- 精神医学における「錯誤認識」の進化論的解釈
- 妄想を「情報構造の破綻」として理論化する試み
を、先に展開した
- 進化論的認識論
- 構造実在論
- 情報存在論
の延長として、提示します。
錯誤認識と妄想の進化論的・情報構造論的理解
― 認知適応と構造破綻の理論的枠組み ―
要旨
本稿は、精神医学における錯誤認識および妄想を、進化論的認識論および情報構造論の観点から再解釈することを目的とする。まず、認知は生存適応として進化した構造写像機構であるという前提を確認する。次に、錯誤認識を「適応的ヒューリスティックの副作用」として理解する可能性を検討する。さらに、妄想を情報構造の統合的破綻として理論化し、認知システム内部の整合性維持機構の異常として位置づける。結論として、妄想は単なる内容の誤りではなく、情報的整合性の再編成の結果であると提案する。
1 認知の進化論的前提
進化論的認識論によれば、認知機構は真理の追求装置ではなく、生存適応装置である。
この立場は Konrad Lorenz によって理論化された。
基本仮定は単純である。
- 世界には一定の規則性が存在する。
- その規則性を適切に把握できる個体は生存に有利である。
したがって、認知は「世界の構造の近似写像」として進化する。
しかし重要なのは、「近似」であるという点である。
認知は完全な写像ではない。
2 錯誤認識の進化論的理解
2.1 ヒューリスティックとしての認知
生存環境においては、迅速な判断が求められる。
たとえば、
- 茂みが揺れた → 捕食者かもしれない
- 表情が険しい → 敵意があるかもしれない
ここでは「誤検出(false positive)」のほうが「見逃し(false negative)」より安全である。
その結果、過剰検出傾向が進化的に有利になる場合がある。
これは「適応的バイアス」である。
2.2 錯誤は副作用である
錯誤認識の多くは、
- パターン過剰検出(壁の染みが人間の顔に見える。雲がウサギに見える。)
- 因果過剰帰属
- 意図過剰帰属
といった傾向の副産物と理解できる。
この観点では、錯誤は異常ではなく、
適応機構の副作用である。
3 妄想の理論的位置づけ
錯誤認識が軽度で可逆的であるのに対し、妄想は
- 確信が強固で
- 反証に耐え
- 全体的世界像を再構成する
という特徴を持つ。
ここで必要なのは、単なる「内容の誤り」以上の説明である。
4 情報構造としての認知
情報存在論の立場では、認知は情報構造の統合過程である。
認知システムは、
- 感覚入力
- 記憶
- 感情評価
- 予測モデル
を統合し、一貫した世界モデルを維持する。
この統合の鍵は「整合性」である。
人間の脳は、情報の断片を可能な限り整合的に再構成する傾向を持つ。
5 妄想を「情報構造の破綻」として捉える
妄想を次のように定式化できる。
妄想とは、
情報統合過程において局所的整合性を優先した結果、全体的整合性が破綻した状態である。
より具体的には:
- 異常体験(知覚変容、情動変容)が発生する。
- 認知システムはそれを説明しようとする。
- 局所的に最も整合的な仮説が採用される。
- その仮説が全体モデルを再構築する。
このとき、仮説は内部的には整合的であっても、
外界との整合性を失う。
6 進化論的視点からの妄想
妄想は、進化的に有利だった認知傾向の極端化として理解できる。
- 意図検出の過剰化 → 被害妄想
- 特殊性帰属の過剰化 → 誇大妄想
- 因果探索の過剰化 → 関係妄想
ここでは、通常機能が過剰に作動している。
妄想は「無秩序」ではなく、
過剰秩序化である。
7 構造実在論との接続
構造実在論では、我々が把握しているのは関係構造である。
妄想において破綻しているのは、世界の本体ではなく、
- 関係構造の再構成
- 因果ネットワークの再編
である。
つまり妄想は、
世界構造の再マッピングである。
8 臨床的含意
この理論的枠組みは、臨床に三つの示唆を与える。
- 妄想は意味のない誤りではなく、整合性維持の試みである。
- 治療は「誤りの否定」ではなく、構造の再調整である。
- 情報的整合性の回復が目標となる。
妄想を単に「非合理」と断ずるのではなく、
情報構造の再編成として理解することが重要である。
9 結論
認知は進化的適応である。
錯誤はその副作用である。
妄想は情報構造の局所的整合性優先による全体破綻である。
この視点は、
- 生物学
- 哲学
- 情報理論
- 精神医学
を架橋する可能性を持つ。
妄想は、世界から逸脱した無意味な産物ではない。
それは、
整合性を求め続ける認知機構の、過剰で悲劇的な帰結である。
(付論)
患者は、異常体験(知覚変容、情動変容)の生々しさ、実体感を到底否定できない。そこで、その体験の確実さを最優先し、局所優先・全体破綻に至る。
妄想は、最終形態としては、思考形式を蝕むに至り、了解不可能となり、ただわずかに説明可能となる。
これはヤスパースの結論である。
しかし、妄想の原初の時点では、異常体験の堅固さをくみ取り勘案して、異常を無視して一旦出発点として据えるならば、その後の論理展開は了解可能となる例もあると、臨床経験から考えている。
論理は崩れていない。
その様子は、非ユークリッド幾何学のようなもので、前提がおかしいから、全体はおかしなものになるのだが、論理過程は整然として正しいのである。純粋型パラノイアの例を考えているが、しかし、最近ではパラノイアとか妄想症とかの用語の内容自体に共通理解が失われつつあるようである。
その場合の疑問点は、「なぜ最初の異常体験は、それほどまでに訂正不可能なのか」であろう。聞いたものは聞いたのだ、分かったものは分かったのだとして、訂正の可能性を全く否定してしまう。なぜなのか。
仮に、それが脳の内部の誤情報だったとして、と仮定を置くこともできない。
前提の間違いを考えることは難しいのだろうが、少なくとも、間違いもあるだろうと仮定してみてもよいと思うが、そうではない。
