「精神障害」って、誰がどうやって決めるんだろう?——社会構築主義への招待

「精神障害」って、誰がどうやって決めるんだろう?——社会構築主義への招待

1. はじめに:その「常識」、どこから来た?

「すごくシャイな性格」と「社会不安障害」って、一体何が違うんだろう? こんなふうに考えたことはありませんか?私たちは普段、何気なく「精神障害」や「心の病気」といった言葉を使っています。そして、それらはまるで科学的に発見された「事実」であるかのように感じています。

しかし、本当にそうでしょうか?

実は、私たちが「常識」や「科学的な事実」だと思っていることの多くは、時代や文化、社会のなかで人々によって形作られてきたものです。精神障害という概念も、その例外ではありません。

この文章では、**社会構築主義(しゃかいこうちくしゅぎ)**という考え方を一つの「メガネ」として使いながら、「精神障害」という概念がどのようにして生まれ、社会の中でどのような意味を持っているのかを探っていきます。少し見方を変えるだけで、世界がまったく違って見える面白さを、一緒に体験してみましょう。

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2. 「普通」と「異常」の境界線はどこ?——「精神障害」を定義する難しさ

「精神障害」とは何かを、客観的な科学の言葉だけで定義することは、実は非常に困難です。まるで解けないパズルのようです。多くの人が「常識」として考えがちな定義方法には、大きな落とし穴があります。

考え方①:統計的に珍しいこと? (Statistical Deviation)

これは、「平均から大きく外れている、珍しい状態」を「異常」と考える方法です。たしかに、幻聴や妄想といった症状は珍しいので、この考え方は一見もっともらしく聞こえます。

しかし、この考え方には大きな問題があります。

例えば、ずば抜けて知能が高い人も、統計的には平均から大きく外れた「珍しい」存在です。でも、私たちはその人のことを「障害がある」とは考えませんよね。つまり、私たちは統計的なズレの中でも、社会が「望ましくない」と考える片側だけを問題にしているのです。

考え方②:社会のルールから外れること? (Social Deviation)

これは、「社会のルールや常識から外れた行動」を「異常」と見なす考え方です。社会の秩序を保つためには、ある程度のルールは必要かもしれません。

しかし、この考え方もまた、歴史を振り返ると危うさが見えてきます。

例えば、19世紀のアメリカで、女性たちが**「私たちにも選挙権を!」**と声を上げたとき、彼女たちの行動は当時の社会の常識から大きく外れた「異常」なものでした。しかし、現代の私たちが彼女たちを見て、「精神的に不健康だった」と思うでしょうか?むしろ、社会をより良くするための、健全で勇気ある行動だったと考えるはずです。

どちらの考え方を見ても分かるように、「精神障害」の定義は科学的な発見というより、「どの違いを問題にし、どれを『治すべき』と考えるか」という社会的な決定なのです。「普通」と「異常」を分ける線は、科学がカチッと引いてくれるものではなく、時代や文化によっていくらでも引き直されてしまう、とても曖昧なものなのです。

では、この曖昧で難しい問題を、私たちはどう考えればよいのでしょうか。そのヒントを与えてくれるのが、次に紹介する「社会構築主義」という考え方です。

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3. 社会構築主義ってなんだろう?——社会が「現実」をつくる

**社会構築主義(Social Constructionism)**とは、一言でいえば、「世の中の様々な概念やカテゴリーは、自然界で『発見』されるものではなく、人間社会のコミュニケーションや交渉、力関係の中で『構築(発明)』される」という考え方です。

私たちが当たり前だと思っている「現実」は、実は社会が作り上げた物語のようなものだ、と捉える視点です。

この考え方を理解するために、「本質主義」という考え方と比べてみましょう。

考え方 (Viewpoint)説明 (Explanation)
本質主義 (Essentialism)「精神障害」は、科学者が発見できる、客観的な実体(モノ)だと考える。リンゴや重力のように、人間社会とは無関係に、もともと自然界に存在していると捉える。
社会構築主義 (Social Constructionism)「精神障害」は、人々が話し合い、交渉する中で作られた、社会や文化を反映した考え方(構成概念)だと考える。その意味は、時代や文化によって変化すると捉える。

少し難しいかもしれませんね。身近な例で考えてみましょう。 「かっこいい」という言葉の意味を考えてみてください。100年前に「かっこいい」とされたものと、現代の「かっこいい」は全く違いますよね。また、国や文化が違えば、その意味はさらに多様になります。「かっこよさ」というものが、どこかに客観的な実体として存在するわけではなく、人々が「これがかっこいいよね」と話し合い、合意していく中で、その意味が作られていくのです。

社会構築主義は、これと同じことが「精神障害」という概念にも言えるのではないか、と問いかけるのです。

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4. 「精神障害」が「作られる」まで

じゃあ、この社会構築主義っていうメガネをかけると、「精神障害」が生まれる瞬間は、どう見えるんだろう?実は、こんなステップをたどるんだ。

  1. 気づき:誰かが、社会のルールや理想から外れた特定の行動パターンに気づく。
  2. 問題化:社会的に影響力のあるグループ(例:医師、専門家)が、このパターンを管理したり「治療」したりすべき「問題」だと判断する。
  3. 命名:そのパターンに、科学的に聞こえる名前が付けられる(例:ADHD、ドラペトマニアなど)。
  4. 実体化:診断マニュアルなどに「障害」として正式に掲載されると、まるで**元から存在する「モノ」**であるかのように扱われるようになる(これを「実体化」と呼びます)。
  5. 定着:一度「モノ」と見なされると、研究や診断、治療の対象となり、その存在が社会の中でさらに確かなものに感じられるようになる。

つまり、元々はただの「考え方」だったものが、名前がついて専門家が使い始めると、いつの間にか本物の「モノ」のように扱われ始める、ということです。

このプロセスは、歴史の中に具体的な例を見つけることができます。

  • 同性愛 (Homosexuality) かつて、アメリカの精神医学会が出版する公式の診断マニュアル(DSM)では、同性愛は「精神障害」の一つとして記載されていました。しかし、社会の価値観の変化や当事者たちの運動により、1973年にリストから削除されました。病気が「治った」のではなく、社会の「考え方」が変わったのです。
  • ドラペトマニア (Drapetomania) 19世紀のアメリカで、ある医師が「発明」した「精神障害」です。これは、奴隷が主人から逃げ出そうとする衝動を病気と見なすものでした。当時の奴隷制度という社会的な権力構造を、医学の言葉を借りて正当化しようとした例と言えます。
  • DSMの拡大 (The Expansion of the DSM) 精神障害の公式リストであるDSMに掲載されている障害の数は、19世紀半ばにはわずか6個だったのに対し、最新のDSM-5では約300個にまで膨れ上がっています。本の分厚さで言えば、1952年版の130ページから、現代では900ページを超える巨大な本になりました。これは、人間の経験の様々な側面が、次々と「障害」というカテゴリーで捉えられるようになってきたことを示しています。

これらの例は、「精神障害」という概念が、社会の価値観や権力関係と深く結びつきながら、時代と共に「作られてきた」ことを物語っています。ある専門家は、拡大し続けるDSMが正常性を「絶滅危惧種」にしてしまった、とまで言っているのです。

では、このように物事を捉えることには、どのような意味があるのでしょうか。

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5. なぜこの考え方が大切なの?——「知る」ことで見える世界

「精神障害」が社会によって「発明」されるものだとして、なぜそれが重要なのでしょうか? それは、これらの「発明」が、現実の世界で絶大な力を持つからです。時にそれは、人々をコントロールし、社会の秩序を維持するための道具として使われることがあります。

定義は、多くの場合「権力を持つ人々」の価値観を反映します。さきほどの「ドラペトマニア」の例を思い出してください。奴隷が逃げたいと願うのは、人間としてごく自然で健康な反応のはずです。しかし、奴隷制度を維持したい権力者にとっては、それは「治療すべき病気」ということになりました。このように、「障害」というラベルは、社会の不正義を隠し、正当化するために使われることさえあるのです。

たかが言葉、ただの分類、と思うかもしれません。でも、この「レッテル貼り」には、とてつもなく大きな力がある。ある医療哲学者の言葉が、その重要性をはっきりと示しています。

ある状態を「病気」と分類することは、決して意味のないことではありません。それは、誰が治療を受けるべきか、誰が法的な責任を問われるべきか、保険でカバーされるべきかなど、私たちの社会の対応の仕方に大きな影響を与えるのです。

「障害」というラベルは、単なる言葉ではなく、その人の人生や社会の制度に直接的な影響を及ぼす力を持っているのです。

ここで一つ、大切な注意点があります。社会構築主義は、**「人々の心の苦しみや困難は、本物ではない」と言っているわけでは決してありません。**苦しみは紛れもなく現実のものです。社会構築主義が問うているのは、その現実の苦しみを、社会がどのように分類し、理解し、意味付けているのか、という点なのです。

この視点を持つことの最大のメリットは、**批判的に物事を考える力(クリティカル・シンキング)**が身につくことです。

  • 「常識」を鵜呑みにせず、「これはなぜ、誰にとっての常識なんだろう?」と問いかけることができる。
  • 自分たちの考え方が、特定の時代や文化の中で形作られたものであると理解できる。
  • 人間の経験の複雑さや多様性を、白黒つけるのではなく、より深く味わうことができる。

社会構築主義は、唯一の「正解」を教えてくれるものではありません。しかし、世界をより深く、多角的に見るための強力な「道具」となってくれるのです。

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6. おわりに:多角的に物事を見る面白さ

この記事では、「精神障害」という概念を客観的に定義することの難しさから出発し、社会構築主義というレンズを通して、それらの概念が社会の中で「発見される」のではなく「発明される」という見方を紹介しました。

「常識を疑う」と聞くと、少し難しく感じるかもしれません。しかし、それは決して物事を否定するためだけのものではありません。当たり前だと思っていたことに「なぜ?」と問いかけ、様々な視点から光を当ててみることで、世界はもっと面白く、奥深いものに見えてきます。

今回の話が、みなさんにとって、社会や人間について多角的に考えることの面白さを知る、一つのきっかけになれば嬉しく思います。

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