うつ病ACT診察例1-3

初診:モデルケース逐語記録

設定:精神科診療所。個室の診察室。午後の外来。穏やかな照明。医師(以下「医」)は40代男性。患者(以下「患」)は35歳女性会社員、田中サクラ。初診。


受付・入室直後

患者はやや緊張した面持ちで入室。軽くお辞儀をして椅子に座る。視線はやや下向き。手をひざの上で重ねている。


:「どうぞ、楽にしてください。今日初めてここに来てくださったんですね。来るのに、勇気が要りましたか?」

:「……はい、少し。精神科って、なんとなく、敷居が高くて。自分がここに来るような状態なのかどうか、正直わからなくて」

:「そうですよね。来ることを決めたこと自体、大事な一歩だと思います。今日は、私がいろいろお聞きすることになりますが、答えたくないことは答えなくていいですし、ゆっくりで構いません。まず、今一番しんどいのはどのあたりですか?」


主訴の確認

:「……眠れないのが一番つらいです。夜、布団に入っても頭が止まらなくて。仕事のことばかり考えてしまって」

:「頭が止まらない、というのは、どんなことが浮かんでくる感じですか?」

:「上司に言われたことが、ぐるぐると。『なんでこんなこともできないんだ』とか、『君は向いてないんじゃないか』とか。そういう言葉が、夜になるとリプレイされるんです。昼間は仕事で紛れているんですけど、夜になると」

:「昼間は仕事で紛れている、と言いましたけれど、昼間も、しんどさはありますか?」

:「あります。なんか……気力がわかないというか。前は仕事が好きだったんですけど、最近は朝起きると、行きたくないな、って。でも行かないといけないから行くんですけど」

:「以前は仕事が好きだった、というのが印象的でした。いつごろから、変わってきた感じがしますか?」

:「……だいたい半年くらい前から、かな。上司が変わって。その上司との関係がうまくいかなくて」


現病歴の聴取

:「半年前に上司が変わって、それからということなんですね。その上司との間で、具体的にはどういうことが起きているか、少し教えてもらえますか。しんどかったら言わなくて大丈夫です」

:「……細かいことを、すごく責めてくるんです。メールの言葉遣いとか、報告のタイミングとか。最初は、私の至らないところなのかな、と思ってたんですけど、最近は、どんなに気をつけても何か言われる気がして。それで、ミスも増えてきて。ミスが増えると、また怒られて」

:「気をつけているのに、また何か言われる。それが続いているわけですね。……ミスが増えているというのは、ご自身ではどう感じていますか?」

:(少し間を置いて)「情けない、というか……。私ってこんなものだったのかな、って。もともと仕事ができない人間なのかな、って思うようになって」

:「その『自分はこんなものだったのか』という気持ちは、半年前から始まりましたか?それとも、もっと前から、どこかにありましたか?」

:「……どこかにあったかもしれない。でも、ここまでひどくはなかった。今は、もう、なんか、確信に変わりかけてる感じがして」


症状の具体的確認

:「少し確認させてください。眠れないというのは、寝つきが悪い感じですか、それとも途中で目が覚める感じですか?」

:「両方です。寝つくのに1時間以上かかって、それでも夜中に目が覚めて、朝は早く目が覚めてもう眠れなくて」

:「食欲はいかがですか?」

:「……あんまりないです。食べなきゃと思って食べるんですけど、おいしいとか感じなくて」

:「以前好きだった食べ物とか、趣味とか、そういうものへの気持ちはどうですか?」

:「趣味……映画を見るのが好きだったんですけど、最近は見る気がしなくて。見始めても、内容が頭に入ってこないんです」

:「頭に入ってこない。集中がしにくい感じ?」

:「そうです。読書もそうで。文字を目で追ってるけど、全然入ってこなくて」

:「体のしんどさはどうですか。疲れやすいとか、頭が重いとか」

:「疲れやすいです。前は、多少残業しても大丈夫だったのに、今は定時で上がっても疲れて、帰ったらもう何もできなくて」


希死念慮の確認(自然な流れで)

:「ここまでお話を聞かせてもらって、本当につらい状況が続いているんだな、と感じています。……少し、聞きにくいことも聞かせてください。これだけしんどいと、もう消えてしまいたいとか、死にたいという気持ちが出てくることも、人間にはあるんですね。田中さんはそういう気持ちが浮かぶことはありますか?」

:(少し間)「……消えてしまいたい、という気持ちはあります。でも、死にたいというのとは少し違う気がして。ただ、何もかも止まってほしい、みたいな感じ」

:「何もかも止まってほしい。その気持ちはよくわかります。……自分を傷つけたいとか、具体的に死ぬ方法を考えた、ということはありますか?」

:「……それはないです」

:「わかりました。教えてくれてありがとうございます。今の状態では、自分を傷つけるような危険は差し迫ってはないかな、と聞いて安心しました。でも、もしそういう気持ちが強くなったときには、必ず教えてください。それが一番大事なことです」


生活歴・個人歴の簡単な把握

:「少し、田中さんのことをもう少し教えてもらえますか。今のお仕事は、どんなお仕事ですか?」

:「メーカーの営業事務です。7年になります」

:「7年、ということは、今の職場ではそれなりにキャリアを積んでこられたんですね。上司が変わる前は、職場での評価はいかがでしたか?」

:「……悪くはなかったと思います。前の上司には、よくやってくれてると言われていたし、後輩の指導も任されていたので」

:「それは大事な情報ですね。今のつらさは、田中さんがもともと仕事ができない人間だから起きているんじゃなくて、状況の変化によって起きている可能性が高い、ということです。……今、一人暮らしですか?」

:「一人暮らしです。実家は地方で」

:「身近に話せる人はいますか?」

:「友人はいますけど、こんなに弱ってるのを見せるのが嫌で、あんまり話せてないです」

:「弱っているのを見せたくない、というのは、田中さんにとってどういう気持ちからきていますか?」

:「……心配かけたくないのと、あと、こんな自分を見せるのが恥ずかしいというか。しっかりしなきゃ、って思ってるので」

:「しっかりしなきゃ、という気持ち、ずっと持ってきたんですか?」

:「……そうかもしれないです。昔から、人に頼るのが苦手で」


診立てと、方針の説明(第一段階)

:「今日聞かせてもらったことを、少し整理させてください。……半年前から、不眠、気力の低下、興味の喪失、集中力の低下、疲労感、食欲の低下、それから自分への否定的な見方、これらが続いている。これはうつ状態、と呼んでいい状態です。診断名を一つつけるとすれば、適応障害あるいはうつ病の範囲に入ると思います。もう少し経過を見ながら確認していきますが」

:「……やっぱり、病気、なんですね」

:「病気、という言い方が正確かどうか、少し考えてほしいんですけど。今起きていることは、あなたの脳と体が、限界を超えた負荷をかけられ続けて、悲鳴を上げている状態だと思っています。これはあなたが弱いから起きているんじゃない。……ただ、このままにしていると、回復が遅くなる。だから、一緒に取り組みたいんです」

:「……はい」

:「薬についてですが、今の睡眠と気分の状態を少し助けるために、睡眠薬と、あと抗うつ薬を出したいと思います。薬は即効性があるわけじゃなくて、抗うつ薬は効いてくるまでに2週間から4週間かかることがほとんどです。焦らず使ってほしい。……薬について、何か不安や疑問はありますか?」

:「飲み始めると、やめられなくなるって聞いたことがあって」

:「大事な質問です。抗うつ薬は、依存性はありません。ただ、急にやめると調子が崩れることがあるので、やめるときは必ず相談しながら一緒に減らしていきます。私の判断で急にやめさせることもしないし、田中さんが急にやめることも、相談してからにしてほしい。それだけ守ってもらえれば大丈夫です」

:「……わかりました」


ACTへの導入:最初の種まき

:「もう一つ、今日お伝えしたいことがあります。薬と並行して、私との面談の中で、考え方や、気持ちとの向き合い方について、一緒に取り組んでいきたいと思っています。ACTという、比較的新しい心理療法の考え方なんですけど」

:「……ACT?」

:「アクセプタンス&コミットメント・セラピー、といいます。難しい名前ですが、中身はそれほど難しくない。……少しだけ、今日の話に引きつけて説明しますね。田中さんは、さっき、上司の言葉が夜にリプレイされると言っていた。頭が止まらないと。あの感覚、イメージできますか?」

:「……はい、すごく」

:「あの状態のとき、田中さんはその考えを、どうにか止めようとしていますか?」

:「はい。考えるのをやめようとするんですけど、やめようとするほど、考えてしまって」

:「そうなんです。それは、田中さんの努力が足りないんじゃなくて、人間の心の仕組みとして、そういう風になっているんです。考えを無理に止めようとすると、むしろ強くなる。……ACTでは、その考えを止めるんじゃなくて、その考えと違う関係を持つことを目指します。今日はそれだけ、頭の片隅においておいてください」

:「……考えを止めようとしないで、ということですか?」

:「ざっくり言うと、そうです。でもそれがどういうことかは、次回以降、少しずつ一緒に見ていきましょう。今日は初日ですから、まず田中さんのことを知ることが大事でした」


クロージング

:「今日、初めてここに来て、こんなに話してくれてありがとうございました。かなり、正直に話してくれたと思います。……一つだけ聞かせてください。今日、ここに来てみて、どうでしたか?」

:(少し考えて)「……思ってたよりは、話せました。来てよかったかな、と少し思っています」

:「それを聞けてよかったです。……次回は、一週間後にしましょう。その間に、何か急に気持ちが落ちるとか、死にたいという気持ちが出てくるようなことがあれば、一週間待たずに電話してください。一人で抱えないでほしい」

:「はい」

:「では、今日のところは処方箋を出しますね。薬局で説明を受けてください。……また来週、待っています」


処方(この日)

  • スボレキサント(ベルソムラ)15mg 就寝前 不眠に対して、依存性の少ない薬剤を選択
  • エスシタロプラム(レクサプロ)10mg 朝食後 第一選択の抗うつ薬。効果発現まで2〜4週間と説明済み

【臨床的注記】

この初診において、医師はACTの概念を直接教えるのではなく、患者の自然な語りの中に潜在するACTの主題——「考えを止めようとすることの逆説的効果」——を一つだけ、さりげなく提示することにとどめた。これはACTにおける**「脱フュージョン」**の概念の萌芽であり、次回以降の対話の足がかりとして機能するよう設計されている。ヘキサゴンの六要素(受容、脱フュージョン、今この瞬間への接触、文脈としての自己、価値、コミットされた行動)は、三回の診察を通じて段階的に導入される。


第2回(一週間後)へ続く

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