21. 診断と治療における文化・社会的文脈の影響
― 統合失調症とうつ病の対比と包摂的伝統の再検討 ―
精神疾患の診断と治療は、単に症状や病態生理の理解に基づくものではなく、それぞれの文化的・社会的枠組みの中で定義され、意味づけられる現象である。特に、統合失調症とうつ病はその「異常さ」や「苦悩」が社会的にどう受け止められるかによって、患者の扱いや支援の形に大きな違いが生じてくる。本章では、両疾患における文化的・社会的文脈の影響を比較しながら、伝統的社会における「包摂の枠組み」にも目を向ける。
1. 診断の枠組みと文化的意味づけの違い
- うつ病:身体化と語りの文化的差異
西洋では「抑うつ気分」「絶望感」などの主観的心理体験が重視される一方、アジアやラテンアメリカ諸国では、うつ状態が「身体症状(例:頭痛、全身倦怠、胸のつかえ)」として表現される傾向が強い(Kleinman, 1982)。このため、文化によっては心理的苦痛の言語化が困難であり、医療機関でも正確な評価が遅れる可能性がある。 - 統合失調症:意味づけの多様性とスティグマ
統合失調症の症状、特に幻聴や妄想は、西洋では「非現実的思考」や「破綻した内面世界」として病理視されがちだが、多くの伝統社会ではこれらが「神の声」「先祖の導き」として意味づけられていた。たとえばアフリカやアジアの一部地域では、幻聴体験を持つ者がシャーマン的役割や宗教的媒介者として位置づけられ、むしろ尊敬の対象となることもある(Jilek-Aall, 1981)。
2. 伝統社会における包摂と役割の再解釈
- シャーマンと「狂気」の神聖化
エリアーデ(Eliade, 1964)によれば、多くの先住民文化では、「魂の分裂」や「他界との接触」を経験する人々がシャーマンとして選ばれる。これらの体験は、現代的に見れば統合失調症の陽性症状に近いが、伝統的には「覚醒」や「霊性の証」として認識されていた。
同様に、日本の古代社会や東南アジアでは、神懸かり状態(カミガカリ)や巫女的活動が集団のなかでの役割として社会的に承認されていた。 - うつ病に対する伝統的対応
うつ病に該当するような深い悲哀や沈黙に対しては、伝統社会では「物忌み」や「喪の期間」など、集団的儀礼により感情を承認・処理する装置が存在していた。近代的な「治療」とは異なるが、共同体による承認と包摂が自然と提供されていたという点で、現代の孤立した医療環境よりも支えが厚かった可能性もある。
3. 近代社会におけるスティグマと医療制度
- うつ病:受容と過剰医療の間
現代社会においては、うつ病は「心の風邪」としてある程度社会的理解が進み、職場におけるメンタルヘルス対策や公的支援も整いつつある。しかしその一方で、「誰もがかかる病」として軽視されたり、自己診断と過剰投薬の問題が起きている。 - 統合失調症:未だ根強い差別と排除
一方で、統合失調症は依然として社会的スティグマが強く、「危険」「不可解」といったレッテルがつきやすい。治療が長期化しやすく、医療化によって社会的役割が制限される傾向が強い。かつてのように「異常体験に意味を見出す共同体」が失われたことで、統合失調症者は「異物」として排除されやすくなっている。
4. 医療者と制度の文化的バイアス
診断基準(DSMやICD)は基本的に西洋的文化観に基づいて構築されており、文化特有の症状や表現の違いをうまく反映できないことがある。また、医療者自身の無意識的バイアスにより、女性のうつ病は「性格の問題」とされやすく、男性の統合失調症は「逸脱行動」として強調されるなど、ジェンダーによる認知の偏りも存在する。
まとめ
文化や社会は、精神疾患の理解と対応の在り方を根本から規定する。うつ病は、現代社会においてある程度受容が進んでいるが、それでも文化的な語りの違いにより診断や支援が難しくなることがある。一方、統合失調症は伝統社会においては一定の役割をもって包摂されていたにもかかわらず、現代ではより強いスティグマと排除の対象となっている。
精神医学の実践においては、生物学的モデルに偏るのではなく、文化的・社会的文脈に敏感な態度が不可欠である。患者の語りを「意味あるもの」として聴く姿勢が、両疾患への理解と治療を深化させる鍵となる。
参考文献
- Kleinman, A. (1982). Neomelancholia and Depression: A Cross-Cultural Perspective. Culture, Medicine and Psychiatry, 6(1), 3–22.
- Eliade, M. (1964). Shamanism: Archaic Techniques of Ecstasy. Princeton University Press.
- Jilek-Aall, L. (1981). Psychiatric Problems in Developing Countries. Br J Psychiatry, 138(4), 429–435.
- Watters, E. (2010). Crazy Like Us: The Globalization of the American Psyche. Free Press.
- Tseng, W. S. (2001). Handbook of Cultural Psychiatry. Academic Press.
- 江口重幸(2006)「精神疾患の文化的側面」『精神医学』48(3), 217–224.