1.人間はまず「生存」ではなく「所属」を必要とする
人間は生物学的存在である以上、生存を必要とする。
しかし、人間は単独ではほとんど生存できない。
霊長類研究でも示されるように、人間の脳は社会的関係を処理するために大きくなったと考えられている。
つまり、
生存 = 物理的安全
所属 = 心理的安全
この二つは分離できない。
乳児は、栄養だけでなく「応答」を必要とする。
応答の欠如は発達を損なう。
ここから第一の命題が導かれる:
人間にとって「所属」は生存条件である。
2.所属はスケールを拡大する
所属はまず家族に始まる。
次に村落、都市、民族へと拡張する。
なぜ拡張が起こるのか。
理由は単純である:
- 協力規模が大きいほど生産力が上がる
- 敵対集団に対抗できる
- リスク分散が可能になる
しかし規模が大きくなると、直接的な顔の見える関係は維持できない。
そこで必要になるのが象徴である。
- 旗
- 言語
- 神話
- 王
- 法
これらは「見えない他者」を心理的に結びつける装置である。
3.国家は象徴の束である
近代国家は、単なる行政機構ではない。
- 国旗
- 国歌
- 天皇(日本の場合)
- 憲法
- 戦没者慰霊
これらは、合理的契約ではなく、感情的統合を担う。
例えば
天皇
は統治権を持たないが、象徴的統合の機能を担っている。
象徴は効率性とは別次元で働く。
それは「意味」を提供する。
とはいえ、天皇は神の子孫だというのだから、子供用のお話としても、何とも、コメントに困る。
王権神授説くらいが許される範囲であり、明治の考えた萬世一系の話は、神話の側に拠りすぎていて、かなり海老ぞりが過ぎる話になってしまった。海老ぞりが過ぎて、骨折してしまった。
4.再分配は感情を前提とする
税と社会保障を考える。
他人の医療費や年金を負担することは、純粋な合理的取引では説明しにくい。
そこには
- 連帯
- 共苦
- 運命共同体意識
が含まれている。
もし国家が完全な契約体なら、
「私は病気にならないので医療保険には入らない」
で済むはずである。
しかし現実の国家はそうしない。
なぜか。
他者の苦痛を自分と無関係と見なさない感情があるから。
これが「情動的帰属装置」としての国家の核心である。
こり情動が政治である。
5.防衛は情動なしには成立しない
防衛は最も明確である。
戦争時、兵士は命を賭ける。
合理的利得最大化では説明困難である。
- 家族
- 仲間
- 祖国
という情動的結合があるからこそ可能になる。
(というのは権力者の勝手な説明である。庶民は変な考えを押し付けられて、困惑したが、暴力的に命を奪われたし、マスコミと学校教育によって、見事に洗脳されて、息子は軍神になったと喜んで見せたりした。)
European Union
が統合を進めつつも軍事的完全統合に困難を抱えるのは、
「ヨーロッパ人」という情動的同一性がまだ完全ではないからだ。
6.資本主義は情動を必要としない
ここで対比が鮮明になる。
資本主義は
- 契約
- 利潤
- 流動性
を基礎とする。
資本は国旗に忠誠を誓わない。
より有利な制度へ移動する。
しかし国家は移動しない。
国家は「そこにある」。
この非対称が、現代の緊張を生む。
7.州分権モデルの危うさ
もし国家を完全に政策セット提供者とみなすなら、
- 低税州
- 高福祉州
- 軍事最小州
を作ればよい。
しかし問題は、
情動的帰属が州単位に分解可能か?
である。
税だけを分けても、
- 歴史
- 記憶
- 戦争責任
- 文化
は分けられない。
国家は感情の長期蓄積体であり、
それを急速に制度分解すると「共同体の感情的解体」が起こる。
その結果:
- 政治的不信
- ポピュリズム
- 分断
- 内戦的対立
が生じやすい。
8.共同体解体の心理的帰結
帰属が不安定になると、人は代替帰属を求める。
- 宗教的過激主義
- 排外ナショナリズム
- アイデンティティ政治
- SNS共同体依存
これは社会心理学的に自然な反応である。
所属欲求は消えない。
国家が弱まれば、より原始的な単位へ回帰する。
9.論理的結論
ここまでを整理すると:
- 人間は所属を必要とする
- 所属は象徴を通じて大規模化する
- 国家は象徴の束であり、情動的帰属装置である
- 再分配と防衛は情動を前提とする
- 資本主義は情動に依存しない
- よって資本主義と国家は構造的に緊張関係にある
したがって、
国家を単なる政策市場に還元すると、情動的統合が崩れる可能性がある。
10.しかし逆方向もある
ただし重要なのは、
国家が過剰に情動化すると
- 排外主義
- 戦争動員
- 同調圧力
が強まる。
情動は統合も破壊も生む。
最終的問い
問題は、
情動的帰属を維持しながら、契約的自由度をどこまで拡張できるか
である。
これは制度設計の問題であると同時に、
人間観の問題でもある。
