苦しみに意味を与える公的な言語

臨床の言葉現場で何が起きているかの話になります。


Ⅰ.戦後の空白は、臨床にそのまま流れ込んだ

戦後日本で失われたのは、
制度としての宗教ではありません。
**「苦しみに意味を与える公的な言語」**です。

その空白に、静かに入り込んだのが、

  • 精神医療
  • 心理臨床
  • 福祉
  • 教育
  • そして自己啓発

です。

臨床はいつの間にか、

治療
支援
ケア

だけでなく、

「なぜ生きるのか」
「なぜ回復しなくても生きていていいのか」

という問いまで引き受ける場所になった。

これは本来、
宗教・哲学・共同体が分担していた仕事でした。


Ⅱ.戦後臨床の特徴①

「意味を語らない」ことで成り立つ臨床

戦後日本の臨床は、非常に慎重です。

  • 生きる意味を押し付けない
  • 正解を与えない
  • 価値判断を避ける

これは倫理的には正しい。

しかし同時に、

患者が「意味の欠如」で苦しんでいるとき、
こちらも意味を語れない

という構造を生んでいます。

だから臨床は、

  • 症状
  • 機能
  • QOL
  • 適応

という代替指標を使う。

これは治療としては有効ですが、
実存的な問いの代用品でもある。


Ⅲ.戦後臨床の特徴②

「回復モデル」が抱え込んだ矛盾

回復モデルは、戦後的価値の結晶です。

  • 治らなくてもいい
  • 症状があっても生きていい
  • その人の人生が大事

これは、
戦前国家が否定した
生の無条件性の回復です。

しかし同時に、

  • それでも「回復」という語を使う
  • どこかに「良くなる物語」を残す

ここに、無理が生じる。

回復しないまま生きる人を、
本当に肯定しきれているか?

臨床家は、
この問いをいつも胸の奥に抱えています。


Ⅳ.戦後臨床の特徴③

「祈れない専門職」

これは重要です。

臨床家は、

  • 慰めることはできる
  • 共感することはできる
  • 付き添うことはできる

しかし、

  • 祈れない
  • 救えない
  • 意味を保証できない

この制限は、
国家が宗教にならないと決めた
戦後の選択と、同型です。

だから臨床は、

常に途中で終わる仕事

になります。

終わらせないために、
フォローアップがあり、
継続支援があり、
「関係性」が重視される。


Ⅴ.それでも臨床がやっていること

では、臨床は何をしているのか。

はっきり言えば、

意味を与えずに、意味が立ち上がるのを待つ

という、
非常に日本的で、
非常に人間学的な仕事です。

  • 物語を押し付けない
  • 解釈を急がない
  • それでも一緒に時間を過ごす

これは、
神仏習合的な「宙づり」の感覚に近い。


Ⅵ.天皇制・国家・臨床の奇妙な並行

ここで、全体が一つにつながります。

戦後日本では、

  • 天皇は
    • 祈らない
    • 救わない
    • しかし寄り添う存在
  • 国家は
    • 意味づけない
    • しかし保障する存在
  • 臨床は
    • 答えない
    • しかし共にいる存在

三者は、
同じ倫理を共有しています。

強い言葉を持たない
だが、立ち去らない


Ⅶ.臨床が引き受けている「重さ」

だから臨床家は、しばしば疲弊します。

  • これは医療なのか
  • 人生相談なのか
  • 哲学なのか
  • 宗教の代替なのか

答えは、

全部だが、どれでもない

です。

戦後日本は、
宗教を国家から切り離した代わりに、
臨床に沈黙の重荷を背負わせた。


Ⅷ.一文でまとめるなら

戦後日本の臨床とは、
意味を与えられない社会の中で、
それでも人が意味を失いきらないように、
そばに居続ける技法である。

これは弱い仕事に見えるかもしれない。
でも実際には、

最も人間的で、
最も引き受けすぎている仕事

です。

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