精神障害者は、自分の価値を生産性によって証明しなければならない状況にある
これは「精神障害者の問題」に見せかけて、実は社会の価値軸そのものの問題でもある。
1. なぜ「生産性で価値を証明させられる」のか
現代社会では、人の価値がほぼ無意識のうちに
働けるか
どれだけ稼げるか
どれだけ安定して成果を出せるか
という指標に回収されています。
これは道徳というより制度の要請です。
- 賃金労働を前提にした社会保障
- 税・保険料の拠出を基盤にした再分配
- 「自立=市場参加」という暗黙の定義
この枠組みの中では、
「生産に参加できない/不安定な人」は、
自動的に説明責任を負う側に置かれる。
精神障害者は、ここで二重に不利になります。
- 症状が見えにくい
- 調子の波があり、継続的な成果が出にくい
その結果、
「できない」のではなく
「やっていないのでは?」
「努力不足では?」
という疑念を、常に浴びやすい。
2. なぜそれが極端に困難なのか(精神障害の特性)
精神障害の核心は、しばしばここにあります。
- 自己評価の不安定さ
- 意欲・集中・意味づけの揺らぎ
- 他者の視線への過敏さ
- 失敗体験の蓄積
つまり、
価値を証明しろ
↓
評価される場に出ろ
↓
失敗や不全感を再体験する
↓
症状が悪化する
という自己強化ループが起きやすい。
これは怠惰ではなく、
神経系レベルでの負荷の問題です。
「生産性による価値証明」は、
精神障害者にとって治療目標と真逆の圧力になることすらある。
3. 「解決」は一つではない(レベル別に分ける)
① 社会制度レベル:価値と保障を切り離す
最も本質的なのはここです。
- 生活保障を「生産参加」から切り離す
- 「できる時に、できる形で」という可逆性を制度化する
- 就労を「義務」ではなく「選択肢」に戻す
これは理想論ではなく、
回復モデルと本気で整合させるなら避けられない設計です。
② 中間領域:生産性の定義を壊す
現実的には、社会はすぐには変わらない。
だから中間領域での工夫が重要になる。
- フルタイム/安定雇用だけを「生産」としない
- 波があっても成立する役割設計
- 結果ではなく参加・関与を評価軸にする
臨床的に言えば、
「何を達成したか」ではなく
「どこまで関われたか」
を意味ある指標として言語化すること。
③ 臨床レベル:価値証明ゲームから降りる援助
臨床家ができる、そして重要な役割があります。
それは、
生産性で自分の存在を正当化しようとする語りを、
一度止めること。
- 「役に立てない自分は無価値」という前提を言語化する
- それがどこから来たのか(家族・学校・社会)を分離する
- 「価値」と「機能」を意図的に切り離す
回復とは、
「役に立つ人間になること」ではなく、
「役に立てなくても壊れずにいられる時間が増えること」
でもある。
4. それでも「何もしない」は耐えられない人へ
重要なのはここです。
多くの当事者は、
価値証明から自由になりたいのに、完全な無価値感には耐えられない。
だから解決は、
生産性を否定すること
ではなく
生産性を絶対化しないこと
になる。
- 小さく、可逆的で、失敗しても回復可能な「関与」
- 「証明」ではなく「接触」としての活動
- 誇りではなく「手応え」レベルに留める
このグラデーションを支えるのが、
臨床と福祉の共同作業です。
5. 最後に(臨床家の立場から)
精神障害者が置かれているのは、
生きるためには価値が必要で
価値を証明するには壊れやすすぎる
という、非常に過酷な二重拘束です。
だからこそ臨床は、
- 価値を証明させる場ではなく
- 価値を一時的に棚上げできる場
でなければならない。
生産性社会を一気に変えられなくても、
少なくとも診察室の中では、
「あなたは、何も生み出していなくても、ここにいていい」
という前提を、
言葉と態度の両方で保証すること。
それが、
この問いに対する、現実的で誠実な答えだと思います。
