Ⅰ.日本における「市民」の不成立
――「権利主体」が立ち上がらない理由
1. 市民とは何か(最小定義)
市民とは、
- 国家に対して
- 権利を主張し
- 異議を申し立て
- 政治的責任を問う
関係的主体です。
重要なのは、
市民は「従属者」でも「参加者」でもない
対抗者である
という点。
2. 日本で成立しなかったもの
日本では歴史的に、
- 国家は
- 支配者でも
- 契約相手でもなく
- 環境
として経験されてきた。
- 国家は
- 遠くにあり
- だが遍在し
- 正面から交渉できない
👉 国家と「向かい合う」回路が育たない。
3. 天皇制との深い関係
天皇は
- 国家の人格化
- しかし
- 決断しない人格
その結果:
- 国家は「誰か」だが
- その誰かは
- 話しかけても
- 返事をしない
👉 市民的関係(要求/応答)が成立しない。
4. 残ったのは「国民」
- 国民:
- 包摂される存在
- 守られる対象
- 評価される側
- 市民:
- 異議を唱える存在
日本では
国民はあるが、市民がない
Ⅱ.ポピュリズムがなぜ「優しい顔」をするのか
――敵を作れない社会の動員様式
1. 西洋型ポピュリズム
通常のポピュリズムは:
- 敵を明確にする
- 対立を煽る
- 断絶を宣言する
👉 怒りの政治。
2. 日本型ポピュリズムの異様さ
日本では:
- 声を荒げない
- 敵を名指ししない
- 「みんな大変ですよね」
と共感する
👉 慰撫型ポピュリズム
3. なぜそうなるか
理由は単純で、
日本では
政治が「怒りの表現装置」になれない
怒りを政治に向けると、
- 場が壊れる
- 分断が見える
- 連続性が揺らぐ
👉 だからポピュリズムは
👉 怒りを包む形を取る
4. 結果
- 不満は
- 解消されない
- しかし
- 鎮静される
- 政治は
- 変えない
- でも
- 叱られもしない
Ⅲ.専門家がなぜ政治的に沈黙するのか
――知の自己防衛
1. 専門家に期待される役割
本来、専門家は:
- 事実を示す
- 問題構造を言語化する
- 政策選択のコストを明示する
👉 政治にとっては
👉 不快な存在
2. 日本での専門家の位置
日本では専門家が:
- 決定者にならない
- しかし
- 責任を問われやすい
👉 最悪のポジション
3. 沈黙の合理性
政治に発言すると:
- 空気を壊す
- 責任を押し付けられる
- しかし決定権はない
👉 発言は
👉 リスクしかない
沈黙は臆病ではなく、
構造に適応した結果
4. 「助言」はするが「異議」は唱えない
- 委員会
- 検討会
- 有識者会議
ここでは:
- 反対意見は
- 議事録に残るが
- 政策には反映されない
👉 専門知は
👉 責任の緩衝材として使われる。
Ⅳ.三点を一本に束ねる
| 現象 | 構造 |
|---|---|
| 市民の不成立 | 国家と対抗する主体が育たない |
| 優しいポピュリズム | 怒りを政治化できない |
| 専門家の沈黙 | 責任なき発言が危険 |
一文で言うと:
日本では、政治が「対立を引き受ける装置」になっていない
Ⅴ.だから起きていること
- 怒りは
- 政治に行かず
- 個人に沈殿する
- 専門知は
- 使われるが
- 尊重されない
- 市民は
- 現れず
- 国民のまま留まる
Ⅵ.それでも、どこに裂け目があるか
裂け目はあります。
それは:
- 完璧な理念
- 革命
- 中央集権
ではなく、
👉 責任を名指しせざるをえない局所
- 医療
- 福祉
- 災害対応
- 司法
- 行政訴訟
ここでは、
- 専門家が沈黙できず
- 市民が名乗り出ざるをえず
- 政治が露出する
最後に。
日本に欠けているのは
「怒り」ではない
怒りを引き受ける政治である
