自我障害における「時間遅延モデル(Time-Delay Model)」 時間遅延モデル-15

精神医学的論文の形式で、2008年版の階層構造(オートマトンと自意識)と2026年版の信号処理モデル(信号AとBの時差)を統合し、初心者にも理解できるよう記述します。


論文:自我障害における「時間遅延モデル(Time-Delay Model)」

――能動性と自己所属感の発生機序に関する計算論的考察――

執筆者: Tadashi Kon 2026
要旨: 自我障害(させられ体験、幻聴、自生思考等)の本質は、脳内における「内部シミュレーション信号」と「現実の感覚フィードバック信号」の到着時間のズレにある。本論文では、脳を「自動機械(オートマトン)」と「自意識(シミュレーター)」の二階層モデルとして捉え、両者の信号照合部位における到着順序によって、いかにして正常な能動感が成立し、またいかにして多様な精神症状が派生するかを論理的に説明する。


1. はじめに:自我障害という謎

精神医学において、ヤスパスやシュナイダーが記述した「自我障害」は、患者の主観において「自分が自分ではない」「誰かに操られている」と感じる極めて特異な現象である。
従来の記述精神医学はこれらを症状として列挙してきたが、なぜ「自分の考え」が「他人の声(幻聴)」に変わり、「自分の動き」が「他者の意志(作為体験)」に変わるのか、その統一的なメカニズムは十分に解明されていない。本論文は、これを「脳内信号の到着時間の時間差」という極めてシンプルなモデルで解明することを目的とする。


2. 脳の二階層構造モデル:オートマトンと自意識

本モデルでは、脳の機能を大きく二つの「世界モデル」に分けて考える。

2.1 世界モデル1:自動機械(オートマトン)

進化の過程で早期に獲得された、S-R(刺激-反応)を基本とする回路である。小脳を中心とした運動制御などがこれに該当する。私たちが歩く時、いちいち「右足を出そう」と考えなくても動けるのは、このオートマトンが背景で機能しているからである。

2.2 世界モデル2:自意識(シミュレーター)

人間において高度に発達した「自己の内面を反省する意識」である。これの最大の利点は、実際に動く前に脳内で「シミュレーション」ができることにある。この機能により、人間は失敗を予測し、生存確率を高めることができる。


3. 核心理論:信号Aと信号Bの時間遅延

本モデルの核心は、脳内の「照合部位」に届く2つの信号の到着順序である。

  • 信号A(現実信号): 実際に運動系が動き、感覚器(視覚・触覚等)を通じて「事象が起こった」と脳に届くフィードバック信号。
  • 信号B(予測信号): 自意識(世界モデル2)がシミュレーションの結果として「これからこうなるはずだ、これは自分の意志だ」と発行する予測信号。

この2つの信号が照合部位に届くタイミングによって、私たちの「自己意識の質」が決定される。

3.1 正常な状態:能動感の成立(B < A)

「信号B(予測)が先に到着し、その後に信号A(現実)が届く」
脳は「予測していたことが、その通りに起こった」と判断する。このとき、主観的には「私がそれを行った」という強固な能動感(Sense of Agency)自己所属感(Sense of Ownership)が発生する。これが「思い通りになった」という正常な意識の状態である。

3.2 異常な状態:被動感と自我障害(A < B)

何らかの病理的要因(ドーパミン過剰など)により、信号Bの到着が遅れる、あるいは信号Aが不適切に早く処理された場合、順序が逆転する。

  1. 作為体験(させられ体験):
    信号A(動いた)が先に届き、信号B(自分の意志)が後から届く。主観的には「体が先に動き、後から自分の意志が追いつく」ことになる。このタイムラグにより、脳は「自分ではない何かがこの体を動かした」と解釈せざるを得なくなる。
  2. 幻聴・思考化声:
    自分の内言語(思考)が生成されるプロセスにおいて、信号A(思考の発生)が先に意識に登り、信号B(これは自分の思考だというタグ付け)が遅れる。すると、自分の考えが「外から聞こえてくる声」として体験される。
  3. 自生思考(A ≒ B):
    両者がほぼ同時に到着する場合。自分が考えているのか、勝手に湧いてくるのかが判然としない、境界線上の違和感として現れる。

4. 疾患別の病態解釈

4.1 統合失調症

統合失調症の陽性症状(一級症状)は、この「信号Bの著しい遅延」によって説明できる。
脳内の世界モデルが現実と乖離し、シミュレーションと現実の照合が時間的に破綻している状態である。患者は「自分の世界」の中に「他者の意志」が侵入してくる監獄のような状態に置かれる。この遅延を修正しようとして、二次的に「被害妄想」などの論理的説明が構築されるのである。

4.2 強迫性障害(OCD)

OCDは「自意識(モデル2)と自動機械(モデル1)の連結不全」として解釈できる。
オートマトンが勝手に「手を洗う」「確認する」という動作を繰り返すが、自意識側はそれを「やめたい」とシミュレートしている。しかし、両者の回路が遮断されている(あるいは連結が弱い)ため、自意識がオートマトンを制御できない。「自分がやっているのは分かっているが、意図に反している」という、能動性の部分的な解離状態である。

4.3 離人症

離人症は「シミュレーションの失敗」である。
世界モデルが現実世界を正しく予測できなくなると、対象に対する「なじみ深さ」や「生々しさ」が失われる。信号の順序逆転までは至らないものの、信号Bの精度や強度が著しく低下した状態といえる。


5. 神経科学的および薬理学的考察

本モデルは、脳の解剖学的知見とも合致する。

  • 小脳の内部モデル: 伊藤正男氏が提唱した小脳による運動制御モデルは、本モデルの「世界モデル1」の実体に近い。
  • ドーパミンの役割: 中脳辺縁系のドーパミン過剰は信号の伝達速度やサリエンス(重要性)に影響を与え、到着時間のズレを引き起こす。D2ブロッカー(抗精神病薬)がこれらの症状を緩和するのは、信号A(12の経路)の過剰な伝達を抑制し、相対的に時間の整合性を取り戻すためであると解釈できる。

6. 結論:治療とリハビリテーションへの示唆

「時間遅延モデル」は、自我障害を「意志の弱さ」や「性格の問題」ではなく、「脳内のタイミング・デバイスの故障」として物理的に定義する。

精神療法においては、この「からくり」を患者自身が理解することが重要である。自分の体験している「させられ体験」が、脳内の到着時間のズレによる「解釈の誤り」だと知ることで、妄想への発展を食い止める「心理的足場」を提供できる。
また、リハビリテーションにおいては、感覚フィードバックを強化する訓練(上田敏氏が提唱するような階層的な再構築)を通じて、信号AとBの再同期を図ることが有効であると考えられる。


あとがき(15年の時を経て)

2008年当時の直感は、2026年の現代において、より精緻な「計算論的精神医学」の枠組みと合致するようになった。最小限の仮定(オッカムの剃刀)を用い、信号の先後関係という「美しくエレガントな」論理で、複雑な精神症状を網羅的に説明できる可能性を本論文は示している。

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