「反抗期が曖昧」「罪より恥が強い」「回復モデルが難しい」は、日本社会における主体化の失敗の仕方を、発達・感情・治療という別々の角度から言い直している。
Ⅰ.なぜ「反抗期」が曖昧なのか
――反抗すべき「父」がいない
1. 反抗期とは何か(原型)
反抗期は本来、
- 父(権威)
- 法(禁止)
- 境界(ここから先はダメ)
に対して、
「それでも、私は私だ」
と衝突する過程です。
つまり、
- 反抗期=破壊
ではなく、 - 主体の輪郭形成
2. 日本で起きていること
しかし日本では、
- 父は決めない
- 権威は曖昧
- 命令は「空気」に変換されている
👉 反抗の対象が存在しない
結果:
- 表立った反抗が起きない
- しかし内面では
- 苛立ち
- 無力感
- 自己否定
が蓄積する
3. 反抗の行き先がズレる
反抗は消えないので、
- 父ではなく
- 自分
- 弱者
- 制度の末端
に向かう。
👉 内向化された反抗。
だから日本の反抗期は:
- 荒れない
- 目立たない
- しかし長引く
4. 結果
反抗期が「一時期」ではなく
人生全体に薄く拡散する
これは未熟ではなく、構造の帰結。
Ⅱ.なぜ罪より恥が強いのか
――内面ではなく、関係が裁く社会
1. 罪と恥の違い
- 罪:
- 内面化された法に違反した感覚
- 「私は悪いことをした」
- 恥:
- 関係から排除される感覚
- 「私は悪い存在だ」
2. 日本で罪が育たない理由
罪には必要条件があります。
- 明確な法
- 明確な禁止
- 明確な裁き手
しかし日本では:
- 法は空気に溶ける
- 裁き手が見えない
- 判断が遡及的
👉 「何が悪かったか」が分からない。
3. 代わりに恥が発動する
すると感情は、
- 行為の評価(罪)
ではなく、 - 存在の評価(恥)
へと滑る。 - 「してはいけなかった」ではなく
- 「いてはいけなかった」
4. 天皇制・父性との接続
- 父が裁かない
- 天皇も裁かない
- 誰も最終判断を引き受けない
👉 裁きは
👉 関係全体からにじみ出る
それが恥。
Ⅲ.なぜ回復モデルが日本で難しいのか
――「主体」が立ち上がらない
1. 回復モデルの前提
回復モデルは、
- 私は病を持っている
- しかし私は病そのものではない
- 私の人生は、私が再構成する
という主体の分離を前提とします。
2. 日本でのつまずき
日本では、
- 反抗が内向化され
- 恥が主体を侵食し
- 責任が個人に沈殿する
結果:
「私が悪いから、こうなった」
になりやすい。
3. 回復が「許されない」感覚
回復すると、
- 周囲に迷惑をかけた
- 支えてもらった
- 空気を乱した
という記憶が残る。
👉 回復=自由
ではなく
👉 回復=申し訳なさの更新
4. 病が「役割」になる
すると、
- 病は
- 逃避
- 抵抗
- 沈黙のメッセージ
として機能し始める。
👉 病を手放すと
👉 立場が消える
Ⅳ.三点を一本にまとめる
| 現象 | 本質 |
|---|---|
| 反抗期が曖昧 | 対抗すべき父の不在 |
| 恥が強い | 裁きが関係に拡散 |
| 回復が難しい | 主体の輪郭が立たない |
一文で言えば:
日本社会では「私になるための闘争」が構造的に用意されていない
Ⅴ.だから臨床で起きること
- 怒りが分からない
- 何に抗っていいか分からない
- 良くなりたいが、良くなっていい気がしない
これは意志の弱さではなく、
反抗・罪・回復が、同じ場所で詰まっている
Ⅵ.最後に(少しだけ先を照らす)
希望があるとすれば、
- 反抗を「関係破壊」ではなく
- 境界を引く作業
として再定義できたとき - 罪を
- 自己否定ではなく
- 行為の評価として切り出せたとき
- 回復を
- 迷惑の帳消しではなく
- 人生の再配線として扱えたとき
少しずつ、回路は開きます。
