- 1 不安ビジネスの基本構造
- 2 なぜ人は引っかかるのか(責めない理解)
- 3 対処の原則(個人レベル)
- 4 対処の原則(社会・制度レベル)
- 5 最後に:決定的な対処法はあるか?
- 1-1 不安言説は「症状」ではない
- 1-2 正誤で切らない
- 1-3 「不安を奪わない」介入
- 1-4 治療者自身の姿勢
- 2-1 恥の文化と不安
- 2-2 「中間集団」の消失
- 2-3 責任の個人化
- 2-4 専門家の沈黙と断定の空白
- 3-1 回復モデル:不安は消すものではない
- 3-2 実存療法:不安は条件である
- 3-3 「意味」を商品にしない
- 3-4 臨床の役割の再定義
- 結語
- 2-1 「不安は歪みである」という誤解
- 2-2 「正しい考え方がある」という誤解
- 2-3 「すぐ効く=よい治療」という誤解
- 3-1 「不安はコントロール可能」というメッセージ
- 3-2 測定可能性の罠
- 3-3 文脈の剥奪
- 4-1 不安の位置づけ
- 4-2 時間の扱い
- 5-1 CBTを「主治療」にしない
- 5-2 不安を“検証”ではなく“翻訳”する
- 5-3 成果指標を一つにしない
- 結語
1 不安ビジネスの基本構造
不安を煽る支配・商売には、かなり共通した型があります。
① 不安の生成
- 「このままでは危険だ」
- 「あなたは気づいていないが、実は損をしている/遅れている/汚れている」
- 「普通の人には見えない真実がある」
→ 不安は“欠如”として提示される
(意味・安全・承認・将来・所属の欠如)
② 敵・原因の外在化
- 新興宗教:社会、悪霊、既存宗教、科学
- 自己啓発:無知な大衆、古い価値観、ネガティブ思考
- IT産業:非効率、旧世代、アナログ、人間的な曖昧さ
→ 不安の原因は「自分の内」ではなく
外部の何かとして説明される
③ 即効性のある解決策の提示
- 信仰・修行・献金
- セミナー・教材・サロン
- アプリ・アルゴリズム・最適化
→ 「複雑な問題を、単純な操作で解決できる」という約束
④ 依存の固定化
- やめると不安が再燃する
- 成果が出ないのは「努力不足」「信仰不足」
- アップデート・次の講座・新機能が必要
→ 不安が“解消されない形で管理”される
2 なぜ人は引っかかるのか(責めない理解)
対処を考えるには、まずここが重要です。
人は「不安を持つ存在」だから
- 不安は病理ではなく、人間の基本条件
- とくに
- 孤立
- 競争
- 不透明な将来
が強い社会では、不安は慢性化する
新興宗教も自己啓発もITも、
不安を新しく作っているだけでなく、既にある不安に“名前と物語”を与えている。
3 対処の原則(個人レベル)
① 「不安を消そうとしない」
最重要ポイントです。
- 「この不安をなくせば大丈夫」という発想自体が罠
- 不安は
- 管理されると支配になる
- 引き受けられると自由になる
対処とは
不安をゼロにすること
ではなく
不安があっても判断できる状態を保つこと
② 不安の“時間軸”を引き延ばす
不安ビジネスは「今すぐ」「この瞬間」を強調します。
対抗策:
- 今すぐ決めなくていい
- 1週間寝かせる
- 誰にも説明しない前提で考える
→ 時間を取り戻すこと=主導権を取り戻すこと
③ 「問いの形式」を疑う
彼らは答えを売っているのではなく、
問いの形を独占しています。
例:
- 「成功するか/失敗するか」
- 「正しいか/間違っているか」
- 「救われるか/滅びるか」
対処:
- その二択以外はないのか?
- 誰がその問いを立てたのか?
- その問いに答える必要は本当にあるのか?
④ 身体と生活に戻る
不安ビジネスは、頭の中で完結します。
対処は逆方向:
- 睡眠
- 食事
- 具体的な人間関係
- 手で触れる作業
→ 身体に戻ると、抽象的な恐怖は弱まる
これは心理技法というより、存在論的な話です。
4 対処の原則(社会・制度レベル)
① 「安心」を商品化しない制度
- 教育・医療・福祉が弱いほど、不安ビジネスは強くなる
- 公的制度の空白を、宗教・啓発・ITが埋める
→ 対処は「啓蒙」よりも
不安を生みにくい社会設計
② 専門家が沈黙しない
- 専門家が「断定を避ける」ほど
- 断定する怪しい言説が力を持つ
必要なのは:
- 分からないことは分からないと言う
- それでも判断するための材料を出す
不確実性に耐える言葉を公共空間に残すこと
5 最後に:決定的な対処法はあるか?
正直に言えば、
不安を煽る支配を完全に防ぐ方法はない
です。
ただし、これだけは言えます。
- 不安を「利用されるもの」から
- 「共有され、考えられるもの」へ戻すこと
これができると、
- 新興宗教は「絶対性」を失い
- 自己啓発は「魔法」でなくなり
- ITは「道具」に戻る
1 臨床の場で「不安言説」をどう扱うか
1-1 不安言説は「症状」ではない
新興宗教・自己啓発・陰謀論・IT万能論などの言説は、
臨床的にはしばしばこう誤解されます。
- 「誤った信念」
- 「認知の歪み」
- 「依存・退行」
しかし多くの場合、
**それは症状ではなく、患者が“耐えようとした結果”**です。
不安言説は
世界を理解可能なものとして保つための仮設的構造
であることが多い。
1-2 正誤で切らない
臨床でやってはいけない典型:
- 「それは科学的に間違っている」
- 「騙されていますよ」
- 「考えすぎです」
これをやると、
- 不安言説は「防衛」として硬化する
- 治療者=敵/無理解な側になる
代わりに何を見るか
- その言説が
- どの不安を
- どの程度
- どんな形で
支えているのか
→ 機能を見る
1-3 「不安を奪わない」介入
重要なのは、
不安言説を剥がすこと
ではなく
不安言説がなくても、崩れない足場を増やすこと
具体的には:
- 言葉にできない不安を、言葉にする
- 生活時間・睡眠・食事を回復させる
- 判断を「先送りできる」感覚を取り戻す
不安言説は、
現実に立つ力が戻ると、自然に薄くなる。
1-4 治療者自身の姿勢
治療者が
- 「答えを持つ者」
- 「正しい世界像を示す者」
になると、
それ自体が不安ビジネスと同型になります。
治療者はむしろ:
- 不安を一緒に保持できる他者
- 決断を急がせない存在
- 分からなさを共有できる人
であることが、最大の介入になる。
2 日本社会で「不安が商品化されやすい」理由
これは文化論・制度論・臨床論が重なります。
2-1 恥の文化と不安
日本では、不安は
- 個人の内的問題
- 説明してはいけないもの
- 弱さ・未熟さの証
として扱われやすい。
結果:
- 不安は共有されず
- 市場に回収される
→ 誰にも言えない不安ほど、金になる。
2-2 「中間集団」の消失
かつてあった:
- 地域
- 職場の共同体
- 宗教(制度宗教として)
これらが弱体化した結果、
- 不安を雑に受け止める場所が消えた
- 代わりに
- 専門家
- 商品
- アプリ
が介在する
不安が
関係ではなく、取引で処理される。
2-3 責任の個人化
日本社会では、
- 構造的問題 → 個人の努力不足
- 適応できない → 心の弱さ
と翻訳されやすい。
自己啓発・IT・新宗教は、
「あなたが変われば世界は解決する」
という、
一見優しく、実は残酷な物語を提供する。
2-4 専門家の沈黙と断定の空白
- 専門家は慎重
- メディアは単純化を好む
この隙間に、
- 強い言葉
- 明快な断定
- 善悪二元論
が流れ込む。
不安は、説明されないと、利用される。
3 回復モデル・実存療法との接点
3-1 回復モデル:不安は消すものではない
回復モデルは、
- 症状の消失
- 不安のゼロ化
を目標にしません。
むしろ:
- 不安があっても生きられる
- 不安と折り合いながら意味を持てる
→ 不安を人生の構成要素として再配置する
これは、不安ビジネスの真逆です。
3-2 実存療法:不安は条件である
実存療法では、不安は
- 避けるべきものではなく
- 生の条件(死・自由・孤独・意味)
不安言説は、
この条件から目を逸らすための仮構
と読むことができる。
治療は:
- 仮構を暴くことではなく
- 条件に耐える力を育てること
3-3 「意味」を商品にしない
フランクル的に言えば、
- 意味は「与えられるもの」ではない
- 教えられると、むしろ空洞化する
回復モデル/実存療法が大事にするのは、
- 小さく、個別的で
- 他人には売れない意味
これが市場に回収されない理由です。
3-4 臨床の役割の再定義
臨床は、
- 不安を治す場所
ではなく - 不安が語られ、考えられ、共有される場所
である。
この場所が存在する限り、
- 不安は宗教にならず
- 不安は商品にならず
- 不安は支配にならない
結語
不安をなくそうとする社会は、
必ず不安を売る者を生む。
臨床ができる最小で最大の抵抗は、
不安を急がせないことである。
1 まず前提:CBTそのものは「不安ビジネス」ではない
これははっきりさせておきたい。
- 本来のCBTは
- 技法の束
- 仮説検証の枠組み
であって、
- 人生観・世界観・倫理を一つに決める理論ではない
問題は
CBTが社会の要請と結合したときに起きる変質です。
2 CBTに対する典型的な誤解
2-1 「不安は歪みである」という誤解
よくある理解:
不安=非合理
修正すべき認知
しかし実際にはCBTでも:
- 不安はしばしば
- 合理的
- 現実的
- 適応的
問題にされるのは
不安そのものではなく、不安が行動を硬直させる点。
誤解されたCBTは、不安を「悪」にしてしまう。
2-2 「正しい考え方がある」という誤解
誤った運用では:
- 治療者が「正解」を持つ
- クライアントはそれに近づく
これはCBTの皮をかぶった規範訓練です。
本来のCBTは:
- 思考は仮説
- 現実で検証する
- うまくいかなければ捨てる
→ 思想ではなく道具
2-3 「すぐ効く=よい治療」という誤解
CBTは:
- 構造化
- マニュアル化
- 効果測定が可能
ゆえに:
- 短期
- 即効
- 成果主義
と結びつきやすい。
しかし、
- 早く効くことと
- 深く効くこと
は別です。
3 CBTと不安言説の“危険な接点”
ここが重要です。
3-1 「不安はコントロール可能」というメッセージ
社会がCBTを使うとき、
しばしばこう翻訳されます。
不安はスキルで管理できる
できないのは努力不足
これは:
- 自己啓発
- IT最適化
と完全に同型
CBTが
自己責任論の補助輪になる瞬間です。
3-2 測定可能性の罠
- スコア
- 評価尺度
- 改善率
これらは研究には必要ですが、
臨床では:
- 数値が下がっても、生は痩せる
- 不安は減っても、意味が消える
という逆転が起きる。
3-3 文脈の剥奪
CBTは「ここ・いま」を扱いやすい。
その結果:
- 歴史
- 関係
- 社会構造
が見えなくなる。
不安が
個人の頭の中に閉じ込められる。
4 回復モデル・実存療法との決定的な違い
4-1 不安の位置づけ
| 観点 | CBT | 回復モデル/実存 |
|---|---|---|
| 不安 | 介入対象 | 生の条件 |
| 目標 | 機能回復 | 生き方の回復 |
| 評価 | 行動・症状 | 意味・関係 |
| 治療者 | 技法提供者 | 同伴者 |
4-2 時間の扱い
- CBT:
- 未来の改善を設計する
- 実存:
- 過去・現在・未来を抱える
不安言説は常に
「未来の恐怖」を使う。
実存療法は
時間を厚くすることで対抗する。
5 それでもCBTを使うとしたら
ここが現実的な落としどころです。
5-1 CBTを「主治療」にしない
- CBTは補助輪
- 松葉杖
- 道具箱の一つ
世界観にしない。
5-2 不安を“検証”ではなく“翻訳”する
- この不安は何を守っているか
- どんな価値を含んでいるか
CBT技法を
意味の探索に従属させる。
5-3 成果指標を一つにしない
- スコアは下がったか
- 生活は広がったか
- 関係は回復したか
- 判断を急がなくなったか
複数の軸を持つ。
6 よくある臨床的誤解への一言ずつ
- 「CBTは浅い」
→ 浅く使われやすいだけ - 「CBTは人間を型にはめる」
→ 型にしたがるのは制度 - 「CBTは実存と対立する」
→ 対立するのは誤用されたCBT
結語
CBTは、
不安を「減らす力」を持つ。
しかし臨床が守るべきなのは、
不安に耐えながら生きる力である。
CBTがそれに従う限り、
有用であり、危険ではない。
