「治療」という言葉自体の意味を書き換える。
治す/正常化する/正解に戻すという発想から距離を取り、
進化論的に見て、治療とは何をしている操作なのかを考える。
治療とは、何を「正す」ことなのか
――進化論から見た薬物療法と心理療法
精神医療について語るとき、
私たちは無意識のうちに、こう考えている。
- 壊れたものを修理する
- 正常な状態に戻す
- 間違った反応を正す
だが、進化論的に見れば、
この比喩はあまり正確ではない。
多くの精神症状は、
そもそも「働きすぎている」回路の結果だからだ。
進化論的に見た治療の定義
進化論の視点から定義し直すなら、
治療とはこう言える。
かつては生存に有利だった反応を、
現代環境では「弱める」「間引く」「緩める」操作
つまり治療は、
進化の成功体験を、部分的に裏切る行為でもある。
それを前提に、
薬物療法と心理療法を見てみよう。
薬物療法とは何をしているのか
――「過剰に働く回路」を鈍らせる
薬は、性格を変えない。
価値観も変えない。
意味も与えない。
薬がしているのは、
神経回路の感度調整だけだ。
■ 抗精神病薬
鈍らせている回路
- 意味づけ
- 確信
- 重要性の付与(サリエンス)
進化的には、
「これは重要だ」「これは関係がある」と
即座に判断できることは有利だった。
だがその回路が過剰になると、
世界が意味で埋め尽くされる。
抗精神病薬は、
世界を“少し退屈にする”ことで、妄想を成立しにくくする。
■ 抗うつ薬
鈍らせている回路
- 自己反省のループ
- 失敗の反芻
- 撤退信号の持続
うつ状態は、
本来は短期的な停止プログラムだった。
抗うつ薬は、
その「停止命令」を
いつまでも解除されないままにしている回路を、鈍らせる。
回復させるのではなく、
止まり続けられないようにする。
■ 気分安定薬
鈍らせている回路
- 変動性
- 切り替えの振れ幅
双極性は、
探索と保存を切り替える能力の名残だ。
薬は、
この切り替え能力そのものを消さない。
ただ、振れ幅を小さくする。
■ 抗不安薬
鈍らせている回路
- 警戒
- 即時反応
- 非常ベル
不安は、
誤報が多くても鳴る方が安全だった。
抗不安薬は、
誤報を減らすのではなく、音量を下げる。
薬物療法の進化論的本質
薬は、
「正しい状態」に戻しているのではない。
現代環境では
これ以上働くと、かえって生存を妨げる回路を
一時的に黙らせている
それだけだ。
心理療法とは何をしているのか
――「意味と物語」を緩める
心理療法は、
回路に直接触れない。
触れるのは、
その回路を動かしている物語だ。
人間の脳は、
意味がある限り、
どんな苦痛にも耐えてしまう。
心理療法は、
その「意味の結び目」を、少しずつほどいていく。
■ 認知行動療法(CBT)
緩めている物語
- 「これは危険だ」
- 「失敗は致命的だ」
CBTは、
新しい意味を与えるというより、
意味の確信度を下げる。
100%だった信念を、
70%、50%に落とす。
それだけで、
回路は静かになる。
■ 精神力動的アプローチ
緩めている物語
- 「私はこういう人間だ」
- 「いつもこうなる」
過去の意味づけを、
現在の絶対条件から外す。
物語を現在形から過去形へ移す作業だ。
■ トラウマ治療
緩めている物語
- 「まだ危険は続いている」
トラウマは、
意味が固定されすぎた状態だ。
心理療法は、
記憶の内容ではなく、
時間感覚を更新する。
心理療法の進化論的本質
心理療法は、
正しい意味を教えない。
「この意味に、そこまで従わなくていい」
と、脳に再学習させる
それが本質だ。
薬と心理療法は、何が違うのか
進化論的に整理すると、こうなる。
- 薬物療法
→ 回路の出力を下げる - 心理療法
→ 回路を動かす物語の支配力を下げる
どちらも、
壊れたものを直してはいない。
働きすぎているものを、休ませている。
結び:治療とは「人を弱くする」ことかもしれない
進化論的に見れば、
治療とは、ある意味でこう言える。
生存に有利だった強さを、
現代では不要な分だけ、手放すこと
これは敗北ではない。
環境に合わせた再配置だ。
強すぎる警戒を弱め、
強すぎる意味を緩め、
強すぎる物語から距離を取る。
回復とは、
元に戻ることではない。
無理をしていた場所から、降りることだ。
この見方は、
治療をロマン化もしないし、
冷酷にもならない。
ただ静かに、
「今、この人の脳は、どこで頑張りすぎているか」
を見ている。
