性と攻撃は
- 近接しているが同一ではない
- 媒介項がある
- 文脈によって結びつき方が変わる
性衝動・攻撃衝動・集団内序列――近さと非同一性
1.性と攻撃は「同じ衝動」ではない
まず前提として、性衝動と攻撃衝動は同一の衝動ではない。
- 性衝動は、結合・接近・他者との身体的連結を志向する
- 攻撃衝動は、排除・支配・距離の再編を志向する
方向性が逆である点で、両者は本来、異なる。
にもかかわらず、両者はしばしば近接して出現し、混線する。ここに説明すべき問題がある。
2.近接性の理由――エネルギーと脱抑制
性と攻撃が近い位置に現れる最大の理由は、エネルギー水準の共有にある。
- 高揚
- 脱抑制
- 身体感覚の優位
- 衝動の即時化
軽躁状態や集団的興奮状態では、このエネルギー水準が全体に引き上げられる。その結果、
- 性衝動は、繊細さや相互性を失い、粗くなる
- 攻撃衝動は、目的性を失い、拡散する
ここで両者は「似たもの」に見えるが、それは同一化ではなく、粗雑化による近接である。
3.攻撃性の独自領域①――集団内序列
攻撃性は、性衝動とは独立した機能をもつ。
その代表が、集団内序列の形成・維持である。
- 誰が上位か
- 誰が従う側か
- 誰が中心に近いか
これらは、性行動とは無関係に、攻撃性によって調整されうる。
しかし進化論的に見れば、ここで一つの接続が生じる。
- 攻撃性 → 序列上昇
- 序列上昇 → 資源アクセスの増大
- 資源アクセス → 性行動における有利さ
つまり、攻撃性が直接「性」になるのではなく、序列を媒介して間接的に性に結びつく。
この媒介を飛ばしてしまうと、「攻撃=性」という短絡が生じ、暴力の正当化に近づいてしまう。
4.攻撃性の独自領域②――超越者との関係
攻撃性にはもう一つ、性衝動とは交わらない領域がある。
それが、宗教的・象徴的超越者との関係である。
- 神への服従と反抗
- 聖と俗の境界侵犯
- 異端や不浄への攻撃
ここでの攻撃性は、
- 性的報酬を目的としない
- 集団秩序の象徴的安定を目的とする
殉教や宗教的暴力は、性的成功と無関係である場合が多い。
この事実は、攻撃性が性衝動に還元できないことをはっきり示している。
5.一対一関係における変換――男性攻撃性と性衝動
一対一の男女関係では、男性の攻撃性が性衝動へと変換されることがある。
ここで起きているのは、次のような過程である。
- 支配欲・緊張・競争性
- 相手への強い注目
- 身体的距離の縮小
- 性的興奮への転化
これは「攻撃が性になる」というより、
攻撃性が適切に制御され、関係性の中で再編される過程と考えた方がよい。
問題は、この変換が失敗した場合である。
- 相手の主体性が消える
- 同意が曖昧になる
- 興奮の制御が効かなくなる
このとき、攻撃性は性衝動に「化ける」のではなく、性の形を借りた攻撃になる。
6.集団的軽躁との接続――危うさの正体
集団的軽躁状態では、
- 攻撃性が正当化されやすい
- 性的脱抑制が称揚されやすい
- 序列の再編が急激に起きる
この三つが同時に進行するため、性と攻撃の境界が最も曖昧になる。
だからこそ、ここには常に危うさがある。
- 性が「結合」ではなく「支配」になる
- 攻撃が「秩序」ではなく「暴走」になる
7.結論――区別を保ったまま、連関を読む
性衝動と攻撃衝動は、
- 別の衝動であり
- 別の機能を持ち
- 別の倫理を要する
しかし、
- エネルギー水準
- 集団内序列
- 関係性の構造
を媒介に、互いに変換・接近・混線する。
臨床的にも社会的にも重要なのは、
結びつきを説明することと、同一視しないことを両立させることである。
