できていたはずのことが、できなくなる人たち
外来で、ときどき出会うタイプの人がいる。
大学を卒業し、入社試験も通過し、数年は会社で問題なく働いてきた。周囲から見れば、特別に不器用でも、孤立していたわけでもない。むしろ「普通に適応していた人」である。
ところが、三十代半ばあたりから、静かに歯車が狂い始める。
「頭が働かない」
「集中できない」
「仕事が理解できない」
抑うつを疑い、暫定的にうつ病と診断する。実際、意欲は低下し、自己評価も落ちている。しかし治療を続けても、どうも回復が思わしくない。気分は多少持ち直しても、「仕事ができる感じ」だけが戻らない。
二十歳の頃にはできていたはずのことが、できない。
Excelの操作がわからない。
マニュアルを読んでも、どこが重要なのか掴めない。
同僚に質問しようとしても、「何をどう聞けばいいのか」がわからない。
上司からは苛立った言葉が投げかけられる。
あたかも、超早期の認知症が始まったかのようにも見える。しかし年齢は若すぎる。画像検査も正常だ。
発達障害を疑っても、大学を卒業し、入社試験を突破し、一定期間は社会生活を送っている。説明としては弱い。
統合失調症を思わせる幻覚や妄想もない。
それでも、仕事はできない。
この「説明のつかない無力化」は、決して稀ではない。臨床の現場では、確実に一定数存在している。
壊れているのは「知能」ではない
この人たちをよく観察すると、興味深い特徴がある。
記憶力が極端に落ちているわけではない。
簡単な会話は成立する。
検査上の知能も保たれている。
壊れているのは、もっと別のところだ。
・複数の情報を同時に扱うこと
・優先順位をつけること
・文脈を読み取って操作を変えること
・「わからない状態」から質問を組み立てること
つまり、現代の職場で暗黙の前提となっている高度な遂行機能である。
これは、紙と鉛筆の検査では拾いにくい。
しかし、オフィスワークでは致命的になる。
抑うつは原因か、結果か
こうした状態は、しばしば「遷延する抑うつ」として理解される。確かに抑うつ症状は存在する。思考は鈍り、意欲も落ちている。
しかし、経過を追うと、別の像が浮かび上がる。
仕事がうまく回らなくなる
→ 失敗体験が重なる
→ 自己評価が崩れる
→ 抑うつが固定化する
つまり、抑うつは一次的な原因というより、二次的な結果である可能性が高い。
「気分が良くなれば元に戻る」という前提で治療を進めると、患者も医療者も行き詰まる。
発達障害でも、認知症でもない「遅発性の破綻」
ここで浮上してくるのは、現在の診断体系の空白である。
この人たちは、
- 子ども時代から明らかな発達障害があったわけではない
- 若年性認知症とも言えない
- 典型的な統合失調症像とも一致しない
しかし確実に、
社会が要求する認知様式から、遅れて脱落している
二十代までは、努力と代償で乗り切れていた。
しかし三十代に入り、業務は複雑化し、曖昧さが増し、自己判断と調整能力が求められる。
その時点で、内部の脆弱性が露呈する。
これは「発症」というより、代償破綻と呼ぶほうが近い。
なぜ今、増えているのか
この現象は、個人の問題だけでは説明できない。
現代の職場は、
- 常時マルチタスク
- 曖昧な指示
- 自己管理の要求
- 絶え間ない評価
を前提にしている。
この環境に適応できる認知様式は、実はかなり限定的だ。
少しの脆弱性が、ある時点で一気に露呈する。
そして社会は、それを「うつ病」や「本人の問題」として処理する。
「元に戻る」という幻想を手放す
このタイプの人にとって、最も有害なのは、
「治れば元に戻れる」
「前と同じように働けるはずだ」
という期待である。
それは善意から出た言葉だが、現実には、
- 失敗の反復
- 自己否定の固定化
- 二次障害の深化
を招きやすい。
必要なのは、
- 能力の再配分
- 要求水準の調整
- 「できない理由」を意志ではなく構造で説明すること
回復とは、元に戻ることではなく、
壊れた前提を引き受けて生き直すことなのかもしれない。
おわりに
この人たちは、「病気になった人」ではないのかもしれない。
また、「怠けた人」でもない。
むしろ、
高度化し続ける社会から、静かに脱落した人たち
である。
精神医学は、まだこの現象に十分な名前を与えられていない。
しかし名前がないからといって、存在しないわけではない。
このタイプの人が増えているという事実は、
社会そのものが、ある限界点に近づいていることを示しているのかもしれない。
臨床は、その限界を、
最も早く、最も痛みを伴って示される場所なのだと思う。
