いい世の中にしたいですよね。
そのためには教育が大切ですよね。
教員の職場環境のこと、考えないとね。
それから教材を作る会社の人たちのこととかも考えないとね。
現在の社会には、いろいろと、旧弊依然とした思考や制度がある。
それを改善しなければならないが、すぐには進まない。
だから教育だ。40年とか50年とかかけて、少しずつ、社会が改善していくように、
まず教育だ。そのための教材だ。そして教え方だ。教える人材だ。
教材を作る会社もがんばっている。旧弊を打破することを夢として、未来を描いている。
現場の人たちはそうだ。ところが、経営陣となると、旧態依然、古い頭の人間が、古いやり方で仕切っている。
そこに絶望する。若い人材が育ち、古い人たちが引退して、入れ替わって、その後でしか、社会の改善も、教育の改善も、加速しないだろう。
選択的夫婦別姓のことなんかも、反対する理由が誰にもわからないのに、なんとなく反対多数で廃案だ。
合理的な理由だけで動く社会ではない、特に政治はそうだ。それは当然としても、ひどすぎないか。
そして、この種の不合理が、社会のあっちにもこっちにも、山のように堆積していて、どうにもならない。
そして悪いことに、旧態依然勢力は、着々と、自分たちの仲間の勢力拡大をしつつあるのだ。理性なんか要らない、理想なんか要らない、現状維持、金、地位、名誉、近親者に手厚く、Nepotismなどがいい例だ、そうしたことを恥ずかしいと思わない感覚が温存されている。選挙に勝てばそれでいい。
それを改善するにはやはり制度改革、そのためには、教育、そのためには教員と出版、しかしその経営者は旧守派ばかり。出版社の経営は悪化。良心的出版社から先につぶれていく。
と言うわけで、遅々たる前進しか期待できない。50年くらいはかかるだろう。
でも、現状で、先祖返りしているのだから、もっとかかるだろう。
結局、そうしたことを支持している国民がいるのだから、仕方ないのだろう。
とんかつをもっと食べたいと騒いでいる豚のようなものだ。
「東南アジアの政治における縁故主義は根深い問題だ」と言いたい場合は、”Nepotism is a deep-rooted problem in Southeast Asian politics.”
と例文にもあった。