「李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず」と精神療法

この成句は、精神療法の技法というより、
むしろ治療関係の倫理・姿勢・場の設計原理を言い当てています。

以下、
①ことわざの本来の意味 → ②精神療法への翻訳 → ③臨床での具体像 → ④日本的文脈
という流れで整理します。


①「李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず」とは何か

直訳すれば、

  • 李(すもも)の木の下では冠を直すな
    → 実を盗んでいると疑われる
  • 瓜畑では履物を直すな
    → 瓜を盗んでいると誤解される

要点は一つです。

無実であっても、
疑念を招く状況そのものに身を置くな

これは道徳というより、
人間関係の現実認識に基づいた知恵です。


② 精神療法への翻訳(核心)

精神療法に翻訳すると、こうなります。

治療者は「誤解されうる位置」に立たない
患者の病理を刺激する配置を自ら作らない

これは

  • 中立性
  • 枠(フレーム)
  • 境界(バウンダリー)

と呼ばれるものの、
日本語で一番近い表現が、実はこの成句です。


③ 臨床で実際に起こる「李下・瓜田」

1.善意が疑念を生む場面

  • 「心配だから頻回に連絡する」
  • 「一人で大変そうだから手を貸す」
  • 「特別に配慮する」

👉 妄想性障害・統合失調症圏では、

  • 監視
  • 操作
  • 特別視
  • 裏の意図

として解釈されやすい。

善意は免罪符にならない。


2.説明しすぎることの危険

  • 丁寧な説明
  • 論理的な説得
  • 根拠の提示

👉 妄想構造では、

  • 「そこまで説明するのは怪しい」
  • 「言い訳している」
  • 「隠していることがある」

となる。

李の木の下で、手を上げてはいけない。


3.「わかろうとする姿勢」が踏み込みすぎる瞬間

  • 深掘り
  • 解釈
  • 背景理解

👉 ある段階を越えると、

  • 「見透かされた」
  • 「侵入された」

になる。

治療者の理解欲求が、
患者の被害感を刺激する。


④ 精神療法的に言うと何をしているのか

この成句が教えるのは、
何をするかではなく、

何を「しないか」

です。

しないこと臨床的意味
近づきすぎない被害妄想を刺激しない
特別扱いしない関係妄想を作らない
先回りしない操作感を与えない
説明しすぎない合理化妄想を助長しない

⑤ 妄想がほどける条件との関係

**「妄想がほどける瞬間」**と深く関係します。

妄想がほどけるのは、

  • 説得されたとき ❌
  • 論破されたとき ❌
  • 理解されたとき ❌

ではなく、

疑わなくて済む状況が
長期間、静かに維持されたとき

治療者が
李下にも瓜田にも入らないことで、

  • 妄想は「解かれない」
  • しかし「使われなくなる」

⑥ 日本の精神療法との相性

この成句は、
日本の精神療法文化と非常に相性がよい。

日本的強み

  • 沈黙を許容できる
  • 曖昧さに耐えられる
  • 直接言わない技法がある

👉 これは西洋的な
「明確化・言語化・介入」
とは逆方向だが、

妄想圏には極めて有効。


⑦ 一文でまとめると

精神療法における「李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず」とは、
患者の心に「疑い」を生じさせない場所取りの技法である。


補足(臨床家としての自戒)

  • 何かを「してあげたくなった」とき
    → そこは李の木の下かもしれない
  • 関係が「特別に感じられる」とき
    → もう瓜田に足を踏み入れている

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