新しいものさし「LPFS」が生まれるまで

心の病気の「診断」はどう変わってきたの?新しいものさし「LPFS」が生まれるまで

「心の病気の診断」と聞くと、少し怖いイメージや、「自分はこういう人間なんだ」と決めつけられてしまうような「レッテル貼り」を想像するかもしれません。

でも、本来、診断は全く違う目的を持っています。それは、その人が今、何に、どのように苦しんでいるのかを専門家が深く理解し、その人に合ったより良いサポートを提供するための、とても大切な**「ツール(道具)」**なんです。

この記事では、特に「パーソナリティ障害」と呼ばれる心の状態の診断が、時代と共にどのように進化してきたのか、その歴史を一緒に追いかけていきたいと思います。専門家たちが使う「DSM」というマニュアルの歴史をたどりながら、診断が「分類」から、より**「一人ひとりの個人に寄り添う」**形へと変わってきた道のりを一緒に学んでいきましょう。

ではまず、これまでの診断方法がどのような課題を抱えていたのか、その歴史から見ていきましょう。

1. かつての診断方法:ピッタリ当てはまる人はいるの?「カテゴリ診断」の悩み

心の病気を診断するとき、専門家たちは**DSM(精神疾患の診断・統計マニュアル)**というものを使います。これは、世界中の専門家が同じ基準で対話するための「共通の言葉」や、状態を測るための「共通のものさし」のようなものだと考えてください。

かつてのDSM(DSM-IVまで)では、「カテゴリ診断」という方法が主流でした。これは、病気ごとに用意された診断基準の項目を見て、「当てはまるか、当てはまらないか」を判断する、まるでチェックリストのような方法です。

一見わかりやすいこの方法ですが、実は深刻な悩みを抱えていました。Widigerという研究者らの調査(1989)によって、臨床現場が抱える課題を浮き彫りにしたのです。それは、診断基準に書かれているような「典型的な(教科書通りの)患者さん」は、実はほとんどいないということでした。

多くの人は、いくつかの特徴は当てはまるけれど、すべてがピッタリ当てはまるわけではない…。この「カテゴリ診断」では、一人ひとりが抱える複雑な苦しみや、そのグラデーションをうまく捉えきれませんでした。それだけでなく、基準を満たさないために苦しんでいるのに診断がつかない人、逆に複数の診断名がついてしまい中心的な問題がぼやけてしまう人など、個人の実態にそぐわないという限界があったのです。

このような課題から、専門家たちは「病気か、そうでないか」の二択ではなく、もっと柔軟な考え方を模索し始めます。それが「重さ」という視点でした。

2. 新しい視点の登場:「病気か否か」から「どれくらい苦しいか」へ

「チェックリストに当てはめるだけでは、その人の本当の苦しみは見えてこない」——。

そんな反省から、専門家たちは新しい視点を取り入れ始めます。それが「重症度」という考え方です。つまり、「病気か、病気でないか」の0か100かで判断するのではなく、「どれくらい深く苦しんでいるのか」「生活にどれくらい影響が出ているのか」という**度合い(グラデーション)**で理解しよう、というアプローチです。

Moreyという研究者(2005)は、この新しい考え方をさらに進めるために、専門家たちが目指すべき目標を次のように整理しました。

  • ポイント1: 様々なパーソナリティ障害と診断される人たちの中に、共通して測れる「重症度」という一本の軸があることを、科学的なデータで示すこと。
  • ポイント2: その「重症度」という指標が、実際に患者さんの治療計画を立てる上で、どのように役立つのかを明らかにすること。

さらに、Hopwoodらの研究グループ(2011)は、この「重症度」とは具体的に何を測るものなのかを提案しました。それは、**「その人自身の機能が、どれくらい損なわれているか」**を測るものだ、という考え方です。特に、自分自身をどう捉えているか(自己)や、他者とどう関わっているか(対人関係)といった、人間としての根源的な機能に着目したのです。

この「重症度」という大切な考え方を、実際に診断の場で使える形にするために、画期的なツールが開発されました。それが「LPFS」です。

3. 新しいものさしの誕生:個人の苦しみを多角的に見る「LPFS」とは?

こうした流れの中で、DSM-5(2013年に改訂された新しいバージョン)に向けて、画期的な評価ツールが開発されました。それが**LPFS(Level of Personality Functioning Scale; パーソナリティ機能レベル尺度)**です。

LPFSの目的は非常にシンプルです。それは、「パーソナリティ機能の全体的な重症度を測ること」。

LPFSは、人の心の機能を、特に重要とされる「人間としての機能の2つの柱」から多角的に評価します。

評価領域具体的に見ること(専門用語と説明)
自己(自分自身とのこと)・アイデンティティ (Identity): 自分はこういう人間だという、一貫した自己像を持っているか?<br>・自己志向性 (Self-direction): 建設的な人生の目標を自分で決め、達成に向けて努力できるか?
対人関係(他者とのこと)・共感性 (Empathy): 他人の気持ちや経験を理解し、その立場を想像できるか?<br>・親密性 (Intimacy): 他者と長期的で、安定的かつ親密な関係を築き、維持できるか?

そして、これらの機能がどれくらい損なわれているかを、「なし」から「軽度」「中等度」「重度」「極度」までの5段階で評価します。これにより、白か黒かではなく、一人ひとりの状態をより細やかに、そして立体的に把握できるようになったのです。

では、この新しいものさしLPFSは、以前の方法と比べて具体的にどのような点が優れているのでしょうか?研究データからその実力を見てみましょう。

4. LPFSはなぜ優れているの?古い方法との決定的な違い

新しいものさしLPFSは、本当に役に立つのでしょうか?Moreyという研究者(2013)は、LPFSと従来のDSM-IVの診断方法を直接比較する大規模な調査を行いました。その結果、LPFSの圧倒的な実力が証明されたのです。

  • ① 予測能力が高い LPFSのスコアは、その人が日常生活でどれほどの困難を抱えているか、またどのような治療が今後必要になるかを、DSM-IVの10個の病名を並べて説明するよりも、ずっと正確に予測できることが分かりました。つまり、よりその人の未来に役立つ情報を提供できるのです。
  • ② 臨床現場で「使える」 実際に治療を行う臨床家たちにどちらが有用かを尋ねたところ、LPFSの方が「患者さんの状態を深く理解しやすい」「治療計画を立てやすい」「患者さん本人に状態を説明しやすい」と、多くの項目で高く評価されました。これは、臨床家たちが18年以上も慣れ親しんできたDSM-IVの方法よりも高く評価されたという点で、非常に驚くべき結果でした。
  • ③ よりシンプルで本質的 DSM-IVでは最大79項目ものチェックリストを確認する必要がありましたが、LPFSというたった一つの軸で評価する方が、その人の苦しみの中心的な問題を捉えやすく、はるかに有用であることが示されました。複雑な情報を並べるよりも、本質を捉える方がずっと力になるのです。

最後に、この診断方法の進化が私たちに教えてくれること、そしてこれからの精神医療にとってどのような意味を持つのかを考えてみましょう。

5. まとめ:一人ひとりに寄り添う医療へ

この記事では、パーソナリティ障害の診断がどのように変わってきたのかを見てきました。その進化をまとめると、次のようになります。

たくさんの「箱(カテゴリ)」に無理やり分類する方法 から、 一人の人間の「苦しみの深さ(重症度)」を、一本の軸で丁寧に測る方法 へ。

LPFSのような新しい考え方の登場は、私たちに大切なことを教えてくれます。それは、診断が単なる「分類作業」や「レッテル貼り」ではなく、その人自身を深く、多角的に理解し、共に回復への道のりを歩むための「出発点」であるということです。

精神医療の世界は、決して立ち止まってはいません。常により科学的で、より客観的なデータに基づきながら、どうすればもっと一人ひとりの心に寄り添えるのかを模索し、進歩し続けています。この記事が、そんなダイナミックな学びの世界への入り口となれば、とても嬉しく思います。

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