進化論的認識論は魅力的ですが、
そのままではいくつかの深刻な哲学的問題を抱えています。
数学はなぜ自然を予言するのか
― 進化論的認識論への批判的考察 ―
Ⅰ 進化論的認識論の主張
コンラート・ローレンツは、
カント的なアプリオリを進化論的に再解釈した。
人間の認識形式は、生存に適した神経構造の産物である。
環境の法則に適合しない認識様式は淘汰された。
ゆえに、我々の認識は自然の構造とある程度対応している。
この立場は、数学と自然の一致を
神秘に訴えず説明しようとする点で強力である。
しかし、この説明は本当に十分だろうか。
Ⅱ 第一の問題:適応は真理を保証しない
進化は「真理」を選択しない。
選択するのは「生存に有利かどうか」である。
錯覚や単純化が生存に有利なら、それも残る。
例えば、
私たちの視覚はニュートン力学的世界を前提としている。
しかし自然は量子的であり、相対論的である。
我々は量子重ね合わせを直感できないし、
曲がった時空を感覚的に把握できない。
もし進化が認識の正確さを保証するなら、
なぜ我々は量子論を直感できないのか。
つまり、進化は
中規模スケールの環境への適応は説明できるが、
高度に抽象的な理論数学の成功までは説明しにくい。
Ⅲ 第二の問題:数学の過剰
数学はしばしば、
現実よりもはるかに豊かである。
無限次元ヒルベルト空間、
高次元対称群、
複素解析の精緻な構造。
これらの多くは、
生存環境とは無関係に発展した。
しかし後になって、
それらが物理理論の中核となる。
たとえば、
ポール・ディラックの方程式は、
群論的構造に基づいて構築された。
なぜ進化的適応が、
そのような高度抽象数学への道を開いたのか。
進化論的説明は、
「基礎的な直観」までは説明できるが、
「理論数学の無制限な拡張力」を説明するには弱い。
Ⅳ 第三の問題:自己言及の困難
もし我々の認識能力が
進化の産物であるなら、
進化論そのものもその産物である。
ここに自己言及が生じる。
進化によって形成された認識能力が
進化の真理を保証できるのか。
この問題は、
認識論的自然主義全般に共通する。
進化論的認識論は、
自らの信頼性をどのように正当化するのか。
Ⅴ 第四の問題:対称性と美の客観性
現代物理学は、
対称性を中心原理として理論を構築している。
標準模型は群論的対称性に基づく。
ピーター・ヒッグスの理論も、
対称性破れから導かれた。
物理学者はしばしば
「美しい理論は正しい」と語る。
しかし、美が進化的適応の結果なら、
それは主観的嗜好にすぎないのではないか。
なぜ宇宙は
私たちの進化的感性と整合する形で
対称的なのか。
ここで再び、
偶然か必然かという問いが戻ってくる。
Ⅵ 代替的視点
進化論的認識論を補強するためには、
他の立場との接続が必要である。
1. 構造実在論
自然の本質は「構造」にあるとする立場。
数学が成功するのは、
我々が構造を捉えているからだと考える。
2. 情報理論的宇宙観
宇宙を情報処理系として理解する立場。
数学は情報圧縮の極限形式とみなされる。
3. プラトニズム
数学的構造は人間とは独立に存在するという立場。
進化は単にそれを「発見する能力」を与えただけ。
進化論的認識論は、
これらの立場のどれとも緊張関係にある。
Ⅶ 暫定的結論
進化論的認識論は、
「なぜ基本的認識形式が自然と合うのか」
という問いには有力な答えを与える。
しかし、
- 抽象数学の過剰性
- 理論物理の極端な成功
- 自己言及の問題
を単独で説明するには不十分である。
したがって、
進化論的認識論は
必要条件の説明ではあっても、十分条件ではない
と考えるのが妥当であろう。
Ⅷ 最後に残る問い
もしかすると、
自然は
単に我々を生存させただけでなく、
自らの深層構造を理解させる方向へも
進化を推し進めたのだろうか。
それとも、
数学と自然の一致は、
我々が成功した部分だけを見ている
認識のバイアスにすぎないのだろうか。
この問いはまだ開かれている。
