論理療法(REBT)による面接逐語録

論理療法(REBT)による面接逐語録

─ 65歳・田中雄一氏のケース ─


【セラピストの基本姿勢と準備メモ】

クライエント:田中雄一(仮名)、65歳男性。40年間勤めた会社を定年退職して3ヶ月。退職直後に妻(62歳)より離婚を通告され、現在一人暮らし。子供なし。退職前は仕事一筋。趣味・友人関係ほぼなし。「生きている意味がわからない」「自分の人生は何だったのか」と訴えて来談。紹介者:かかりつけ内科医。初回面接。


第一回面接


セラピスト(以下「T」): 田中さん、今日はいらしてくださってありがとうございます。ここはとてもリラックスできる場所ですから、どうぞゆっくりおかけください。

クライエント(以下「C」): ……はい。(ゆっくりと椅子に腰を下ろす)こういうところに来るのは初めてで、正直、どうしたらいいのかよくわからないんですが。

T: それは当然です。初めていらっしゃる方は皆さんそうおっしゃいます。ここでは特別に何か「正しいこと」を言わなければならないとか、そういうことはまったくありません。今日は、田中さんが今どんな状況にいて、どんなお気持ちでいるか、それをただ聞かせていただければ十分です。

C: ……そうですか。(少し間をおいて)何から話せばいいんでしょうね。

T: どこからでも構いません。今、一番心の中に重くのしかかっているもの、そこから始めてみませんか。

C: ……(深いため息)3ヶ月前に定年で会社を辞めたんです。40年間、ずっと働いてきました。朝7時に家を出て、夜10時、11時に帰る。そういう生活をずっと続けてきた。それが……急になくなった。

T: 40年間、それが田中さんの毎日だったんですね。

C: そうです。仕事が全部だった。で、退職してすぐ……妻から離婚したいと言われまして。

T: それは……大変な衝撃だったでしょう。

C: 正直、頭が真っ白になりましたよ。まあ、今思えば、そうなるのも当然だったかもしれませんが。私はずっと仕事ばかりで、家のことは何もしなかった。妻のことも、ちゃんと向き合ってこなかった。妻は子供もいない、夫は仕事ばかり、ずっと孤独だったんでしょうね。

T: 奥様の気持ちを、そういうふうに理解されているんですね。

C: 理解はできます。でも……やっぱり、正直つらいですよ。一人になって、毎朝目が覚めると、今日何をしたらいいかわからない。仕事もない。家族もいない。趣味もない。友達もほとんどいない。……自分は今まで何のために生きてきたんだろうって。

T: 「何のために生きてきたんだろう」……その言葉、もう少し聞かせていただけますか。そこにはどんな気持ちが込められていますか?

C: ……情けない、というか。虚しい、というか。仕事のために全部捧げてきた。でもその仕事はもうない。家族のためにお金を稼いできたつもりだったのに、その家族にも去られた。結局、自分には何も残っていない。自分はダメな人間だったんだな、と。

T: 「自分はダメな人間だった」、そう感じておられるんですね。

C: そうです。65年間生きてきて、何も残らなかった。これから先も、何もない。……もう、消えてしまいたいという気持ちが出てくることもあります。

T: (少し前傾みになり、落ち着いた声で)田中さん、今おっしゃった「消えてしまいたい」という気持ち、もう少し教えていただけますか。自分を傷つけたいとか、死にたいという気持ちもありますか?

C: ……積極的に死のうとまでは思っていません。ただ、このまま何もない毎日が続くなら、生きていても意味がないんじゃないかと思うことはあります。

T: 教えてくださってありがとうございます。それはとても大切なことで、一緒にしっかり考えていきたいと思います。今すぐ自分を傷つけようという気持ちはないということ、確認できました。ただ、「生きていても意味がない」という感覚は、今の田中さんにとって本当に切実なものなんですね。

C: ……そうです。

T: 今日、ここに来てくださったこと、それ自体がすでに一つの行動です。消えてしまいたいという気持ちがあるのに、それでもここに来た。何かが田中さんをここへ向かわせた。それは何だと思いますか?

C: (しばらく黙って)……このままじゃいけない、という気持ちは、どこかにあるんでしょうね。自分でもよくわからないんですが。

T: それで十分です。「このままじゃいけない」というその小さな声を、今日は大切にしながら話しましょう。


(ここで簡単に論理療法の進め方を説明する)


T: 田中さん、これからここで一緒に取り組んでいくことについて、少し説明させてください。私がやっているのは「論理療法」というアプローチです。難しそうな名前ですが、基本的な考え方はシンプルです。

C: はあ。

T: 私たちが落ち込んだり、苦しんだりするとき、その苦しみは「出来事そのもの」が直接つくっているわけではない、という考え方です。

C: どういうことですか?

T: たとえば、田中さんは退職された。奥様から離婚を告げられた。これは確かに起きた出来事です。でも、同じような経験をしても、それほど落ち込まない人もいれば、田中さんのように深く傷つく人もいる。その違いはどこから来るか、わかりますか?

C: ……人それぞれ、ということでしょうか。

T: そうですね。そして私たちが注目するのは、その「人それぞれ」の部分、つまり「出来事に対して、その人が何をどう信じているか」です。出来事と感情の間に、「考え方・信念」というものが必ずある。田中さんが今感じている深い虚しさや「自分はダメだ」という気持ち、それはただ退職や離婚という出来事から直接生まれているのではなく、その出来事についての「ある種の考え方」が生み出している部分が大きい、というのがこの療法の見立てです。

C: ……自分の考え方が問題だ、ということですか。

T: 「問題だ」というより、「苦しみをつくっている考え方がある」ということです。そしてその考え方は、変えることができる。今日はまず、田中さんの中にどんな考え方があるかを一緒に探っていきましょう。


ABCモデルの導入


T: 一つ、図式を使って説明しますね。(紙に書きながら)

A(出来事)→ B(信念・考え方)→ C(感情・行動の結果)

「A」は「Activating event」、出来事や状況のことです。「C」は「Consequence」、つまり今田中さんが感じている感情や、それによって引き起こされている行動のことです。そして真ん中の「B」が「Belief」、信念や考え方です。

C: つまり、AがCを生むんじゃなくて、BがCを生む、ということですか?

T: まさにその通りです。飲み込みが早いですね。AはCのきっかけにはなります。でも、AだけではCは決まらない。Bを通してCが生まれる。

C: ……なるほど。

T: では、田中さんのA、つまり出来事を整理しましょう。退職、そして離婚の通告、一人暮らし。これがAですね。

C: はい。

T: そしてC、今田中さんが感じていること。先ほどおっしゃっていた言葉を使えば……「虚しい」「自分はダメな人間だ」「生きている意味がない」。これがCです。

C: ……ええ。

T: では、そのAとCの間にあるB、田中さんの信念・考え方。そこを今日は一緒に掘り下げていきましょう。


イラショナル・ビリーフ(非合理的信念)の探索


T: 田中さん、少し教えていただきたいのですが。「自分は何のために生きてきたのか」とおっしゃっていましたね。その言葉の裏には、どんな考えが隠れていると思いますか?

C: ……仕事のためだけに生きてきた。でも仕事はもう終わった。だから……もう自分には価値がない、ということでしょうか。

T: 「仕事がなくなったら、自分には価値がない」。今おっしゃったこと、もう一度繰り返していただけますか。

C: (ゆっくりと)仕事がなくなったら、自分には価値がない。

T: その言葉、田中さん自身、聞いてどう感じますか?

C: ……当然のことのように聞こえます。実際そうだと思っているので。

T: そうですか。田中さんにとって、それは長年持ち続けてきた、深い確信なんですね。仕事をしていれば価値がある。仕事がなければ価値がない。

C: ……そうです。父もそういう人間でした。「男は仕事だ」という家で育ちましたから。

T: なるほど。それは子供の頃から身についてきた、非常に根深い考え方なんですね。(少し間をおいて)田中さん、私はその考え方を「間違っている」と批判したいわけではありません。ただ、一つ質問させてください。その考え方は、田中さんにとって「役に立っている」でしょうか?

C: ……役に立っている?

T: ええ。「仕事がなければ自分には価値がない」という信念を持つことで、田中さんの人生は豊かになっているでしょうか?それとも苦しくなっているでしょうか?

C: ……(しばらく考えて)苦しくなっています。

T: そうですね。私たちが論理療法で着目するのは、「その考え方は真実か」という問いだけでなく、「その考え方は自分の幸福に役立っているか」という問いでもあります。役に立たない信念は、たとえ長年持っていたとしても、問い直すことができる。それが論理療法の基本姿勢です。


T: もう少し掘り下げましょう。「仕事がなければ自分には価値がない」という信念、これをさらに分解するとどうなるでしょうか。田中さんが自分に「価値がある」と感じるために必要な条件は何でしたか?

C: ……働いていること。社会の役に立っていること。誰かに必要とされていること。

T: 「必要とされていること」。これは重要な言葉ですね。では、定年退職した人間は、必要とされていないのでしょうか?

C: ……社会的には、そうじゃないかと思います。会社員としての自分はもう終わった。

T: 「会社員としての自分は終わった」、これは事実です。でも、「人間としての田中雄一は社会に必要とされていない」、これも同じように事実でしょうか?

C: ……(少し戸惑って)どう違うんですか?

T: 「会社員・田中雄一」は確かに退職した。でも、「人間・田中雄一」はまだここにいる。田中さんは今、「会社員」というラベルと「人間・田中雄一」そのものを、同一視していませんか?

C: ……(長い沈黙)……そう言われると、確かに……自分の中で「仕事をしている自分」と「自分そのもの」が、ずっと同じものだったような気がします。

T: それは非常に大切な気づきです。仕事をしている田中さん「も」確かにいた。でも、仕事の「外に」田中雄一さんという人間がいる。退職によって変わったのは「役割」であって、「田中さんという人間の存在価値」ではない。この違い、今どう聞こえますか?

C: ……頭ではわかります。でも、なんかこう……胸のあたりにすっと落ちてこない感じがします。

T: それで全く正常です。長年持ち続けた信念は、一度話を聞いただけで「はい、変わりました」とはなりません。今日は種を植えた、それで十分です。


「絶対に~でなければならない」の検討


T: 田中さん、もう一つ探ってみましょう。「自分は何のために生きてきたのか」という嘆きの中に、もしかするとこういう考えも混じっていませんか。「自分の人生は、こうあるべきだった。それができなかった、だから自分は失敗だ」。

C: ……(ゆっくりと首を縦に)あります。あると思います。

T: 具体的に、「田中さんの人生はこうあるべきだった」の「こうあるべき」の部分、どんな絵が浮かびますか?

C: ……仕事を全うして、家族に囲まれて、老後を穏やかに過ごす。そういうものだと思っていました。

T: 素晴らしい人生の絵ですね。そしてそれは、多くの人が望むものでもある。では田中さん、その「こうあるべき人生」、それは「そうなれたら素晴らしい」という「希望」でしたか?それとも「絶対にそうでなければならない」という「要求」でしたか?

C: ……(考えながら)……要求、だったかもしれません。それが当たり前だと思っていたから。

T: エリスという心理学者は、私たちを苦しめる考え方の多くは「~でなければならない」「絶対に~であるべきだ」という形をしていると言っています。日本語で言えば「べき思考」「ねばならない思考」です。「家族に囲まれた老後でなければならない」「仕事人として完結しなければならない」「妻に去られるような人間であってはならない」。こういった「絶対的な要求」を自分や人生に突きつけると、現実がその要求を満たさないとき、激しい苦しみが生まれます。

C: ……でも、そう思うのは当然じゃないんですか。普通の人間なら、そういう老後を望むでしょう。

T: そうです、「望む」のは全く自然なことです。そして今の状況が「残念だ」「悔しい」「悲しい」と感じるのも、非常に正常な、人間らしい感情です。問題は、「望む・目指す」ことと、「絶対にそうでなければならない」と要求することの間の、この違いです。「望んでいたのに叶わなかった」という悲しみは、人を傷つけますが、立ち直る力を残します。でも「絶対にそうでなければならないのに、そうならなかった」という怒りと絶望は、人を地面に叩きつけて、立てなくします。

C: ……(しばらく沈黙している)……今おっしゃったこと、少し刺さりました。

T: どのあたりが?

C: 「残念だ」と「絶対にそうでなければならない」の違いです。私はずっと後者で生きてきた気がします。仕事も、家族も、自分に対しても。「こうでなければならない」「こうあるべきだ」ばかりで、「これでもいい」という考えが全然なかった。

T: 大切な洞察です。そしてそれは今日初めて気づいたことではなく、田中さんの中にずっとあった何かが、今ようやく言葉になってきた、そういう感じがします。


「破滅化」(Awfulizing)の検討


T: もう一つ、論理療法で注目する考え方のパターンがあります。「破滅化」と呼ばれるものです。「こうなったら最悪だ」「これ以上ひどいことはない」「もう終わりだ」という思考パターンです。田中さんの中に、そういった考えはありますか?

C: ……あります。毎朝、目が覚めると「またこの一日が始まる」と思う。先が真っ暗で、これがこれから何十年も続くかと思うと……本当に最悪だと思います。

T: 「最悪」という言葉、もう少し分析してみましょう。今の状況は確かにとても辛い。でも「最悪」とは、文字通りどういう意味ですか?

C: ……これ以上ひどいことはない、ということでしょうか。

T: そうですね。では少し意地悪な質問をします。今の状況より、さらに悲惨な状況というのは、論理的に考えて存在するでしょうか?

C: ……(少し考えて)……病気になって、身動きが取れなくなるとか。貧困に陥るとか。

T: そうです。今の状況はとても辛い。しかし「これ以上ひどいことはありえない」という意味での「最悪」ではないかもしれない。私が言いたいのは「もっと辛いことを考えて元気を出せ」ということでは全くありません。今の辛さは本物であり、十分に深刻です。ただ、「最悪だ」「もう終わりだ」という考え方は、現実をさらに100倍、1000倍の重さにして、私たちを押しつぶす働きをする。現実の辛さは「辛い」でいい。それを「絶対に耐えられない最悪の事態」に拡大しなくていい、という話です。

C: ……なるほど。私が感じている苦しみは本物だけど、それをさらに大きくしている何かが自分の思考の中にある、と。

T: まさにその通りです。田中さん、本当に理解が早い。


「自己評価の全否定」(Global Self-Rating)への介入


T: さて、田中さんが先ほどおっしゃった「自分はダメな人間だった」という言葉に戻りましょう。これは論理療法で非常に重要なテーマです。

C: はい。

T: 「自分はダメな人間だ」という判断、これはどこから来ているでしょうか。

C: ……仕事ばかりして妻を顧みなかった。だから離婚された。友人もつくらなかった。趣味もない。老後の準備もしていなかった。そういうことを全部まとめると、人間として失敗したということじゃないかと思って。

T: 「全部まとめると」というのが重要な言葉です。田中さんは今、自分の行動や選択の「一部」を取り上げて、そこから「自分という人間全体」を評価しています。これをエリスは「全体的自己評価」の誤りと呼びます。

C: どういうことですか?

T: 例えばこう考えてみてください。田中さんが40年間、仕事を続けた。これは一つの行動です。その仕事の中で、お客さんのために誠実に働いた瞬間は、あったでしょうか?

C: ……ありました。もちろん。

T: 同僚のために何か力を貸した経験は?

C: ……それもあったと思います。

T: 奥様のために、何か努力したことは、一度もなかったでしょうか?

C: ……(少し間をおいて)……ちゃんとした食事を食べさせようと思って、一生懸命働きました。それが伝わっていたかどうかはわかりませんが。

T: その気持ちは本物だったんですよね。

C: ……ええ。

T: では、田中さんという人間は、「失敗した部分だけ」からできているのでしょうか?それとも、それ以外のたくさんの側面も持った、複雑な一人の人間でしょうか?

C: ……後者だとは……思いますが。

T: 人間というのは、単一の評価が可能なほど単純ではありません。「田中さんは夫としてもっとうまくやれた部分があった」これは事実かもしれない。「田中さんは老後の計画をもっと早く立てるべきだった」これも事実かもしれない。でも「だから田中さんという人間はダメだ」という結論は、論理的に成り立ちません。特定の行動を評価することと、人間そのものをまるごと否定することは、まったく違います。

C: ……でも、そう感じてしまうんです。「自分はダメだ」と。

T: そうですね。これはとても根深い感覚です。すぐには変わらない。でも、今日私が言いたいのは一つだけです。「田中さんという人間の全体的な価値は、仕事をしているかどうかで決まらない」。この命題について、しばらく持ち歩いてみてください。反論したくなっても構いません。「本当にそうか?」と問い続けることが、第一歩です。


(第一回面接の終わりに向けて)


T: 今日はたくさんのことを話してくださいました。最後に一つだけ確認させてください。今日、ここに来て、このような話をして、今の気持ちはいかがですか?

C: ……正直、少し頭が疲れました(苦笑)。でも、悪い疲れじゃない気がします。自分の中にある「考え方のくせ」みたいなものが、少しだけ見えてきた気がして。

T: それは大事な手応えです。今日話に出てきたことを少しまとめると、田中さんの中には主に三つの考え方のパターンがありそうです。一つ目は「仕事がなければ自分には価値がない」という、役割と自己価値を同一視する信念。二つ目は「人生はこうあるべきだった、そうならなかった自分は失敗だ」という絶対的な要求。三つ目は「今の状況は最悪で、これからも最悪が続く」という破滅的な見通し。これらは全部、変えることが可能な「考え方」です。次回からは、これらをもう少し丁寧に一つずつ検討していきましょう。

C: ……わかりました。来ます。

T: よかった。一つだけ宿題を出してもいいですか?

C: はい。

T: 今週、毎日ではなくていいので、「仕事以外の場面で、自分が誰かに対して何かをした経験」を、一つか二つ、思い出してみてください。どんな小さなことでも構いません。それをメモしておいてください。

C: ……(少し首を傾げながら)そんなことあったかな。やってみます。

T: では、また二週間後にお会いしましょう。今日は本当にありがとうございました。


第二回面接(2週間後)


T: 田中さん、また来てくださいましたね。この2週間、いかがでしたか?

C: ……正直、しんどい日が多かったです。でも……宿題はやってみました。

T: ! 素晴らしい。何か思い出せましたか?

C: (小さなメモ帳を取り出しながら)……三つ書きました。一つ目は、昔、同僚の若い社員が仕事でミスをして落ち込んでいたとき、居酒屋に連れて行って話を聞いてやったこと。二つ目は……これは小さいことなんですが、先週、エレベーターで荷物を持ったお年寄りのために扉を開けておいた。三つ目は……妻と付き合っていた頃、妻が病気になったとき、仕事を早退して病院に連れて行ったことがあった。そのことを久しぶりに思い出しました。

T: (穏やかに)ありがとうございます。三つとも、とても大切な経験ですね。これを書いてみて、どう感じましたか?

C: ……「自分にも、そういう部分があったんだな」という感じ、でしょうか。仕事人間で冷たい人間だと思っていたけど、ゼロじゃなかったのかな、と。

T: その感覚、大事にしてください。「自分はダメな人間だ」という一色のイメージと、「自分にはいろんな側面がある」という複数色のイメージ。どちらが現実に近いと思いますか?

C: ……正直に言えば、まだ「ダメだ」という気持ちの方が強いです。でも……後者の方が正確かもしれない、とは思い始めています。

T: 「かもしれない」、それで十分です。確信は後でついてくる。今は「かもしれない」という小さな疑問の隙間が開いていることが大事です。


ディスピュート(論駁)の深化


T: 今日は前回出てきた信念を、もう少し本格的に検討してみましょう。「仕事がなければ自分には価値がない」という信念から始めましょうか。

C: はい。

T: この信念が「真実かどうか」を、三つの角度から検討します。一つ目は「論理的か」、二つ目は「事実と一致しているか」、三つ目は「自分の幸福に役立つか」という角度です。

C: なるほど。

T: まず「論理的か」という問いから。「仕事がなければ価値がない」という信念は、どんな前提から来ていますか?

C: ……「人間の価値は、社会への貢献で決まる」という前提でしょうか。

T: そうですね。では、その前提を少し考えてみましょう。赤ちゃんは社会に貢献していません。重い病気で寝たきりの人も、社会への貢献という意味では限られています。そういった人たちは、「価値がない」と言えるでしょうか?

C: ……それは言えません。

T: では、なぜ65歳で退職した田中さんには「価値がない」と言えるのでしょうか?

C: ……(しばらく沈黙)……言えない、かもしれません。

T: 次に「事実と一致しているか」。「仕事をしていない人間には価値がない」という信念が事実なら、定年退職した人は全員、価値のない存在になるはずです。でも現実を見ると、退職後に充実した人生を送っている人は大勢います。ボランティア、地域活動、孫の世話、趣味、旅行、勉強。仕事をしていなくても、意義ある生活を送っている人はいますよね。

C: ……ええ、います。

T: ということは、「仕事がなければ価値がない」は、普遍的な事実ではないわけです。田中さんがそれを信じている、それは田中さんにとっての信念であって、世界の真実ではない。

C: ……そうですね。でも、自分の中ではずっとそれが真実でした。

T: そうです。長年「真実として」感じてきた。それはよく理解できます。そしてそれは変えていける。最後に「自分の幸福に役立つか」という問い。今、この信念を持つことで、田中さんはどんな状態にありますか?

C: ……毎日が虚しくて、消えてしまいたいと思うこともある。

T: この信念は、田中さんを幸福にするために働いているでしょうか?

C: ……逆です。

T: 三つの角度から見て、「仕事がなければ自分には価値がない」という信念は、論理的でもなく、普遍的な事実でもなく、自分の幸福にも役立っていない。それがわかりました。では、この信念の代わりに、どんな考え方が置けそうでしょうか?

C: ……(長く考えて)……「仕事は自分の大切な部分だったが、仕事がなくなっても、自分の存在価値は消えない」……でしょうか。

T: 素晴らしい。田中さんが自分で出した言葉です。これが「新しい信念」の候補です。


「人生の意味」についての哲学的対話


C: ……でも先生、一つ聞いていいですか。

T: もちろんです。

C: 「仕事がなくても価値がある」というのは理屈ではわかった。でも……では何のために生きるのか。これからどう生きるのか。それがさっぱりわからない。理屈でわかっても、「じゃあ明日から楽しく生きよう」なんてならないんです。

T: 鋭い問いです。そしてとても誠実な問いです。論理療法は、その答えを「これです」と押しつけることはしません。でも、一緒に考えることはできます。

C: お願いします。

T: 「何のために生きるのか」という問い、田中さんは65年間生きてきて、初めてこの問いに真正面から向き合っているんですよね。

C: ……そうです。仕事をしていた間は、問う必要がなかった。「仕事のために生きる」で答えが出ていたから。

T: つまり、今初めて、本当の意味での「自分の人生」を問われている。40年間は会社が「生きる枠組み」を与えてくれた。退職によって、初めてその枠組みが消えた。それは苦しいことですが、同時に……自由になった、とも言えませんか?

C: ……(少し驚いたように)自由……。

T: 会社の論理、組織のルール、上司の評価、そういったものから完全に自由になった65歳の田中雄一さんが、今ここにいる。会社員としてではなく、「ただの人間として」何をしたいか、何に心が動くか。それをゼロから探せる立場にある。

C: ……でも65歳ですよ。もう人生の終盤じゃないですか。

T: 65歳の平均余命は、男性でおよそ20年弱です。20年あります。20年前の田中さんは45歳でした。45歳から65歳までの20年間を振り返ってみてください。長かったですよね?

C: ……長かったです。いろいろありました。

T: これから先の20年も、そのくらいある。「終盤」というのも一つの見方ですが、「第三章の始まり」という見方もできる。

C: ……第三章。

T: 仕事人生という「第二章」が終わった。では「第三章」に何を書くか、まだ白紙のページが広がっている。

C: ……(しばらく黙っている)……こういう考え方をしたことがなかった。いつも「もう終わった」という方向にしか思考が向かなかった。


感情の「適切化」


T: 田中さん、一つ確認させてください。今の状況に「悲しみ」「寂しさ」「後悔」を感じることは、まったく正常で、適切な感情です。論理療法は、感情を消そうとするものではありません。私たちが変えようとしているのは、「不健全な強烈な苦悩」を「健全な、適切な否定的感情」に変えることです。

C: 違いがあるんですか?

T: はい。例えば、大切なものを失ったとき「悲しい」と感じる。これは健全な感情です。でも、「これは絶対に耐えられない最悪の事態だ。自分はダメな人間だから罰せられたのだ。もう二度とよくなることはない」と感じる。これは「不健全な苦悩」です。前者は人を傷つけるけれど、やがて癒え、前に進む力をくれる。後者は人を底なしの穴に引き込む。

C: ……今の私は後者ですね。

T: そうかもしれません。でも、後者の中にある「べき思考」や「破滅化」が和らぐにつれて、「ただ悲しい、ただ寂しい」という健全な感情に近づいてくる。その「健全な悲しみ」と一緒に生きることは、できます。

C: ……「健全な悲しみ」。それは……今の自分にはまだよくわからないけれど、なんか、そこなら息ができそうな気がします。


第三回面接(3週間後)


C: (前回よりも少し表情が明るい)先生、報告があります。

T: どうぞ。

C: ……先週、近所を散歩していたら、公民館の前に「囲碁サークル・初心者歓迎」という張り紙があって。昔、父が囲碁をやっていて、少しだけ教えてもらったことがあったんです。40年以上前ですが。……入ってみました。

T: ! それは大きな一歩ですね。どうでしたか?

C: ……最初は緊張しました。でも、皆さん親切で。私より年上の方も多くて、70代、80代の方も元気に来ておられて……。「こういう世界もあるんだな」と思いました。

T: 「こういう世界もあるんだな」。その感覚、とても大切です。

C: それと……実はもう一つ。前の会社の後輩から連絡が来まして。「お世話になった先輩に会いたい」と言って。食事に行ったんです。

T: それはよかった。どんな気持ちでしたか?

C: ……ありがたかったです。「先輩のおかげで仕事を続けられた」と言ってくれて。……自分がいなくなっても、自分のことを覚えていてくれる人がいるんだな、と。

T: 田中さん、それは宿題で「仕事以外の場面での自分」を見直していたことと、どこかつながっていませんか?

C: ……(少し考えて)……そうですね。あの後輩の子が「先輩のおかげで」と言ってくれたこと、それは「成果」や「売上」の話じゃなくて、「人間としての田中さんとの関係」の話でした。仕事の中にも、仕事だけじゃない何かがあったんだな、と。

T: そうです。そして今週のことを見てください。囲碁サークルに行った。後輩と食事をした。これは「仕事のため」ではありませんね。では何のためですか?

C: ……自分のため、でしょうか。自分が少し動いてみたくなった、から。

T: 素晴らしい変化です。「自分のために動く」という経験が積み重なると、何が起きると思いますか?

C: ……少しずつ、生きることが、嫌じゃなくなってくる……かもしれない。

T: 「かもしれない」、それで十分です。


「自己受容」の導入


T: 田中さん、今日は少し違う話をしましょう。「自己受容」という概念についてです。

C: 自己受容……「自分を好きになる」ということですか?

T: 少し違います。「自分を好きになれ」というのは、実はかなりハードルが高い。嫌いな部分もある自分を「無理やり好きになれ」というのは、むしろ無理があります。エリスが言う「自己受容」とは、「自分を好きか嫌いかとは別に、自分の存在をそのまま受け入れる」ということです。

C: どう違うんですか?

T: 「自己評価」は、自分に点数をつけることです。「100点の自分は受け入れられる、60点の自分はダメだ」という考え方。「自己受容」は、「点数をつけること自体をやめる」ことです。「自分の行動には反省すべき点もある。自分のもっと成長できる部分もある。でも、そうであっても、田中雄一という人間の存在価値は変わらない」という立場です。

C: ……「点数をつけること自体をやめる」。

T: 田中さんはこれまで、ずっと自分に点数をつけてきた。仕事での業績、家族への貢献、社会への有用性。そういう指標で自分を測り続けてきた。それは一つの生き方でした。でも今、新しい問いが生まれています。「点数のない自分とはどんな存在か?」

C: ……(長い沈黙)……怖い質問です。

T: 怖い、ですか。

C: ……点数がなければ、自分が何者かわからなくなる気がして。

T: その「怖さ」は非常に重要な感覚です。これまで「会社員・田中雄一」という役割のアイデンティティで生きてきた。役割が消えたとき、「では自分は何者か」という問いが生まれる。この問いは、人生の深いところから来ています。答えは一日では出ない。でも、問い続けることに価値がある。

C: ……「ただの田中雄一」は何者なのか。

T: そうです。その問いを、怖がらずに持ち続けてほしい。答えは、これからの行動の中から少しずつ現れてきます。


第五回面接(2ヶ月後)


T: 田中さん、今日は少し顔色が違いますね。

C: (穏やかな笑みを浮かべながら)そうですかね。……実は、少し変化がありまして。

T: 聞かせてください。

C: 囲碁サークルで、一人、友人と呼んでいいかな、という人ができまして。68歳の方で、やはり定年後に奥様を亡くされて一人暮らしなんですが。先週、二人で近くの公園を散歩して、お茶を飲みました。

T: それは素晴らしい。

C: それと……少し恥ずかしいんですが、図書館に行き始めまして。若い頃、本が好きだったんですが、仕事を始めてからは全く読まなくなっていた。先週、久しぶりに本を読んだら、面白くて、気づいたら3時間経っていました。

T: 3時間も没頭できた。

C: ……何十年ぶりかな、と思って。時間を忘れたのは。

T: その体験の中で、「生きている意味がない」という感覚は、どこかにありましたか?

C: ……その3時間は、なかったです。後で思い返してもなかった。「ああ、時間を忘れて何かに集中できた」という満足感があって。

T: それが「意味」ですよ。宏大な哲学的意味ではなく、ごく素朴な、「今ここに生きている実感」。

C: ……(静かに頷く)


再燃への備え


T: 田中さん、一つ大切なことを話しておきたいと思います。これから先も、辛い日はあります。「また消えてしまいたい」という気持ちが戻ってくる日もあるかもしれない。それは「元に戻った」のではなく、「人間なら当然ある波」です。

C: ……そうですね。今週も一日、どっと落ち込む日がありました。

T: どんな日でしたか?

C: ……朝起きて、天気が悪くて、何もやる気が出なくて。ふと、「あのとき妻ともっとちゃんと向き合っていれば」と後悔して。

T: その日、何が起きましたか?どんな考えが出てきましたか?

C: ……「自分のせいだ」「自業自得だ」という考えが出てきて。

T: 「自業自得」という言葉の中に、先ほど話した「べき思考」が潜んでいませんか?「私は妻に対してああすべきだった。それができなかったから、これは当然の罰だ」という構造。

C: ……(はっとして)あ、そうか。またそのパターンに入っていたんですね。

T: そうです。「後悔する」のは自然です。「あのとき違う選択ができたかもしれない、残念だ」という後悔は健全です。でも「自業自得だ、罰として今の苦しみを受けるべきだ」という方向は、健全な後悔を超えています。その日、気づいたらどうしましたか?

C: ……外に出て、散歩しました。囲碁仲間の人にLINEして、翌日のサークルを確認して。

T: 素晴らしい。行動した。それ自体が、田中さんの中に「もう一人の田中さん」が育ってきている証拠です。


総括的対話(第7回面接・3ヶ月後)


T: 田中さん、今日で7回目になりますね。少し振り返ってみましょうか。最初にいらっしゃった頃と比べて、今の自分をどう見ますか?

C: ……(少し間をおいて)全然違う、とは言えないけれど……何かが変わった気はします。「消えてしまいたい」という気持ちが出てくる頻度が、明らかに減りました。

T: 具体的に何が変わったと思いますか?

C: ……一つは、「自分はダメな人間だ」という感覚が、少し薄くなった。完全にはなくならないけれど、「そうかもしれないけど、それだけでもない」という視点が持てるようになってきた。

T: 「それだけでもない」、それが自己受容の始まりです。

C: もう一つは……生活の中に、小さな楽しみが出てきた。囲碁、読書、散歩、それから図書館で歴史の本を読んでいたら、地元の郷土史に興味が出てきて、今度、地域の歴史ウォーキングのイベントに参加しようかと思っています。

T: 素晴らしい。

C: ……妻との離婚については、今も手続きが進んでいます。寂しいですよ。後悔もある。でも、「自分の人生が終わった」という感覚は、少しずつ薄れてきています。

T: 「寂しい、後悔もある、でも終わってはいない」。これが「健全な否定的感情と共に生きる」ということです。

C: ……(静かに微笑みながら)先生、最初に来たとき、私は「自分は何のために生きてきたのか」と言いました。今も、その問いの答えはわかりません。でも……今は、答えを探しながら生きることが、もしかしたら「生きること」そのものなのかな、という気がしています。

T: 田中さん……その言葉は、今日この場で、田中さんが自分で辿り着いたものです。私が言ったわけではない。

C: ええ。

T: 「答えを探しながら生きること」、それが「生きること」。その言葉を、どうか持ち続けてください。

C: ……はい。(少し目に光るものが見える)


【補足:本ケースで使用した主な論理療法の技法】

技法本ケースでの適用
ABCモデルの教育退職・離婚(A)→信念(B)→虚無感(C)の構造化
論駁(Disputing)「仕事がなければ価値がない」の論理的・事実的・実用的論駁
Musturbationの指摘「~でなければならない」から「~できたら望ましい」への転換
破滅化への挑戦「最悪だ」「耐えられない」の現実検討
全体的自己評価への介入行動の評価と人間全体の評価を分離
自己受容の促進点数評価からの脱却、無条件の自己受容
行動的宿題囲碁サークル、読書など、小さな行動実験
再燃の心理教育「波」の正常化と対処スキルの習得
哲学的対話人生の意味、第三章の概念、自由の再解釈

注記: 本逐語録はあくまで論理療法の教育的例示を目的として作成した架空のものです。実際の臨床では、個々のクライエントの状況・ペース・文化的背景に応じた細やかな柔軟性が求められます。また、「消えてしまいたい」という発言があったケースでは、自殺リスクの正式なアセスメントと、必要に応じた精神科・内科との連携が不可欠です。


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