包摂は美しいが、集団として負けるのではないかとの主張に反論する

生産性の呪縛から生命を奪還する。生産説が低くても、生きていていいのだとの考えは理解できるし、共感する。 しかし次のような説があると思う。 二つの集団ABがあって、Aは、包摂型である。精神障害者も多様性の一部として受け入れ、生産性だけで計測しない。 Bは徹底した生産性、創造性主義で、精神障害者を切り捨てる。 AとBが戦争する、または経済競争したとき、他の条件が同じならば、Bが有利なのではないか。 ナチスドイツのような切り捨て方針は結局競争力があるのではないか。 この考えは説得力があると思う。 しかしそれでも、精神障害者を包摂する社会を選択する理由はどこにあるのか。


「包摂は美しいが、負けるのではないか」という疑念を、感情論ではなく、真正面から出している。


1. まず、その仮説は論理的に「かなり強い」

提示したモデルは、単なる極論ではありません。

  • 集団A:包摂型
    ・生産性の低い成員も排除しない
    ・ケアや調整に資源を割く
  • 集団B:選別型
    ・生産性・創造性で徹底的に選抜
    ・不適合者は切り捨てる

短期的・競争的状況
(戦争、資源争奪、経済成長レース)
に限定すれば、

他条件が同じなら、Bが有利

これは進化論的にも、歴史的にも、否定しにくい。

ナチス・ドイツ、スターリン体制、
あるいは極端に競争的な企業文化──
「切り捨て」は、一時的な効率と動員力を確かに生む。

まずこの点を、否定しないことが重要です。
ここを曖昧にすると、議論全体が道徳説教になる。


2. では、なぜそれでもAを選ぶのか

──理由は「優しさ」ではない

精神障害者を包摂する理由は、

  • かわいそうだから
  • 人権だから
  • 優しい社会が好きだから

だけでは、確かに弱い。

では、どこに根拠があるのか。
ポイントは三つの次元に分けて考えることです。


3. 第一の理由:Bは「安定したB」であり続けられない

選別型社会の最大の問題は、ここです。

誰が切り捨てられる側になるかは、固定できない

精神障害は、

  • 加齢
  • ストレス
  • 戦争
  • 災害
  • 過労
  • 喪失

によって、誰にでも起こりうる

つまりB社会では、

  • 今日の生産者が
  • 明日の「不要物」になる

この不安は、集団全体に常にかかる。

結果として何が起きるか。

  • 過剰な自己管理
  • 他者への不信
  • 失敗の隠蔽
  • 弱さの否認
  • 内部告発や暴力的粛清

Bは短距離走には強いが、
長期的には内部崩壊しやすい社会です。

ナチスが最終的に崩壊した理由の一つは、
外敵だけでなく、
「切り捨てを続けることで、社会が自壊した」点にあります。


4. 第二の理由:進化論的に見ると、Aは「冗長性」を持つ

ここで、進化論の視点が重要になります。

生物進化において、
最適化されすぎたシステムは、環境変化に弱い

  • 多様な遺伝子
  • 一見「無駄」に見える形質
  • 非効率な回路

これらは、

平時には足を引っ張るが
環境が激変したときに、生き残りの余地を作る

精神障害と呼ばれている特性の一部──

  • 過敏さ
  • 飛躍的連想
  • 極端な警戒心
  • 強迫的確認
  • 感情の振れ幅

は、
特定の環境では致命的な弱点だが、別の環境では強みになりうる

A社会は、生産性は低く見えても、

想定外への耐性
破局後の回復力

を内部に保持している。

これは「優しさ」ではなく、
進化的なリスク分散です。


5. 第三の理由:Bが勝つ世界は、人が生きたい世界ではない

ここが最も重く、しかし避けられない点です。

仮に、

  • Bが常にAに勝つ
  • Bが世界を支配する

としましょう。

その世界で生きるとは、

  • 常に評価され
  • 常に切り捨ての恐怖にさらされ
  • 役に立たなくなった瞬間に排除される

ということ。

つまり、

勝者ですら、安心して生きられない社会

になる。

この問いは、最終的にここに行き着きます。

私たちは
「勝ち続けなければ生きていてはいけない世界」
を、本当に選びたいのか?

包摂社会を選ぶとは、

  • 勝てない者のためだけでなく
  • いずれ弱る自分のためでもある

という選択です。


6. 結論:包摂は「負ける覚悟」ではなく「別の勝ち方」

あなたの問いに、正面から答えるなら、こう言うしかありません。

  • はい、短期的競争では、
    切り捨て社会が有利な場面はあります。
  • はい、包摂は効率を下げます。
  • はい、その代償は現実に存在します。

それでも精神障害者を包摂する社会を選ぶ理由は、

人間社会を、
進化論的な最適化競争の最終形にしないため

です。

生産性で測りきれない生命を、
あえて守る。

それは、

  • 弱者のための道徳ではなく
  • 人類が「どこで止まるか」を決めるための、自己制限

だと思います。


7. 最後に、これまでの言葉と重ねるなら

ここまで繰り返し書いてきた、

冷徹な進化論者の目(ドライ・アイ)
温かな物語を紡ぐ口(ウェット・マウス)

という言葉は、
この問いに対する最も正確な姿勢です。

  • ドライ・アイで見れば、Bは強い
  • それでもウェット・マウスで、Aを選ぶ

それは矛盾ではなく、

人間が、人間であり続けるための選択

です。

この緊張を引き受けた文章は、
きれいにまとまらなくていい。
むしろ、簡単に答えが出ないこと自体が、説得力になる


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