2.鑑別診断の歴史的変遷と診断基準の考察


2. 鑑別診断の歴史的変遷と診断基準の考察

―― 統合失調症とうつ病の区別は、いかにして築かれてきたか


2-1. 序:精神疾患分類の意義と課題

統合失調症と大うつ病性障害(うつ病)は、現代の精神医学においてもっとも代表的な重症精神疾患であり、臨床において両者の鑑別は極めて重要である。しかし、その診断的境界線は、必ずしも明確とは言えず、時代によってその取り扱いは大きく変遷してきた。本章では、主要な歴史的診断基準を振り返りながら、統合失調症とうつ病の鑑別がどのように構築され、また揺らいできたのかを考察する。


2-2. クレペリンによる「躁うつ病」と「早発性痴呆」の二分法

19世紀末から20世紀初頭にかけて、ドイツ精神医学において精神疾患の分類は大きな発展を遂げた。エミール・クレペリン(Emil Kraepelin, 1856–1926)は、臨床経過に注目し、「早発性痴呆(Dementia Praecox)」と「躁うつ病(manisch-depressives Irresein)」という二大疾患単位に分類した。これが、後の「統合失調症」と「双極性障害・うつ病」への原型となった。

クレペリンの画期性は、単に症状の質ではなく、疾患の経過と予後を重視した点にある。彼にとって、「早発性痴呆」は進行性かつ不可逆性の病態であり、「躁うつ病」はエピソード性で回復可能性がある病と位置づけられた。この二分法は、後の診断体系に長く影響を及ぼすことになる。


2-3. ブロイラーと「統合失調症」の概念の導入

スイスの精神科医オイゲン・ブロイラー(Eugen Bleuler, 1857–1939)は、クレペリンの「早発性痴呆」という用語の否定的含意に異議を唱え、「統合失調症(Schizophrenie)」という名称を1908年に導入した。彼は精神機能の「分裂(Spaltung)」こそが本質的であると考え、幻覚や妄想といった陽性症状よりも、思考・情動・意志の解体を重視した。

ブロイラーは、統合失調症の中に感情障害様の症状をも包含しうるとしたため、うつ病との鑑別が曖昧になる可能性もあった。実際、彼の「四つのA(連想の障害、感情の鈍麻、自閉、両価性)」という基本症状は、今日の診断基準では必ずしも主たる診断基準とはなっていないが、精神病の広がりを考える上で重要な視点である。


2-4. カール・シュナイダーの一級症状と診断の形式主義

ドイツの精神科医カール・シュナイダー(Kurt Schneider, 1887–1967)は、クレペリンやブロイラーの流れを受けながらも、診断の**「形式」に注目するという新たな方法論を打ち立てた。彼は、統合失調症の診断のために「一級症状(first-rank symptoms)」**を定式化し、以下のような症状を重要視した:

  • 考想伝播、考想奪取、思考化声
  • 実体的な幻聴(対話性、解説的)
  • 自我障害(作為体験、被影響体験)

これらはその後、DSMやICDにも影響を与え、統合失調症診断の中心的な基準となった。シュナイダーの貢献は、精神病的体験の「質」よりも「形式的特性」に注目した点であり、うつ病における抑うつ気分や無価値感などと明確な対比を意図したものである。

もっとも、後年にはシュナイダーの一級症状が統合失調症に特異的でないこと(例:PTSD、双極性障害、重症うつ病でも見られる)も指摘されており、今日では診断補助的な位置づけにある。


2-5. DSM・ICDによる操作的診断基準の登場

アメリカ精神医学会が1970年代に導入した**DSM-III(1980)**は、従来の精神力動理論や病因論的前提を廃し、操作的診断基準を採用した。この動きは、ロバート・スパイツァーらによる「診断の信頼性向上」への改革であり、各疾患ごとのチェックリスト形式の症状基準が整備された。

DSM-III以降、統合失調症とうつ病は相互に排他的な疾患単位として位置づけられ、以下のような区別が明示された:

  • 統合失調症:幻覚・妄想などの精神病症状が主要
  • 大うつ病性障害:抑うつ気分・興味喪失などを主とし、精神病症状があっても付随的

この分類は臨床の現場では一定の利便性を提供したが、実際には統合失調症に抑うつ症状が併存する例、うつ病に精神病症状を伴う例も多く、現実の臨床像との乖離が指摘されるようになった。


2-6. 現代における再編:スペクトラム的理解と連続体モデル

DSM-5(2013年)やICD-11(2018年)では、疾患の連続性や重なりを意識した構造へとシフトが見られるようになった。たとえば、**統合失調感情障害(Schizoaffective disorder)は、統合失調症とうつ・躁病の境界型として位置づけられ、診断の明確な分節よりも「程度」や「タイミング」**に依拠して判断される。

さらに、発達症(自閉スペクトラム症など)との重なりや、PTSDやパーソナリティ障害との関連が注目される中で、従来の一元的・固定的な診断枠組みは、より可塑性の高い理解へと移行しつつある。


参考文献(第2章)

  • Kraepelin, E. (1919). Psychiatrie: Ein Lehrbuch für Studierende und Ärzte.
  • Bleuler, E. (1911). Dementia Praecox oder Gruppe der Schizophrenien.
  • Schneider, K. (1959). Clinical Psychopathology. Translated by M. W. Hamilton, New York: Grune & Stratton.
  • American Psychiatric Association. (1980). Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, 3rd ed. (DSM-III)
  • World Health Organization. (2018). ICD-11: International Classification of Diseases 11th Revision.
  • Andreasen, N. C. (1995). Symptoms, signs, and diagnosis of schizophrenia. The Lancet, 346(8973), 477–481.

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