資本主義と民主主義の構造的緊張
— なぜ民主主義は「負けている」と感じられるのか —
Ⅰ 前提の整理
近代国家は通常、
- 政治原理としての民主主義
- 経済原理としての資本主義
の結合体として成立している。
理念的に言えば、
- 民主主義は「一人一票」
- 資本主義は「一円一票」
である。
両者は異なる論理に基づく。
民主主義は人格的平等を前提にし、
資本主義は資源配分の効率と蓄積を前提にする。
しかし問題は、この二つが現実には同じ社会空間で作動している点にある。
Ⅱ 資本の力の特質
資本の力には三つの特徴がある。
- 可視的である(貨幣)
- 集中可能である
- 意思決定に影響を与えやすい
政治的意思決定は、形式的には票によって決まる。
しかしその過程には、
- 広報
- 組織力
- ロビー活動
- 生活基盤の提供
などが介在する。
これらは資本と強く結びつく。
したがって、形式的平等の背後で、
実質的影響力は不均衡になりやすい。
Ⅲ 原発問題の構造
原発問題を例に取る。
理論的には、
- 地元住民の安全
- 民主的意思決定
が優先されるはずである。
しかし実際には、
- 雇用
- 補助金
- 地域経済
が大きな比重を持つ。
ここで生じるのは、
価値対立ではなく、生活条件の差である。
「安全派」と「経済派」は理念の違いというより、
- どのリスクを引き受けるか
- どの利益に依存しているか
の違いである。
資本は生活基盤を媒介にして政治判断に入り込む。
その結果、民主的選択は形式的には成立しても、
選択の条件は資本によって強く規定される。
Ⅳ 辺野古問題の構図
辺野古問題も同様の構造を持つ。
沖縄の住民投票では反対が示された。
しかし国家安全保障という枠組みが優越する。
ここで対立しているのは、
- 地方の民主的意思
- 国家の戦略的合理性
である。
そして国家の合理性は、
- 軍事同盟
- 予算配分
- 産業構造
と結びついている。
資本と安全保障は密接に関係する。
結果として、
地方の意思は、国家の資本構造の中に包摂される
構図が生まれる。
Ⅴ フラクタル構造
あなたが指摘した「フラクタル構造」は重要である。
同じ構造が、
- 国家と地方
- 地方自治体内部
- さらには個人レベル
で繰り返される。
資本を持つ側が、
- 情報
- 影響力
- 安定性
を獲得し、
それが政治的結果に反映される。
この繰り返しが、
「民主主義が資本主義に負け続けている」
という印象を生む。
Ⅵ 個人の変質
近代民主主義は、
「権利主体としての個人」
を前提とした。
しかし現代社会では、
個人は同時に
- 消費者
- 労働力
- 投資対象
として位置づけられる。
その結果、
政治的判断も経済合理性に従属しやすくなる。
投票行動さえ、
- 経済的安定
- 生活防衛
の計算に回収される。
このとき個人は、
理念的市民ではなく、
資本主義的行為主体になる。
Ⅶ なぜ「負けている」と感じるのか
民主主義が負けているように見える理由は、
- 手続きは守られている
- しかし結果は資本に有利
という乖離にある。
つまり、
形式的勝利と実質的敗北の同時進行である。
民主主義は消滅していない。
しかし決定条件が資本によって強く規定されている。
Ⅷ 結論
民主主義と資本主義は対立関係にあるというより、
構造的緊張関係にある。
しかし資本は
- 集中可能
- 移動可能
- 影響力を拡張可能
であるため、
短期的には優位に立ちやすい。
民主主義が機能するためには、
- 情報の透明性
- 経済的不平等の抑制
- 地方自治の強化
などが必要になる。
それが弱まれば、
民主主義は形式を保ちながら、
実質的には資本の論理に従属する。
Ⅸ 補足的視点
ただし、ここで重要なのは、
民主主義が完全に敗北したわけではないという点である。
資本主義もまた、
- 法制度
- 契約の保障
- 社会的安定
を必要とする。
それらは民主主義的制度なしには維持しにくい。
したがって両者は敵対しつつも相互依存している。
問題は勝敗というより、
力の均衡がどこにあるか
である。
