人間の脳神経細胞は、皮膚細胞のように頻繁に新生と老廃化を繰り返すわけではありません。脳の神経細胞(ニューロン)の再生周期は、かつて考えられていたよりも複雑で、近年研究が進んでいます。
従来の考え方と近年の研究
長らくの間、神経科学の分野では、人は生まれたときに持っているニューロンの数がほぼ決まっており、その後は減少していくと考えられてきました。しかし、近年の研究によって、脳の一部では生涯にわたって新しいニューロンが生成されることが明らかになっています。この現象は**神経新生(ニューロジェネシス、neurogenesis)**と呼ばれています。
神経新生が確認されている主な領域
成人の脳で神経新生が比較的活発に起こっていることが確認されているのは、主に以下の2つの領域です。
- 海馬の歯状回(かいばのしじょうかい、dentate gyrus of the hippocampus): 記憶の形成や空間学習に重要な役割を果たす領域です。
- 側脳室下帯(そくのうしつかたい、subventricular zone of the lateral ventricles): 嗅覚に関わる領域へ移動するニューロンが生成されます。
ただし、これらの領域で生成される新しいニューロンの数は、脳全体のニューロン数から見るとごくわずかであり、皮膚細胞のように頻繁に置き換わるわけではありません。また、加齢とともに神経新生の速度は低下する傾向があります。
ニューロンの寿命
多くのニューロンは、生涯にわたって機能し続けると考えられています。これは、記憶や学習といった複雑な機能を維持するために、神経回路の安定性が重要であるためと考えられます。
記憶の仕組みとの関係
記憶の仕組みは非常に複雑であり、まだ完全に解明されているわけではありませんが、一般的には以下の要素が関わっていると考えられています。
- シナプスの可塑性(シナプスのかそせい、synaptic plasticity): ニューロン同士の接合部であるシナプスの結合の強さが、経験や学習によって変化すること。これが記憶の形成と保持の基本的なメカニズムと考えられています。
- 神経回路の変化: 新しい記憶の形成に伴い、既存の神経回路が変化したり、新しい神経回路が形成されたりする可能性。
- 神経新生の役割: 海馬における神経新生は、新しい記憶の獲得や、既存の記憶の更新に関わっている可能性が示唆されています。新しいニューロンは、既存の神経回路に組み込まれやすく、シナプスの可塑性を高める可能性があると考えられています。
記憶の仕組みと神経新生の難しさ
記憶は、特定のニューロンのネットワークが活性化されることで想起されると考えられています。もし脳のニューロンが皮膚細胞のように頻繁に置き換わってしまうと、過去の記憶を保持するために形成された神経ネットワークが維持できなくなり、記憶が失われてしまう可能性があります。
そのため、脳は大部分のニューロンを生涯維持し、シナプスの結合の強さを変化させることで記憶を保存する仕組みを進化させてきたと考えられます。神経新生は、限られた領域で、特定の機能(新しい記憶の獲得など)をサポートする形で起こっていると考えられています。
まとめ
- 人間の脳神経細胞は、皮膚細胞のように頻繁に新生と老廃化を繰り返すわけではありません。
- 脳の一部(主に海馬の歯状回と側脳室下帯)では、生涯にわたって新しいニューロンが生成される神経新生が起こりますが、その数は限られています。
- 多くのニューロンは生涯機能し続け、記憶は主にシナプスの可塑性によって保存されると考えられています。
- 神経新生は、新しい記憶の獲得など、特定の脳機能に関与している可能性が研究されています。
記憶の仕組みと神経細胞の再生周期の関係は、依然として活発な研究テーマであり、今後の研究によってさらに理解が深まることが期待されます。
免疫細胞の中にも、生涯にわたって保持されると考えられる細胞が存在します。そして、免疫の記憶の仕組みは、私たちの体を長期間にわたって病原体から守る上で非常に重要です。
一生保持される可能性のある免疫細胞
- 記憶T細胞(メモリーT細胞): 一度特定の病原体に感染したり、ワクチン接種を受けたりすると、その病原体を特異的に記憶するT細胞の一部が生き残ります。これらの記憶T細胞は、血中やリンパ組織に長期間存在し、数十年、あるいは生涯にわたって存在すると考えられています。同じ病原体が再び侵入してきた際には、速やかに活性化し、強力な免疫応答を引き起こします。
- 記憶B細胞(メモリーB細胞): 同様に、B細胞も特定の抗原(病原体など)を記憶する記憶B細胞へと分化します。これらの細胞も長期間生存し、再感染時に迅速に抗体を産生する能力を持ちます。一部の記憶B細胞は、骨髄という場所で長寿命の**形質細胞(プラズマ細胞)**へとさらに分化し、抗体を長期間にわたって産生し続けることが示唆されています。これらの長寿命形質細胞は、数十年生存する例も報告されています。
免疫の記憶の仕組み
免疫の記憶は、主に獲得免疫と呼ばれる、特定の病原体に対して特異的に働く免疫システムの重要な機能です。その仕組みは以下のようになります。
- 初回感染・ワクチン接種: 初めて病原体が体内に侵入したり、ワクチン接種によって抗原にさらされたりすると、免疫システムは病原体を認識し、それに対応するT細胞とB細胞が活性化・増殖します。
- エフェクター細胞の産生: 活性化したT細胞の一部は、病原体を直接排除するキラーT細胞(細胞傷害性T細胞)や、他の免疫細胞を活性化するヘルパーT細胞といったエフェクター細胞になります。活性化したB細胞は、抗体を大量に産生する形質細胞へと分化します。
- 記憶細胞の形成: 病原体が排除されると、ほとんどのエフェクター細胞は役目を終えて死滅しますが、一部の活性化したT細胞とB細胞は、記憶T細胞と記憶B細胞として生き残ります。これらの記憶細胞は、初回感染時よりも迅速かつ強力に反応できるよう、準備された状態にあります。
- 二次感染: 同じ病原体が再び体内に侵入すると、記憶細胞は速やかに認識し、活性化します。
- 記憶T細胞: 迅速に増殖・分化し、エフェクターT細胞となって感染細胞を排除したり、他の免疫細胞を活性化したりします。
- 記憶B細胞: 迅速に形質細胞へと分化し、大量の抗体を産生します。これらの抗体は、病原体に結合してその活動を妨害したり、他の免疫細胞による排除を助けたりします。
このように、免疫システムは、一度遭遇した病原体の情報を記憶細胞として長期間保持することで、二度目以降の感染に対して迅速かつ効果的に対応することができるのです。これが、私たちが一度かかった病気にはかかりにくくなったり、ワクチン接種によって免疫を獲得したりする理由です。
近年では、自然免疫にも記憶のような機能があることが示唆されていますが、獲得免疫の記憶ほど長期間持続するわけではなく、そのメカニズムも異なると考えられています。