第1章 資本主義は「精神」から生まれたのか
本章の目的:資本主義の発展を単なる経済制度ではなく、特定の倫理的・宗教的エートスに支えられた歴史的現象として再評価する。
近代資本主義の成立は、単に経済的合理性や市場制度の発展だけでは説明できない。マックス・ウェーバー(1905)は、プロテスタントの倫理が資本主義の精神的土壌を形成したと論じている。彼によれば、勤勉、倹約、計画的な富の蓄積という生活態度は、単なる個人的美徳ではなく、制度的経済発展を可能にする社会的エートスとして機能したのである。ウェーバーはこれを「プロテスタント的職業倫理(Berufsethik)」と呼び、特にカルヴァン派に見られる予定説信仰が、自己の職業的成功を神の意志の証とみなす心理を生み出した点に着目した(Weber, 1905, p.45)。
一方、カトリック圏におけるポルトガルやスペインの事例をみると、帝国主義的植民地獲得に成功し、莫大な金銀を新大陸から獲得したにもかかわらず、長期的な資本蓄積や制度的発展にはつながらなかった。短期的な富の享受はあったが、再投資や制度化には結びつかず、やがて経済的停滞を招いた。このことは、単なる経済的成功と制度的持続可能性は必ずしも一致しないことを示している(Taylor, 2007, pp.112–118)。
また、イギリスは17世紀以降、制度的安定、技術革新、資本蓄積、そして帝国的拡張を同時に達成し、長期的な繁栄を享受した。この違いは、倫理的エートスと制度的条件の偶然的な結合の結果であると考えられる。イギリスの商業文化や議会制度は、個人の努力を制度的に承認し、資本の蓄積と再投資を促す構造をもっていた。ウェーバーが強調した「精神と制度の相互作用」の具体例である(Weber, 1905, p.62)。
さらに、倫理的土壌の存在は必ずしも宗教的信仰に限定されない。近代的世俗社会においても、勤勉や貯蓄といった行動規範は、宗教的モチベーションなしに制度的機能を支えることがある。ここで重要なのは、倫理や精神が制度に先行して存在し、制度の形成を可能にするという点である。逆に制度だけでは倫理的価値は創出されず、単なる効率化や規則遵守に留まる。したがって、資本主義成立の条件を考える際には、制度と精神の相互関係を中心に分析する必要がある。
この章の結論として、資本主義は単なる経済的合理性から生まれたものではなく、特定の精神的エートスと制度の偶然的結合によって成立したことが確認される。歴史的事例を踏まえることで、制度的発展を支える倫理の重要性と、精神が制度化される過程で失われうるものの意味を理解することが可能である。今後の章では、この精神と制度の均衡がどのように崩れ、科学・技術・精神医療の領域でどのような問題を生むのかを検討する。
脚注:
- Weber, M. (1905). Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus. Tübingen: Mohr.
- Taylor, C. (2007). A Secular Age. Cambridge, MA: Harvard University Press.
