社会構築主義的観点(Social constructionist viewpoint)は、精神病理学や関連する用語の普遍的かつ客観的な定義を科学的手段によって見つけることは不可能であるという事実を受け入れる立場です,。この観点から見ると、精神病理学や精神障害といった概念は、科学的に構築されたものではなく、社会的に構築された抽象的なアイデアであると見なされます,。
概念の性質と権力の反映
社会構築主義は、人々が世界をどのように記述し、説明し、説明責任を果たすようになるかというプロセスや、これらの定義が誰に利益をもたらし、誰を不利にするのかといった社会的および政治的プロセスに関心を持ちます。
- 歴史的・文化的産物: 精神病理学の概念は、人間の経験の普遍的で不変なカテゴリーではなく、特定の歴史的および文化的理解の産物です。したがって、普遍的な、あるいは「真の」定義は存在しません。
- 権力と価値観の反映: 定義は、主にそれを定義する権限を持つ人々の利益と価値観(文化的、専門的、個人的)を反映し、促進します,。精神病理学の定義をめぐる論争は、「真実」の探求ではなく、社会的に構築された抽象概念の定義をめぐる論争であり、誰を正常と見なし、異常と見なすかを決定するための権力闘争であると主張されます。
- 発明されたカテゴリー: この観点では、「精神障害」やDSMの診断カテゴリーは、発見されたものではなく、発明されたものであるとされます。
本質主義との対比
社会構築主義的観点は、本質主義的観点と対比されます。本質主義は、自然なカテゴリーが社会や文化のプロセスとは独立して客観的に存在し、特定のカテゴリーのすべてのメンバーが重要な特徴を共有していると仮定します。一方、社会構築主義は、「知能」や「自尊心」といった心理学的構成概念でさえ、発見されたり明らかにされたりするのではなく、社会の人々と制度の間で構築され、交渉されるものと捉えます,。カテゴリーは、人々が何であるかではなく、人々が人々についてどう考えるかを反映しています。
診断カテゴリーの実体化(Reification)のプロセス
社会構築主義は、精神病理学の概念がどのようにして社会的に構築され、実体化されていくかを説明します。
- 逸脱の特定: 影響力と権力を持つグループが、何らかの社会規範や理想から逸脱した行動パターンや、人間の予想される弱点や不完全さを特定します,。
- 命名と科学化: そのパターンには、好ましくはギリシャ語やラテン語起源の科学的に聞こえる名前が付けられ、最終的に頭字語などに短縮されます(例:OCD、ADHD)。
- 実体化: ひとたび診断マニュアルで「障害」として定義されると、それは**実体化(reified)**され、あたかも判断や人間の評価とは別の自然な実体であるかのように扱われます。
- 普及と拡大: 新しい障害が独自の実体を持つようになると、メディアを通じてそのニュースが広がり、専門家が診断・治療を始め、保険会社に「治療」のカバーを要求するようになります。このようにして、構築自体は社会的なプロセスであるにもかかわらず、科学的手法を用いて研究されることで、誰もが「それが本当に何かである」と確信するようになります,。
社会構築主義がもたらす示唆
社会構築主義的な観点は、精神医学の分類システム(DSMなど)が、社会規範の変化や社会的価値観に明確に影響されてきたことを示しています。
- 歴史的な変化の例: 同性愛は1973年までDSMにおける公式な精神障害でしたが、態度の変化に伴いその地位が取り消されたことは、精神医学的診断が社会的逸脱の社会構築に明確に包み込まれていることを示しました。
- 病理化の拡大: DSMの改訂ごとに「精神障害」の範囲が拡大し、診断可能な障害の数が大幅に増加し(19世紀半ばの6個からDSM-5では300個近くへ)、人生はますます病理化されています。例えば、死別反応の除外規定の削除(DSM-5)は、愛する人の喪失に伴う悲嘆を病理化することを可能にしました。
- 製薬業界の影響: 精神病理学の境界が緩められ拡大される背景には、製薬会社が自社の薬の市場を増やすために奨励している側面もあります。
社会構築主義的観点は、人間が行動的・感情的な困難を経験するという事実を否定するわけではありませんが、そのような経験は「精神障害」と呼ばれる実体の存在の証拠ではないと主張します,。科学は、美、正義、人種、社会階級といった他の社会構築物の「正しい」概念を決定できないのと同様に、精神の健康や精神障害の「適切な」概念を決定することはできないのです。精神病理学の概念と定義は、固定された事実ではなく、流動的で交渉された構成概念であり、常に変化し続けるものです,。
