多様性が創造性を高めるという言説

「多様性が創造性を高める」という言説が、現代のビジネスや教育現場で一種の「正義」として語られています。しかし、その「正義」に潜む残酷な選別と論理的矛盾がある。

この問題を、進化論的・唯物論的な視点から解体し、精神障害者が直面している「生産性の罠」とその出口について論理的に展開します。


多様性という名の「選別」を越えて:生産性の呪縛から生命を奪還する

現代社会が掲げる「多様性(ダイバーシティ)」という旗印の下で、私たちはある種の「嘘」をついています。それは、「多様性は得(トク)である」という論理です。

「多様な人材がいれば、新しい視点が生まれ、チームの創造性が高まる」
「だから、マイノリティを排除せず受け入れよう」

一見すると善意に満ちたこの論理は、その裏側に恐ろしい「排除の基準」を隠し持っています。

1. 「役に立つ多様性」と、精神障害という定義の矛盾

「創造性を高めるための多様性」を追求する場合、そこで想定されているメンバーは、あくまで「チームの出力をプラスにする個体」に限られます。

もし、ある個体が加わることでチームの意思決定が遅れ、ケアにコストがかかり、全体の生産性が低下するとしたら、現在の「多様性」の論理では、その個体を受け入れる理由が消滅してしまいます。

ここに、精神障害の定義に関する残酷な反転が生まれます。
「多様なチームに入れて創造性が高まるような人は、そもそも(社会が定義するところの)精神障害者ではない」ということです。

現代社会において「精神障害」というラベルを貼られるのは、多くの場合、「現在の経済システムや集団の効率性という環境において、マイナスのコスト(負荷)と見なされる特性」を持っている人たちです。
つまり、「創造性に寄与する人を多様性と呼び、寄与しない人を障害者と呼ぶ」という選別が、多様性の美名の下で行われている。これは論理的なペテンに他なりません。

2. 精神障害者が直面する「生産性による存在証明」の困難

この状況下で、精神障害者は極めて過酷な問いを突きつけられます。
「君は、集団の生産性にどう貢献できるのか? それを示せなければ、多様性の輪に入れてやる理由がない」

しかし、これは生存のルールとして致命的な矛盾を抱えています。

  • 脳のエネルギー配分の問題: パニック障害やうつ病など、脳が「生存アラート(不安)」を鳴らし続けている個体は、そのアラートを処理するだけでエネルギーを使い果たしています。外部への「創造的出力」に回す余力がないのが、その特性の正体です。
  • 「生産性」という環境自体の特殊性: そもそも、分刻みのスケジュールや高度なマルチタスクを「生産性」と呼ぶ環境は、人類史において極めて特殊(ここ数百年のバグのような環境)です。その特殊な物差しで「価値」を測ること自体が、生物学的な多様性を否定しています。

「生産性で価値を証明せよ」という要求は、深海魚に「陸上で100メートルを何秒で走れるか証明せよ。それができれば仲間に入れてやる」と言うのと同じ、論理的な暴力なのです。

3. 進化論的解決:多様性を「道具」から「在庫」へ戻す

では、私たちはこの行き詰まりをどう解決すべきでしょうか。
鍵は、進化論の本来の視点に立ち返り、多様性を「創造性のための道具」ではなく「生存のための在庫」として捉え直すことです。

① 「有用性」の破棄

進化は、将来の役に立つかどうかを計算して変異を残すわけではありません。ただ「たまたま現れたバリエーション」を維持します。今は「生産性の足かせ」に見える特性(過敏さ、引きこもり、こだわり)が、数百年後の激変した環境では、人類唯一の生存の鍵になるかもしれない。
多様性の価値とは、現時点での「利得」ではなく、システム全体の「冗長性(バッファ)」にあります。

② 「生産性」から「生存コストの最小化」へのシフト

個体に生産性を求めるのではなく、社会の側が「その個体が不適応なままで、いかに低コストで生存し続けられるか」という環境設計(ハッキング)に注力することです。
生産性を証明させるのではなく、「生産性という土俵から降りても、個体の生存権が揺るがない」という物理的な保障こそが、真の多様性の定義でなければなりません。

③ 「観測」という価値への転換

唯物論的に見れば、一つの個体が生まれ、そこで一つのユニークな「遺伝子と環境の衝突(人生)」が起きていること自体が、宇宙にとっての唯一無二のデータです。
そこに「生産性」という人間界のローカルルールを持ち込むのは、データの解釈を歪めるノイズでしかありません。臨床家や社会の役割は、その個体が何かを生み出すことを期待するのではなく、「その個体が、その個体として今日を生き延びた」という事実を、無条件に観測し、肯定することにあります。

結論:存在そのものを「適合」とする

私たちが解決すべきは、精神障害者の「生産性の低さ」ではなく、「生産性がない個体には生存の価値がない」という、脳の浅い認識バグ(社会的な物語)です。

多様性のあるチームで創造性が高まるのは、単なるラッキーな副産物にすぎません。
真の多様性とは、「何の役にも立たないし、むしろチームの足を引っ張るかもしれない個体であっても、その存在がシステムの豊かさ(在庫)として当たり前に内包されていること」を指します。

精神障害者は、自分の価値を生産性で証明する必要はありません。
「今、ここに、不適応なままで存在している」ということ。それ自体が、数十万年の進化の果てにたどり着いた、宇宙にとって貴重な「一つの試行結果」なのだから。

私たちは、「役に立つから助ける」という功利主義的な物語を捨て、「そこに生命が駆動しているから、維持する」という、よりドライで、より強固な、生命原理に基づいた倫理へと移行すべきなのです。

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