「生きる意味」は本当に必要なのか
――遺伝子から見た世界
「生きる意味って、何だと思う?」
こう聞かれると、多くの人は少し困る。
夢、やりがい、誰かの役に立つこと。
答えはいくつもあるけれど、どれもどこか“人間側の都合”のようにも聞こえる。
では、もっと引いたところから、この世界を見てみよう。
世界は「意味」を前提にしていない
まず、大前提として確認したいことがある。
私たちは、
- 宇宙がなぜ生まれたのかを知らない
- なぜこの物理法則なのかを知らない
- この宇宙が最終的にどうなるのかも知らない
つまり、世界そのものは「意味」や「目的」を説明してくれていない。
星は理由なく生まれ、
銀河は意図なく回り、
地球も、たまたまこの場所にあった。
ここまでは、宗教でも哲学でもなく、単なる事実だ。
生命は「試行錯誤の途中経過」
では、生き物はどうだろう。
進化論が教えてくれるのは、驚くほどシンプルな話だ。
- たまたま遺伝子が生まれた
- たまたま増えた
- 環境に合ったものだけが残った
- 合わなかったものは消えた
これを、何十億年も繰り返してきただけ。
キリンの首が長いのも、
ペンギンが空を飛ばないのも、
人間が言葉を話すのも、
最初から意味があったわけではない。
首が少し長い個体が、
その時の環境では、
たまたま生き残りやすかった。
それだけの話だ。
「努力」も「才能」も、あとから意味づけされる
ここで重要なのは、
生き残ったものが「正しかった」と後から言われる
という点だ。
試験に合格した人は「努力した」と言われ、
成功した人は「才能があった」と言われる。
でも実際には、
- 努力しても落ちる人はいる
- 才能があっても消える人はいる
進化の世界では、
結果だけが残り、理由は後づけされる。
これは残酷に見えるかもしれない。
でも、自然はそもそも優しくも残酷でもない。
ただ、そう動いているだけだ。
善悪はどこから来たのか
では、「善い生き方」「悪い生き方」はどうだろう。
進化論的に見ると、善悪もまた、生存に役立った行動の集まりだ。
- 仲間を助ける → 集団が強くなる
- 嘘をつきすぎない → 信頼が続く
- 子どもを守る → 遺伝子が残る
これらは「正しいから」広まったのではない。
役に立ったから残った。
だから、時代や社会が変われば、
善悪の基準も簡単に変わる。
戦争中に「善」とされた行為が、
平和な時代には「悪」とされることもある。
「意味がない」という自由
ここまで来ると、こう思う人もいるだろう。
「じゃあ、生きる意味なんてないじゃないか」
その通りだ。
少なくとも、宇宙や自然は、意味を用意していない。
でも、ここで話は終わらない。
意味が与えられていない、ということは、
意味を押しつけられてもいない、ということだ。
- こう生きなければならない
- こうでなければ価値がない
そうした決まりは、自然界には存在しない。
あなたが何を選び、
どう失敗し、
どう残るか――
それは、あなたという遺伝子が、
この環境でどこまでやれるかを
試している途中経過にすぎない。
結論:意味は「必要条件」ではない
生きる意味がないからといって、
生きてはいけないわけではない。
雨に意味がなくても、
降るときは降る。
風に目的がなくても、
吹くときは吹く。
人間も、それと同じだ。
意味があるかどうかを気にすること自体が、
この進化の途中で生まれた、
人間らしい副産物なのかもしれない。
