい技術革命)、それに対応できる「予備の回路」を持っていません。
  • 集団A(包摂型)は、現時点では「役に立たない」とされる特性(精神障害など)も含んだ、雑多な「原生林」です。一見、効率が悪く見えますが、環境が変わったとき、かつての「弱点」や「不適応」が、新しい環境への「最強の適応」に反転する個体が必ず混ざっています。

ナチスのような「切り捨て」は、集団から「未来への選択肢(バリエーション)」を自ら削ぎ落とす行為です。これは、進化の歴史で見れば、絶滅直前の種がとる「過度な専門化」という、もっとも危険な道なのです。

2. 「排除のコスト」と「信頼の崩壊」

集団Bが直面するもう一つの問題は、内部的な「相互監視のコスト」です。

「生産性がないものは切り捨てる」というルールが確立された集団では、構成員は常にこう考えます。「明日は、自分が切り捨てられる番かもしれない」。

  • 病気になったら?
  • 老いたら?
  • 怪我をしたら?
  • あるいは、時代の変化で自分のスキルが「生産性なし」と判定されたら?

この不安は、集団内の「心理的安全性」を破壊し、極端な保守化と隠蔽を招きます。 失敗を恐れて新しい試みに挑戦しなくなり、ミスを隠し、他人の足を引っ張ることで自分の相対的な価値を守ろうとする。
一方で、集団A(包摂型)では、「どんな状態になっても見捨てられない」という安心感が、個人の果敢な挑戦や、利他的な協力を促進します。

長期的には、排除の恐怖で縛った集団Bよりも、信頼で結ばれた集団Aの方が、「内部摩擦(トランザクション・コスト)」が圧倒的に低くなり、結果として高い競争力を維持できるのです。

3. 精神障害という「炭鉱のカナリア」

精神障害者は、ある意味で「社会というシステムの歪み」を最も敏感に察知し、身をもって警告する「炭鉱のカナリア」のような存在です。

集団Bは、カナリアが鳴き止んだり死んだりすると、それを「欠陥品」として捨て、新しいカナリア(健康な労働者)を補充し続けます。しかし、これでは「空気が汚染されている(システムそのものに無理がある)」という根本原因に気づくことができません。 その結果、システム全体がある日突然、崩壊します。

集団Aは、カナリアの異変を見て、「なぜこの個体が苦しんでいるのか」を分析し、環境(空気)の側を改善しようと試みます。このフィードバック機能の有無が、集団としてのレジリエンス(復元力)に決定的な差を生みます。

結論:包摂は「慈悲」ではなく「高度な生存戦略」である

ナチス的な排除思想が、短期間で崩壊したのは偶然ではありません。
「弱者の排除」は、短期的にはドーピングのように出力を上げますが、同時に集団の「自己修正能力」と「未来の適応余地」を焼き尽くしてしまうからです。

私たちが精神障害者を包摂する社会を選択するのは、それが「道徳的に正しいから」という理由だけではありません。むしろ、「そうしなければ、集団としての生存確率が著しく下がることを、知性が理解しているから」です。

  • 多様性を維持すること(保険)
  • 信頼に基づいた協力を可能にすること(低コスト化)
  • 不適応のサインからシステムを改善すること(自己修正)

これらを備えた集団Aこそが、冷徹な進化の法廷においても、最終的に「適者」として生き残ります。

精神障害者を生産性という狭い物差しで測り、排除しようとする誘惑は、人類が抱える「知性の近視眼(目先の利益に飛びつくバグ)」にすぎません。
そのバグを乗り越え、「一見、無駄に見える多様性こそが、集団の最強の武器である」と定義し直すこと。それが、唯物論的・進化論的な視点から導き出される、もっとも合理的で「強い」社会のあり方なのです。


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