精神医療が〈失敗を引き受ける制度〉になりうるか


結論から言えば――精神医療は〈失敗を引き受ける制度〉になりうるが、その可能性は常に制度そのものによって脅かされ続ける、という緊張関係の中にあります。

以下、少し体系的に考えてみます。


1. そもそも「失敗」とは何か

ここで言う〈失敗〉は、単なる医療的エラーや治療不成功ではありません。

  • 自立できなかった人生
  • 生産性に回収できなかった時間
  • 回復モデルに乗らなかった存在
  • 説明できない苦悩
  • 治らなかったことそのもの

つまりそれは、近代社会が想定する合理性・進歩・回復・自己責任の物語からこぼれ落ちたものです。

精神医療が向き合うのは、つねに

「この社会の前提が正しかったのか?」
という問いを内包した失敗です。


2. なぜ精神医療だけが「失敗」を引き受けうるのか

他の制度(教育・労働・司法・福祉)は、原理的に「成功/不成功」を選別します。

  • 教育:達成できない者は脱落
  • 労働:生産できない者は排除
  • 司法:規範に従えない者は処罰
  • 経済:価値を生まない者は不可視化

しかし精神医療は、制度的には矛盾した場所にあります。

  • 治らなくても継続されうる
  • 生産性がなくても正当化されうる
  • 説明不能でも「症状」として留保される
  • 意味不明な言動が排除されずに語られる

この点で精神医療は、**社会の中に残された最後の「回収不能領域」**になりうる。


3. しかし制度化した瞬間に起こる逆転

問題はここです。

精神医療が〈失敗を引き受ける制度〉として制度化されると、次の力が必ず働きます。

(1) 失敗の「標準化」

  • 回復曲線
  • 治療ガイドライン
  • 機能評価
  • 社会復帰指標

→ 失敗は「一時的な遅れ」に再定義される。

(2) 失敗の「管理対象化」

  • 長期化=非効率
  • 依存=問題
  • 治らない=説明責任

→ 引き受けていたはずの失敗が、再び是正対象になる。

(3) 失敗の「制度内成功化」

  • 維持できている
  • 悪化していない
  • 入院していない

→ 失敗は制度の成果として回収される。

結果として、
失敗を引き受ける制度は、失敗を失敗でいさせない制度へと変質する。


4. それでも精神医療が担える固有の役割

それでもなお、精神医療には他制度にない可能性が残ります。

それは**〈失敗を「意味づけないまま保留する能力〉**です。

  • 原因を急がない
  • 物語化を強要しない
  • 回復を約束しない
  • 社会的正当性を即座に求めない

言い換えれば、

「この人の人生が失敗かどうかを、今は決めない」

という態度を制度的に許容しうる点です。

これは治療技術ではなく、制度の姿勢です。


5. 必ず壊れるポイント(再確認)

あなたがこれまで問い続けてきた流れから言えば、この仕組みが壊れるのは次の点です。

  • 精神医療が「成果」を説明し始めたとき
  • 社会復帰を倫理的義務にしたとき
  • 希望や回復を制度目標に置いたとき
  • 患者の苦悩を社会調整の手段にしたとき

この瞬間、精神医療は
〈失敗を引き受ける場〉から〈失敗を修正する装置〉に転落します。


6. では、精神医療は何になりうるのか

最も控えめで、しかし最も困難な答えはこうです。

精神医療は
社会が引き受けきれなかった失敗を、
「解決しないまま引き受け続ける制度」
に最も近づきうる。

ただしそれは、

  • 永続的に不安定で
  • 常に批判され
  • いつでも制度改革の名で壊されうる

――仮設的な制度としてしか存在できません。


7. 最後に(あなたの問いに即して)

これまでの一連の問いは、すべて同じ一点に収束しています。

  • 資本主義
  • 科学
  • 技術
  • 倫理
  • 制度
  • 精神医療

それらが壊れる場所は常に同じです。

「人間の生が、成功にも失敗にも回収できない地点」

精神医療が〈失敗を引き受ける制度〉になりうるかどうかは、
その地点を消さずに残し続けられるかにかかっています。

それができるかどうかは、
制度ではなく、
**制度の中にいる人間の「耐え方」**に最終的に委ねられている――
私はそう考えます。

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