資本主義とプロテスタント、スペインとイギリス

第1章 資本主義は「精神」から生まれたのか

資本主義について語られるとき、しばしば「お金の仕組み」や「市場のルール」の話に収斂していく。しかし、この問いをもう少し根源まで掘り下げるなら、次のように言い換えることができる。

人びとは、なぜその仕組みを「正しいもの」として受け入れ、長く維持してきたのか。

この問いに真正面から向き合った古典が、社会学者マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』である。ウェーバーは、資本主義の成立を単なる経済史の問題としてではなく、人びとの内面、すなわち「生き方の倫理(エートス)」の問題として捉えた。

彼が注目したのは、プロテスタント、とりわけカルヴァン派の生活態度である。そこでは、勤勉であること、無駄遣いをしないこと、得た富を享楽に使わず再投資することが、単なる合理的行動ではなく、宗教的に意味づけられていた。神に選ばれているかどうかは人間には分からない。しかし、地上での成功と秩序だった生活は、その「徴(しるし)」かもしれない。この緊張が、人びとをして禁欲的で規律ある経済行動へと向かわせた、というのがウェーバーの仮説である。

この議論は、長く賛否を呼んできた。たしかに、近代資本主義が最初に安定的に発展した地域が、イギリスやオランダといったプロテスタント圏であったことは否定できない。一方で、同じ時代にスペインやポルトガルといったカトリック圏の国々も、植民地支配を通じて莫大な富を手にしていた。単純に「宗教が違ったから結果が違った」と言うには、歴史はあまりに複雑である。

重要なのは、ウェーバー自身も決して「宗教が資本主義を生んだ」と単純化していない点だ。彼が言おうとしたのは、資本主義が成立するためには、制度や技術だけでなく、それを支える精神的土壌が必要だった、ということである。逆に言えば、精神だけがあっても、制度や歴史的条件が整わなければ、資本主義は定着しない。

実際、資本主義の歴史を振り返ると、それは常に不安定な均衡の上に成り立ってきた。勤勉や倹約といった美徳は、状況によっては単なる自己抑圧に転じる。富の蓄積は、再投資されなければ浪費や腐敗に変わる。制度が精神から切り離されれば、効率だけが暴走する。

ここで押さえておくべきなのは、資本主義とは完成されたシステムではなく、精神と制度と歴史的偶然が、たまたま噛み合い続けてきた結果だという点である。その均衡は、決して自明でも永続的でもない。

本書がこの章から出発するのは、日本社会を考える際にも、この視点が欠かせないからである。日本は資本主義を「精神ごと」受け入れたのか、それとも「仕組みだけ」を導入したのか。この問いは、単なる経済論ではなく、日本人が何を正しさとして信じてきたのか、という問題へとつながっていく。

次章では、ヨーロッパ諸国の具体例を挙げながら、資本主義がどのように定着し、また挫折していったのかを辿っていくことにしたい。


第2章 なぜスペインは衰退し、イギリスは繁栄したのか

近代資本主義の成立を考えるとき、しばしば「最初に世界を制した国はどこか」という問いが立てられる。しかし、この問いは少しずらした方がよい。重要なのは、どの国が一時的に富を得たかではなく、どの国が富を蓄積し、再生産し続けることができたかである。

16世紀から17世紀にかけて、スペインとポルトガルは、誰の目にも明らかな勝者だった。新大陸から金銀が流れ込み、世界貿易の主導権を握った。にもかかわらず、これらの国々は長期的には衰退していく。理由の一つは、富が国内で産業や技術に再投資されなかったことである。金銀は王侯貴族の消費や戦費に使われ、経済の基盤を強化する方向には向かわなかった。

ここには、宗教や精神の問題だけでなく、制度の問題もあった。スペインでは、貴族であることが社会的名誉と結びつき、商業や金融はどこか卑しいものと見なされがちだった。富は「使うもの」であり、「増やし続けるもの」ではなかったのである。

対照的なのがオランダである。17世紀のオランダは、小国ながら海運・金融・商業で世界をリードした。アムステルダムには証券取引所が生まれ、株式会社という仕組みが実用化された。宗教的にはプロテスタントが主流で、勤勉や節制が生活倫理として根づいていた。

しかし、オランダは最終的に世界覇権を維持できなかった。その理由は単純ではないが、人口や軍事力の制約、そして後発の大国との競争が影響した。重要なのは、オランダが「資本主義の実験場」としては成功したが、それを帝国規模で維持する条件を欠いていたという点である。

この流れを引き継いだのがイギリスだった。イギリスは、オランダの金融技術を取り入れつつ、より強力な国家制度と軍事力を背景に、資本主義を国家規模で定着させていった。議会制、法の支配、私有財産の保護といった制度は、投資と信用を安定させる役割を果たした。

ここで注目すべきなのは、イギリスにおいて資本主義が「道徳」と完全に切り離されなかった点である。勤勉であること、働くこと、富を増やすことは、必ずしも恥ではなく、むしろ社会的に評価される行為だった。宗教的禁欲と経済的合理性が、完全ではないにせよ、一定の調和を保っていた。

一方、フランスを見ると、また別の姿が浮かび上がる。フランスは中央集権的な国家を早くから形成したが、その分、経済活動は国家によって強く管理された。資本主義は発展したものの、社会全体の倫理として内面化されるまでには至らなかった。

これらの比較から分かるのは、資本主義の成否が単一の要因で決まるわけではないという事実である。宗教的精神、社会的評価、政治制度、軍事力、国際環境——それらが偶然的に組み合わさったとき、資本主義は「定着」する。

つまり、資本主義とは、成功した国が最初から正しかったから成立したのではない。むしろ、成立してしまった後で、その成功が「正しかったもの」として語り直されてきたのである。

この視点は、日本を考える上で決定的に重要になる。日本は、こうした長い試行錯誤の末に形成された資本主義を、近代以降、きわめて短期間で受け入れた。そのとき、日本はどの部分を学び、どの部分を取りこぼしたのか。その問いは、次章で中国と日本を比較することで、よりはっきりしてくるだろう。

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