以下に、前稿の理論枠組み(精度揺らぎモデル × 予測処理 × 実存精神療法)を維持しつつ、**詳細な臨床症例を追加して提示します。
精度揺らぎとしての精神病理
― 予測処理理論・双極スペクトラム・実存精神療法の統合モデル ―
要旨
本稿は、予測処理理論に基づく精度(precision)配分モデルを用いて、双極性障害および統合失調症を統一的に説明し、実存精神療法との統合を試みる。躁状態を「探索モードの暴走」、抑うつ状態を「負の誤差固定」、統合失調症を「階層的精度崩壊」と再定式化する。さらに、詳細な臨床症例を通じて理論的妥当性を検討し、治療的含意を提示する。
1.理論的枠組み
予測処理理論は、脳を階層的生成モデルによる予測誤差最小化装置とみなす。その数理的基盤は自由エネルギー原理にある(Karl Friston)。
[
Posterior \propto Prior \times Likelihood
]
ここで精度(precision)は、誤差または信念への重みづけであり、精神病理はこの精度配分の異常として理解される。
2.臨床症例Ⅰ:躁状態 ― 探索モードの暴走
症例1(40代男性・双極Ⅰ型)
経過
- 突然の起業計画を複数立案
- 深夜まで活動し睡眠2時間
- 「自分には特別な使命がある」
- 500万円の無計画投資
家族が受診を勧奨。
精度モデルによる解釈
躁状態では、
[
Precision_{reward} \uparrow
]
[
Precision_{risk} \downarrow
]
結果:
- 期待価値過大評価
- 行動閾値低下
- 失敗シグナルの軽視
観念奔逸は、高温度探索(high temperature exploration)と同型である。
実存的解釈
患者は「世界が開けている」「全てが可能だ」と語った。
これは可能性の過剰開放であり、存在の地平が過剰に拡張された状態と理解できる。
3.臨床症例Ⅱ:抑うつ状態 ― 負の誤差固定
症例2(30代女性・双極Ⅱ型)
経過
- 昇進評価を受けた直後に抑うつ発症
- 「自分は失敗するに違いない」
- 日中臥床
- 将来悲観
精度モデルによる解釈
抑うつでは、
[
Precision_{negative\ error} \uparrow
]
[
Precision_{positive\ error} \downarrow
]
小さな失敗が強化学習的に固定される。
結果:
- 未来予測が負方向へ収束
- 行動停止
実存的解釈
患者は「未来が閉じている」と表現した。
可能性の地平が収縮している状態である。
4.臨床症例Ⅲ:統合失調症 ― 階層的精度崩壊
症例3(20代男性)
経過
- 電車内で「皆が自分を見ている」
- 「ニュースは自分への暗号」
- 思考吹入体験
精度モデルによる解釈
[
Precision_{sensory\ error} \uparrow
]
無関連刺激が高精度化。
さらに、
[
Precision_{self\ model} \downarrow
]
自己生成信号の精度低下。
結果:
- 関係妄想
- 主体感の揺らぎ
実存的解釈
患者は「世界が異様に意味を帯びる」と語った。
これは意味の暴走であり、世界構造の不安定化である。
5.臨床症例Ⅳ:Schizoaffective ― 階層横断振動
症例4(30代女性)
経過
- 躁状態で誇大的妄想
- 抑うつ相で被害妄想
- 気分変動と精神病症状が同期
理論的解釈
[
Precision_{multi-level}(t)
]
- 上位自己モデル精度振動
- 感覚誤差精度不安定
結果:
- 気分振動
- 妄想形成
これは精度の階層横断的揺らぎである。
6.治療的含意
6.1 薬物療法
ドーパミンは精度符号化に関与。
- 躁:過剰精度抑制
- 抑うつ:報酬精度回復
- 統合失調症:サリエンス正常化
6.2 CBTの再定義
CBT = 精度再配分訓練
- 躁:リスク精度回復
- 抑うつ:正誤差精度上昇
- 精神病:ノイズ精度低減
6.3 実存精神療法
実存療法は、
- 不確実性の受容
- 誤差との共存
- 可能性の再構築
を支援する。
高次生成モデルの再安定化である。
7.総合考察
精神病理は意味の欠如ではなく、
精度配分の動的不均衡
である。
- 躁:可能性の過剰拡張
- 抑うつ:可能性の収縮
- 統合失調症:構造の崩壊
いずれも予測誤差と存在の緊張の異常である。
8.結論
本稿は、精度揺らぎモデルを用いて双極性障害と統合失調症を統一的に説明し、詳細症例により理論的妥当性を示した。
精神病理は、
誤差を抱えた存在が、
どのように可能性を扱うか
という問題である。
