フロイト/ローレンツ/進化心理学との距離の取り方
――説明力と倫理のあいだで
1.フロイトとの距離――「内在的理解」としての採用
フロイトの最大の貢献は、
性と攻撃を無意識の力動として内在化した点にある。
- 性衝動(リビドー)は結合を志向する
- 攻撃衝動(死の欲動)は分解・破壊を志向する
- 両者は同一ではなく、常に葛藤関係にある
この枠組みの強みは、
**性や攻撃を“正当化しないまま説明できる”**点にある。
フロイトにおいて、
- 攻撃性は自然だが、善ではない
- 性衝動は本能だが、無条件に肯定されない
臨床家にとって重要なのは、
フロイトを「人間観」としてではなく、
語りを引き出すための翻訳装置として使う距離感である。
フロイトは、
「だから仕方ない」と言うためではなく、
「だから何が起きているのかを語れるようにする」ために読む。
この距離を保てる限り、フロイトは危険ではない。
2.ローレンツとの距離――「比喩」としてのみ参照する
ローレンツ(動物行動学)の攻撃本能論は、
説明としては魅力的だが、臨床的には最も危うい。
- 攻撃性は種の保存のために必要
- 内在するエネルギーが放出を求める
- 闘争は自然である
この議論は、集団的軽躁状態と非常に相性が良い。
- 闘争が美化される
- 攻撃が「自然だから仕方ない」になる
- 個別の責任や苦悩が消える
そのため、ローレンツは
説明理論ではなく、思考実験的比喩としてのみ使うのが妥当である。
「人は動物に似た衝動を持つことがある」
以上の意味で、ローレンツを使ってはいけない。
臨床家がローレンツに近づきすぎると、
支援は理解ではなく、観察と管理へと変質する。
3.進化心理学との距離――「仮説」として利用し、「根拠」にはしない
進化心理学は、
性・攻撃・序列の関係を最も整然と説明する。
- 攻撃性 → 序列上昇
- 序列上昇 → 性的成功
- その傾向が遺伝的に残った
このモデルは、集団現象の説明としては非常に有効である。
しかし臨床的には、致命的な弱点がある。
- 個人の苦悩が「戦略」に還元される
- 倫理が「適応度」に置き換えられる
- 現在の行動が過去の環境で正当化される
したがって進化心理学は、
- 社会現象の背景説明
- 集団的軽躁の理解
には使えるが、
個人の行為や逸脱の意味づけには使わない、という線引きが必要である。
「なぜ人類にはこういう傾向があるのか」は語れても、
「だからあなたはこうした」は語ってはいけない。
4.三者の比較――臨床家の立ち位置
| 理論 | 強み | 危険 | 適切な距離 |
|---|---|---|---|
| フロイト | 内的葛藤を語れる | 過剰解釈 | 翻訳装置として |
| ローレンツ | 直感的理解 | 暴力の自然化 | 比喩としてのみ |
| 進化心理学 | 集団説明力 | 正当化への滑落 | 仮説として限定 |
5.臨床家にとっての最終基準
臨床家が理論を使う際の最終基準は、
その理論が、沈黙を破るか、沈黙を強いるかである。
- フロイトは、語ることを可能にする
- ローレンツは、語らずに済ませる誘惑をもたらす
- 進化心理学は、語る必要を消してしまう危険がある
だから距離の取り方はこうなる。
- フロイト:近づいてよい
- ローレンツ:触れるだけ
- 進化心理学:眺めるだけ
6.結語――理論よりも、距離感
理論は刃物に似ている。
切れ味の良さと、怪我のしやすさは比例する。
臨床家に必要なのは、
最も鋭い刃ではなく、
どこまで近づいても自分と相手を傷つけない距離感である。
性と攻撃を語るとき、
説明しすぎない勇気と、
説明を放棄しない責任。
その両立こそが、
この領域で理論を使う唯一の倫理だと思います。
