数学の有効性と構造実在論
― 進化論的認識論からの接続の試み ―
要旨
本稿は、数学が自然科学において示す顕著な有効性を、進化論的認識論の枠組みから再構成し、それを構造実在論へ接続することを目的とする。まず、数学の成功をめぐる実在論と構成主義の対立を整理する。次に、進化論的認識論に基づき、認知構造が世界の規則性への適応として形成された可能性を論じる。そのうえで、世界の本質を「個物」ではなく「構造」に求める構造実在論の立場を導入し、数学の有効性が「構造の適合」という観点から自然化されうることを示す。結論として、自然法則は外部世界の構造と進化した認知構造の同型性に基づくと提案する。
1 問題の所在
数学は自然科学において単なる記述手段を超え、予言的能力を発揮してきた。
e^(iπ) + 1 = 0
E = mc^2
といった関係式は、異なる概念群を単一の構造のもとに統合する。この成功は偶然ではないように見える。
問題は次のように定式化できる。
- 数学は人間の構築物である。
- 自然は人間とは無関係に存在する。
- それにもかかわらず数学は自然を精密に記述する。
この三点の整合性をいかに説明するかが課題である。
2 実在論・反実在論の限界
2.1 素朴実在論
素朴実在論は、自然そのものが数学的構造を持ち、我々はそれを発見していると考える。しかしこの立場は、人間の認知能力がなぜその構造を把握できるのかという問いを未解決のまま残す。
2.2 反実在論・構成主義
構成主義は、数学を認知的構築物とみなし、その成功を道具的有効性に還元する。しかしこの立場では、理論数学がしばしば経験を先取りして物理的現象を予測する事実を十分に説明できない。
両者は対立的でありながら、いずれも数学の「過剰な成功」を説明しきれない。
3 進化論的認識論
ここで進化論的認識論が中間的立場を提供する。
その代表的提唱者である Konrad Lorenz は、認識能力を自然選択の産物として理解した。
基本仮定は以下の通りである。
- 世界には一定の規則性が存在する。
- その規則性をより正確に把握する個体は生存に有利である。
この条件のもとでは、世界の構造を近似的に写像する神経系が進化することが合理的に予想される。
したがって、認識は世界の構造に対する適応である。
4 構造実在論の導入
構造実在論は、世界の本質を個々の実体ではなく「関係構造」に求める立場である。
この立場では、
- 我々が知りうるのは対象の「本体」ではなく
- 対象間の関係的構造である
とされる。
科学理論が理論交代を経ても保存するのは、しばしば個別的存在ではなく、方程式的構造や対称性であるという事実が、その動機づけとなっている。
5 進化論的認識論と構造実在論の接続
両者を接続する鍵は、「同型性(isomorphism)」である。
進化論的認識論は、脳が世界の規則性を写像する装置として形成されたと考える。
構造実在論は、世界の本質を構造に求める。
もし脳が写像しているのが「構造」であるならば、数学の成功は次のように説明できる。
- 世界は構造的秩序を持つ。
- その秩序を近似的に反映する神経構造が進化した。
- 数学はその神経構造を抽象化した体系である。
このとき、数学と自然の一致は奇跡ではなく、「構造の同型性」の結果となる。
6 自然法則の再定義
以上を踏まえると、自然法則は次のように再定義できる。
自然法則とは、
外部世界に存在する関係構造と、
それを抽象化する認知構造との安定的対応関係である。
ここでは法則は単なる外在的実在でもなく、純粋な主観的構築物でもない。
それは構造的実在と進化した認知装置の交差点に成立する。
7 理論的含意
この立場は三つの含意を持つ。
- 数学の有効性は自然化可能である。
- 実在論と反実在論の二分法を超える。
- 科学理論の発展は構造保存の歴史として理解できる。
さらに、理論数学が経験を先取りする場合も、構造的整合性の探究として説明可能となる。
8 結論
数学の自然への適合は、世界の構造と認知構造の適合として理解できる。
構造実在論は世界の側の構造性を強調し、進化論的認識論は認知側の適応性を強調する。
両者を統合することで、数学の有効性は次のように定式化される。
数学は、構造的宇宙と構造的認知との対応関係の表現である。
この対応が成立する限り、数学の成功は偶然ではなく、必然的帰結として理解される。
