「遺伝子の適応の試行」という世界観は、現代社会を生きる若者を苦しめている「自己責任論」に対する強力な処方箋(カウンター)になり得ます。
臨床(心のケア)や教育の現場、そして「今の不幸は自分のせいだ」と思い詰める風潮に対して、このドライな進化論的視点がどう救いになるのか。
君が苦しいのは「適応のテスト中」だから。――自己責任論を科学で解体する
最近、世の中には「自己責任」という言葉が溢れているよね。
「成績が悪いのは努力が足りないからだ」「将来が不安なのは自分のスキルのせいだ」「メンタルが弱いのは甘えだ」……。
もし君が、そんな「全部自分のせいだ」というプレッシャーに押しつぶされそうになっているなら、少し視点を変えてみてほしい。
今日は、僕たちの人生を「遺伝子と環境の適合テスト」というクールな視点から眺めることで、その重荷を下ろす方法について話そう。
1. 「臨床的」な視点:君のせいじゃない、ただの「ミスマッチ」だ
カウンセリングなどの心のケア(臨床)の現場では、自分を責めてボロボロになっている人がたくさんいる。でも、生物学的な視点に立てば、見え方はガラリと変わる。
例えば、ある人が今の学校や職場で適応できずに、心が折れてしまったとしよう。
これを「本人の努力不足」と捉えるのが自己責任論だ。
でも、僕たちの考え方は違う。
「その人の遺伝子が持つ特性が、たまたま今の特定の環境に適合しなかった」。ただ、それだけのことなんだ。
サボテンは砂漠では最強だけど、湿地帯に置けば根腐れして枯れてしまう。それはサボテンの「努力」の問題だろうか? 違うよね。単なる環境との相性、つまり「ミスマッチ」だ。
君が今苦しんでいるなら、それは君の人間としての価値が低いからじゃない。君という遺伝子のセットが、今の環境という「試験管」の中で、どう反応するかを試している最中であり、今はたまたま「適合しにくい」というデータが出ているだけなんだ。
2. 「教育」の本質:自分という「個体」の取扱説明書を作る
じゃあ、教育や学習には何の意味があるんだろう?
この世界観では、教育は「立派な人間になるための修行」ではない。
教育とは、「自分の遺伝子が、どんな環境ならうまく機能するかを探るためのデータ収集」だ。
数学が得意、絵を描くのが好き、一人でいるのが楽、大人数は苦手……。
これらはすべて、君の遺伝子が環境に対してどう反応するかの「特性」だ。
勉強や経験を通じて、「あ、僕の遺伝子はこういうルール下では生存率が上がるな」「こういう刺激には弱いな」という傾向を知る。
教育とは、君という「生物学的個体」を、できるだけ生存確率が高く、効率よく機能する場所(環境)へ導くための、「自分専用の取扱説明書」を作る作業なんだよ。
3. 「自己責任論」のウソを暴く
さて、ここで「自己責任論」について考えてみよう。
「成功も失敗もすべて自分の選択の結果だ」という考え方は、一見かっこいいけれど、生物学的にはかなり無理がある。
なぜなら、僕たちは「自分の遺伝子」を選んで生まれてきたわけではないからだ。
そして、その遺伝子が放り込まれる「最初の環境(親、国、時代)」も選んでいない。
「遺伝子」というカードと、「環境」という舞台。
この二つの、自分ではコントロールできない要素が組み合わさって、今の君の姿がある。
- 足が速いのも、計算が早いのも。
- 逆に、集中力が続かないのも、不安を感じやすいのも。
それは、何十万年もかけて遺伝子が「いろいろ試してきたバリエーション」の一つにすぎない。
たまたま21世紀の日本という狭い環境で「評価されやすいカード」を持っていた人を「努力の賜物だ」と持ち上げ、そうでない人を「自己責任だ」と切り捨てるのは、科学的に見てフェアじゃないんだ。
4. 意味がないからこそ、何度でも「試行」できる
「人生に意味も目的もない」と聞くと、投げやりな気持ちになるかもしれない。
でも、これは究極の「免罪符」でもある。
もし人生に「たった一つの正解」があるなら、そこから外れた瞬間に君の人生は失敗になる。
でも、人生がただの「適合テスト」なら、失敗なんて存在しない。
「この環境ではうまくいかなかった」という貴重なデータが取れただけだ。
- 学校に行けなくなった。→「なるほど、この遺伝子は今の学校システムには適合しないというデータが得られた」
- 仕事が続かない。→「この遺伝子は、ルーチンワークよりも別の環境を求めているようだ」
そうやって、淡々と環境を変え、次の試行(テスト)に移ればいい。
君は自分の遺伝子がどこで一番輝く(=拡散・生存に適する)かを探る、孤独でクールな研究者なんだ。
結論:自分を「観察」して生きよう
「生きる意味」という重苦しい言葉に縛られないでほしい。
君は、遺伝子が環境に適応しようとしている「壮大なプロセス」の一部だ。
善悪も、成功も、失敗も、すべては後付けの解釈にすぎない。
大切なのは、自分を責めることではなく、「さて、この自分という個体を、次はどの環境に放り込んで試してみようか?」と、客観的に自分をプロデュースしていくこと。
自己責任論という呪いから自由になって、もっとドライに、もっと実験的に、この世界を遊んでみてほしい。
君の遺伝子が、どの程度この世界に適合し、あるいはしないのか。
その結果を一番近くで見届けられるのは、君だけなのだから。
