江戸時代のキリシタンが「踏み絵」問題で悩んだ。
現在、「中道改革連盟」は踏み絵状態である。
公明党の意見を飲んで、
・安保法制は合憲である。
・原発は推進。
の2項目について、立憲は従来の意見を捨てて、賛成する。
(1)この踏み絵を踏む理由は、
1.政治と金問題解決。
2.軍拡停止。
の方が大事ということ。
(2)踏み絵を踏まないのは、
1.安保法制は違憲である。
2.原発は廃止。
の2項目は捨てられないということ。
踏み絵を踏むのも踏まないのも意味があるし、いいことだ。
それぞれが決めればいい。
昔のキリシタンの踏み絵についても、踏むことにも踏まないことにも意味があるし、
踏んだとしても、それぞれで微妙に違いがあるし、
踏まないとしても、それぞれに違いがある。
(3)今回の踏み絵も、
立候補者として踏み絵を踏むとしても、中身としてはいろいろな考えがあるだろうし、
有権者としても、それぞれに考えて選べばいいのだし、
どうするのが絶対にいいということもないだろう。
いろいろな意見があれば、それでいい。
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昔にも「踏み絵」があった。
小池百合子が2017年に希望の党を立ち上げた際に言った「排除」とは、
民進党の中にいた、安保法制に反対するリベラル系議員を公認しない(=候補者から外す)という意味でした。
もう少し具体的に言うと
・安保法制(集団的自衛権の限定容認)に反対する議員
・憲法改正に否定的な議員
・希望の党が掲げた「現実的安全保障」「改憲志向」に同意しない議員
これらを
「政策的に一致しない人は排除する」
と小池自身が記者会見で明言し、
「(政策に合わない人は)排除いたします」
という強い言葉を使ったことで、一気に反発が広がりました。
その結果として、
民進党のリベラル派が行き場を失い
枝野幸男が「排除される側」を引き受ける形で
立憲民主党を急遽立ち上げる
「排除の論理」vs「包摂の論理」という構図が可視化される
という政治的転換点が生まれました。
