不倫と離婚をめぐる感情の正体
――そこに男性中心主義や家父長制は影を落としているのか
この問いは、単に「思想の問題」ではなく、私たちがなぜ強く反応してしまうのか、という感情の構造を考えることにつながっている。
1.なぜ女性の不倫は、より強く非難されるのか
建前上、日本社会は男女平等を掲げている。
しかし、不倫に対する感情的反応は、今なお対称ではない。
・女性の不倫は「家庭を壊した行為」として語られやすい
・母親である場合、「子どもへの裏切り」という意味づけが重なる
・結果として、個人の行為以上の「役割違反」と見なされる
ここには、「家庭の安定は女性が守るもの」という家父長制的な期待が残っている。
2.「肉体関係」が特別に許されない理由
しばしば語られるのが、
「テニス仲間なら許せるが、肉体関係は許せない」という線引きである。
この違いは、論理的に説明しにくいが、感情的には非常に強い。
その理由は、
・女性の身体が「家庭の内部」に属するものとして無意識に扱われてきた
・身体的な関係は、家庭秩序の境界を越える行為と感じられる
・感情的親密さよりも、身体の越境が強い嫌悪を呼びやすい
つまり、問題は性そのものではなく、「境界が破られた感覚」なのである。
3.離婚に向けられる非難の非対称性
離婚についても、同様の構造がある。
・男性が離婚する場合:「やむを得ない事情」と理解されやすい
・女性が離婚する場合:「我慢が足りない」「子どもがかわいそう」と言われやすい
・特に母親の場合、「家庭を守る責任」が強調される
この非対称性は、家父長制が完全には終わっていないことを示している。
4.男性中心主義は、男性をも縛っている
重要なのは、この構造が男性だけを得しているわけではない点である。
・夫は「家庭を守れなかった自分」を強く責める
・怒り以外の感情(悲しみ、不安、喪失)を言葉にしにくい
・結果として、怒りだけが前面に出る
男性中心主義は、男性からも感情を語る言葉を奪ってきた。
5.不倫・離婚への過剰反応は何を守ろうとしているのか
社会の強い反応は、単なる道徳感情ではない。
・すでに揺らいでいる家族モデルを必死に守ろうとする反応
・「家庭は安全で安定しているはず」という前提への不安
・変化への恐れが、断罪という形で表出している
不倫や離婚は、その前提が崩れたことを可視化してしまう出来事なのだ。
6.では、どう語り直すことができるのか
この問題を前に、必要なのは「誰が悪いか」だけを問うことではない。
・どの役割が、どれほど無理を強いていたのか
・なぜ言葉にできない孤独が生まれたのか
・どこで感情が行き場を失ったのか
こうした問いに置き換えることで、初めて断罪以外の言葉が可能になる。
不倫や離婚は、終わりの物語として語られがちである。
しかしそれは、古い家族像が限界に達したことを知らせる出来事でもある。
そこに男性中心主義や家父長制の影があるのか、と問われれば、
答えはおそらく、「静かに、しかし確かに、ある」。
それを見えないままにしておく限り、
私たちは同じ怒りと同じ沈黙を、何度も繰り返すことになるだろう。
