「数学が自然理解に有効なのは、脳が進化の中で世界の構造に適応してきたからではないか」
という仮説を、理論的に整理し、しかも専門知識のない読者にも分かるように、書きます。
外部実在と脳
― なぜ数学は自然にこれほど有効なのか ―
(進化論的認識論の精密化)
1 奇妙な事実から出発する
たとえば、
Leonhard Euler の公式
[
e^{i\pi}+1=0
]
あるいは
Albert Einstein の式
[
E=mc^2
]
これらを見ると、多くの人が「美しい」と感じる。
しかし冷静に考えると、もっと奇妙な事実がある。
それは――
なぜ、紙の上の記号操作が、宇宙の現象を正確に予言できるのか?
これは決して当たり前ではない。
- 数学は人間が作った記号体系である。
- 自然は人間とは無関係に存在している。
それなのに、両者は驚くほど一致する。
この一致は、なぜ起こるのだろうか。
2 単なる「便利さ」ではない
「数学は便利な道具だから」と言うこともできる。
しかしそれでは十分ではない。
数学は単に整理するだけでなく、
- 惑星の位置を予言し
- 光の振る舞いを記述し
- 原子の構造を予測し
- ブラックホールの存在まで予見した
つまり、まだ観測されていない現象まで言い当てる。
これは偶然とは思えない。
3 二つの極端な立場
この問題に対して、大きく二つの考え方がある。
① 純粋実在論
自然の側に数学的構造がある。
人間はそれを「発見」しているだけだ、という立場。
② 純粋構成主義
数学は人間の頭の中の構成物であり、
自然に当てはまるのは偶然か、あるいは定義の問題だ、という立場。
しかしどちらも十分ではない。
4 進化論的認識論という第三の道
ここで登場するのが、
Konrad Lorenz が提唱した
「進化論的認識論」である。
考え方は単純である。
仮定1
世界にはある程度の規則性がある。
仮定2
その規則性を正しく把握できた個体のほうが、生存に有利である。
この二つが正しければ、どうなるか。
規則性をうまく捉える神経系を持つ個体が生き残る。
捉えられない個体は淘汰される。
その結果、
世界の構造にある程度似た脳構造が選択される。
5 脳は世界の写像装置である
重要なのはここである。
進化は「真理」を目指しているわけではない。
目指しているのは「生存」である。
しかし、
- 重力をある程度正しく把握できなければ落下する。
- 因果関係を理解できなければ危険を避けられない。
- 数量を把握できなければ資源管理ができない。
したがって、生き延びるためには、
世界の法則をある程度内部に写し取る必要がある。
脳は、世界の構造を完全には写さない。
しかし生存に十分な精度で写す。
この「写像能力」が高度化した結果、
抽象化能力が生まれ、数学が生まれたと考えられる。
6 なぜ「高度な数学」まで可能なのか
ここで疑問が生じる。
狩猟採集に必要なのは、せいぜい数の感覚や空間認識である。
それなのに、なぜ微分方程式や量子力学まで可能なのか。
答えは「抽象化の拡張」にある。
脳は
- パターンを抽出し
- 共通構造を見抜き
- 記号化し
- それを再操作する
という能力を進化させた。
この能力は本来、生存のためだった。
しかし一度獲得されると、
それは生存を超えて、純粋理論へと拡張される。
つまり、
数学は、生存のために進化した認知装置の“副産物”が極限まで発達したもの
と見ることができる。
7 では、自然法則は「脳の産物」か?
ここで誤解してはいけない。
進化論的認識論は、
自然法則が頭の中の幻想だと言っているわけではない。
世界に規則性がなければ、
そもそも脳は進化できなかった。
しかし同時に、
規則性を「法則」という形で切り出し、
方程式にまとめ、
対称性や保存則として表現するのは、
脳の働きである。
だからこう言える。
自然法則は、
世界の側の構造と、
脳の側の抽象能力の、
共同作品である。
8 なぜ「半分ずつ」なのか
この問題を整理すると、三層構造になる。
① 世界に客観的な規則性がある
② それをある程度写し取る脳が進化した
③ その写像をさらに抽象化したものが数学である
数学が有効なのは、
- 世界が無秩序ではないからであり
- 脳がその秩序に適応してきたからである
どちらか一方だけでは説明できない。
9 偶然か、必然か
最後に、重要な問いが残る。
それでもなお、
高度に抽象的な数学が宇宙に適合することは、
単なる進化適応を超えているようにも見える。
ここで二つの可能性がある。
- 宇宙は本質的に数学的構造を持っている
- あるいは、数学的に捉えられる部分だけを私たちは「理解可能な世界」と呼んでいる
どちらが正しいかは分からない。
しかし少なくとも言えることは、
数学が有効なのは奇跡ではなく、
生物進化の延長線上にある現象として理解できる可能性がある
ということである。
10 結論
数学は天から降ってきたものではない。
それは、
- 規則性をもつ宇宙と
- その規則性に適応してきた脳と
- 抽象化能力の爆発的拡張
の交差点に生まれた。
だから数学は自然に有効なのである。
驚くべきことではあるが、
魔法ではない。
それは、
宇宙と生命が長い時間をかけて作り上げた
静かな必然なのかもしれない。
