集団的軽躁の時代に、躁をどう見分けるか
――興奮の時代における臨床的識別
序
現代社会は、慢性的な危機と過剰な動員によって、
常態としての軽躁に近い情動水準を保っている。
この状況では、
- 活動性が高い
- 多弁である
- 自信に満ちている
- 攻撃性や性的脱抑制がある
といった所見は、もはや異常の指標になりにくい。
問題は、どこからが病理としての躁なのかである。
1.第一の識別点――「一人になったとき」
最も基本的で、最も見落とされやすい鑑別点。
集団的軽躁
- 一人になると勢いが落ちる
- 空虚感や疲労が前景化する
- 「あのときはノッていた」という語りになる
双極性障害の躁・軽躁
- 一人になっても止まらない
- むしろ他者が邪魔に感じられる
- 思考と行動が自律的に加速する
「孤立がブレーキになるか、アクセルになるか」
ここは決定的である。
2.第二の識別点――気分の自律性
躁状態の本質は、高揚ではなく自律性にある。
集団的軽躁
- 周囲の反応に強く依存する
- 共鳴が切れると急速に失速する
- 状況判断は比較的保たれる
双極性障害の躁
- 止められても止まらない
- 不利な結果を理解しても突き進む
- 気分が現実検討から乖離する
臨床的には、
「これは空気で動いているのか、身体で動いているのか」
を見ている、と言える。
3.第三の識別点――性と攻撃の「質」
同じ脱抑制でも、質が異なる。
集団的軽躁における性・攻撃
- 見られることが前提
- 仲間・敵・序列が明確
- 誇示・同調・動員の色彩が強い
躁状態における性・攻撃
- 相手や文脈への配慮が乏しい
- 境界が曖昧になる
- 後から本人が困惑・当惑する
関係の中で構成されているか、
衝動が個人内で完結しているかが分かれ目である。
4.第四の識別点――時間経過と終結の仕方
集団的軽躁の終わり
- 興奮が散る
- 白け・疲労・責任の拡散
- 抑うつが出ても浅く社会的
双極性障害の反転
- 明確な抑うつ相への移行
- 自責・無価値感
- 自殺念慮の出現リスク
反転が「生物学的か、社会的か」
ここも重要な分岐である。
5.誤診が生まれやすい二つの落とし穴
落とし穴①
社会の軽躁を個人の躁と誤認する
- 過剰診断
- 不必要な薬物治療
- 個人への責任転嫁
落とし穴②
躁を「空気に弱い性格」と見誤る
- 再発の見逃し
- 治療介入の遅れ
- 重症化
この二つは、正反対だが同時に起きやすい。
6.臨床家のための最小限の問い
診断基準よりも、
臨床家が自分に向けて持つべき問いは、次の三つで足りる。
- この高揚は、誰もいなくても続くか
- これは関係が作っているのか、身体が作っているのか
- 終わった後、何が残るか
この三問に誠実に向き合えば、
多くの誤りは避けられる。
結語――区別することの倫理
集団的軽躁の時代に、
躁を見分けることは難しい。
だが、区別しないことの代償はもっと大きい。
- 社会の興奮を個人に押し付けないため
- 個人の病理を社会に溶かさないため
- 本当に治療が必要な人を見逃さないため
区別とは、線を引くことではなく、
責任の置き場所を正確に定める作業である。
興奮の時代に、
立ち止まって見分けようとすること自体が、
すでに臨床的行為なのだと思います。
