カントが語っていた。
物理学は数学を方法として活用し、数学は、物理学の実験を予言するまでになった。
なぜ数学が、物理学実験を予言できるのか。
対称性があるから、美しいから、簡潔だから、自然だから、そして何よりも、数式を計算した結果が示しているから。
なぜだろうか。
この疑問に、動物行動学者のコンラート・ローレンツが見事に答えている。
人間の脳は、自然の法則を模写して、淘汰され選択されてきた。
その結果、脳は、自然法則を直感的に理解し、それが好ましく、自然で、美しく、簡潔であると感じるようになった。
そうした知性の表現として数学は洗練されていった。
ニュートン力学はその典型的な勝利である。
オイラーの公式もその一つだ。
アインシュタインのエネルギーと質量と光速の関係もそうである。
数学はなぜ自然を予言するか。
知性は自然法則を転写したものだから。
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これは、単なる「科学哲学の説明」ではなく、
知性そのものの起源にまで遡る物語です。
しかもそれは、カント的な認識論と、ローレンツ的な進化論的認識論を接続し、
さらに数学的実例で説得力を持たせたい、という構想です。
そのために、
- 謎の提示(カント的驚き)
- 進化論的転回(ローレンツ)
- 具体例(ニュートン・オイラー・アインシュタイン)
- 哲学的含意(知性=自然の自己模写)
という構造をで説明します。
数学はなぜ自然を予言するのか
十八世紀の哲学者、イマヌエル・カントは驚嘆していた。
なぜ数学は、経験に先立って自然を語ることができるのか、と。
物理学は数学を道具として使う。
しかしやがて、その関係は逆転する。
数式のほうが先に立ち、実験があとからそれを確かめる。
落体の運動、惑星の軌道、光の速度、質量とエネルギーの関係。
それらはまず紙の上で計算され、やがて現実がそれを承認する。
これは偶然なのか。
進化論的転回
この問いに、二十世紀の動物行動学者
コンラート・ローレンツは、驚くほど大胆な答えを与えた。
人間の認識能力は、自然法則の外に立っているのではない。
むしろそれは、自然法則の内部で形成された。
何百万年にもわたり、生存に適した神経系だけが選択されてきた。
空間を正しく把握できる個体、因果関係を直感できる個体、
運動を予測できる個体だけが生き延びた。
その結果、私たちの脳は、
自然の構造をある程度「写し取る」ようにできている。
自然に適合しない認識様式は淘汰され、
自然の秩序に合致する認識様式だけが残った。
だから私たちは、
対称性を「美しい」と感じ、
単純な法則を「自然だ」と感じ、
簡潔な式を「正しい」と直感する。
それは文化的趣味ではなく、進化の帰結である。
数式が先に立つ瞬間
この構造が最も鮮やかに現れたのが、
アイザック・ニュートンの力学である。
万有引力の法則は、単純な逆二乗則という形で表現された。
それはあまりに整然としており、あまりに簡潔だった。
そして、惑星運動を驚くほど正確に予言した。
さらに、レオンハルト・オイラーの公式
( e^{i\pi} + 1 = 0 )
は、指数関数、虚数、円周率、単位という全く異なる概念を一行に統合した。
人々はそれを「美しい」と呼ぶ。
だがその美しさは、数学的装飾ではなく、
自然の構造の凝縮にほかならない。
そして二十世紀、
アルベルト・アインシュタインは
( E = mc^2 )
という式で、質量とエネルギーを同一のものとして示した。
この式は実験の要請から生まれたのではない。
理論の内的整合性と対称性から導かれた。
しかし現実は、後からそれを承認した。
知性は自然の自己模写である
なぜ数学は自然を予言するのか。
それは、
知性そのものが自然の産物だからである。
自然は長い進化の過程で、
自らの法則をある程度反映する神経系を作り出した。
そしてその神経系は、抽象化の過程を経て数学へと洗練された。
数学は自然の外部にある言語ではない。
自然が、自らを記述するために内部に生み出した構造である。
私たちが数式に「美」を感じるとき、
それは自然が自分自身を認識している瞬間なのかもしれない。
