専門用語と理論密度を一段落としつつ、しかし思考の骨格は失わない形で、
**「日本論として一般向けに書き直したアウトライン」**を提示します。
これはそのまま新書・一般書・長めの論考の設計図になります。
日本社会は何を信じてきたのか
――資本主義・科学・精神医療から考える〈信仰なき宗教性〉
序章 なぜ日本では「うまくいった人」が尊敬されるのか
- お金持ち
- 成功した経営者
- 有名人
- 結果を出した人
日本では、
経済的・社会的成功が、そのまま「人格の高さ」や「徳」と結びつきやすい。
これは偶然ではない。
本書の問いはここから始まる。
日本社会は、
何を「正しさ」として信じてきたのか。
第1章 資本主義は「精神」から生まれたのか
- マックス・ウェーバーの有名な議論
「プロテスタント倫理が資本主義を生んだ」 - 勤勉
- 倹約
- 富の蓄積
- 再投資を善とする考え方
確かに歴史を見ると、
カトリック圏よりもプロテスタント圏で
近代資本主義は長く安定して発展した。
だが――
精神だけで説明できるほど単純ではない。
第2章 なぜスペインは衰退し、イギリスは繁栄したのか
- スペイン・ポルトガル
→ 植民地で巨額の富を得たが、蓄積されなかった - オランダ
→ 商業国家として栄えたが、覇権を失った - イギリス
→ 帝国主義・資本主義・金融の中心として長期繁栄
ここで見えてくるのは、
資本主義は
「精神」だけでも
「制度」だけでも
成立しない
という事実。
精神 × 制度 × 歴史的偶然
この不安定な組み合わせが、たまたま噛み合ったときに成立した。
第3章 中国はなぜ近代科学に向かわなかったのか
中国は長い間、
- 高度な官僚制
- 技術力
- 商業
- 農業生産
を備えた、世界最先進地域だった。
それでも、
- 近代自然科学
- 近代資本主義
には向かわなかった。
理由については諸説あるが、共通する視点は一つ。
中国では
「自然を支配する対象」として切り離す発想が弱かった
自然と人間は連続しており、
世界は「操作するもの」ではなく「調和するもの」だった。
第4章 日本はなぜ「科学だけ」を受け入れたのか
明治日本は、きわめて大胆な選択をした。
- 西欧の自然科学 → 受け入れた
- 科学技術 → 徹底的に導入
- しかしキリスト教 → 社会の基盤にはしなかった
その結果、日本にはこうした構造が生まれる。
- 科学は「価値中立」
- 技術は「進歩」
- 倫理や意味の最終根拠は曖昧なまま
つまり、
強い技術を持ち、
それを方向づける強い倫理を持たなかった社会
第5章 科学と技術は何が違うのか
- 科学
→ 世界を「説明」する
→ 正しさと善悪を区別しない - 技術
→ 世界を「変えてしまう力」
→ 本来は倫理を必要とする
問題はここにある。
技術は倫理を生まない
しかし倫理が弱い社会では、
技術が正義の顔をしてしまう
第6章 技術が倫理を追い越したとき
日本社会で起きたのは、
- 効率
- 成果
- 正確さ
- 標準化
が、そのまま「正しさ」になっていく現象だった。
その結果、
- 成功=正しい
- 失敗=自己責任
- うまくいかない人=どこか間違っている
という、見えない道徳が生まれる。
第7章 精神医療はなぜ特別な場所になったのか
精神医療は、
- うまくいかない人
- 社会に適応できない人
- 説明できない苦しみ
を引き受けてきた。
言い換えれば、
日本社会が引き受けきれなかった「失敗」を預かる場所
だった。
第8章 精神医療が宗教になりかけるとき
ここで危険が生まれる。
- 診断名が「意味」になる
- 治療が「正しさ」になる
- 回復できないことが「倫理的失敗」になる
これは治療ではなく、
世俗化した救済宗教に近い。
第9章 世俗社会に残った〈信仰なき宗教性〉
日本は「無宗教」ではない。
- 神は信じない
- しかし意味は必要
- 罰と救済は欲しい
その結果、
- 制度
- 市場
- 科学
- 医療
が、宗教の代わりをさせられる。
第10章 日本に可能な「弱い倫理」
日本に必要なのは、
- 強い教義
- 絶対的正しさ
ではない。
必要なのは、
- 失敗を許す
- 成功を神聖化しない
- 治らなさを恥にしない
- 沈黙や停滞を排除しない
弱く、壊れやすいが、人間的な倫理である。
終章 精神医療は何を守る場所か
精神医療は、
- 人を治す場所である以前に
- 社会の過剰な正義から人を守る場所
でありうる。
日本社会が
「正しさ」を信じすぎないための
最後の緩衝地帯
それが、この国における精神医療の意味なのかもしれない。
