ACTにおける「巻き込まれる自分」と「見つめる自分」の分離と支援

**ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)における「変化に巻き込まれる自分」と「それを見つめる自分」**の分離と支援について。


ACTにおける「巻き込まれる自分」と「見つめる自分」:心理的柔軟性の核心をめぐって

1. はじめに ― 心理的苦痛との新たな関係

現代社会における精神的不調――うつ、不安、トラウマ、慢性的ストレスなど――は、単なる「障害」としてではなく、生きていること自体の難しさとして人々を悩ませている。こうした苦悩に対して、伝統的な認知行動療法(CBT)は「考え方の修正(認知再構成)」に重点を置いてきたが、近年注目されている**ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)**は、「思考を変える」のではなく、思考との関係を変えることを重視するアプローチである。

その核心にあるのが、「変化に巻き込まれる自分」と「それを見つめる自分」の**分離(脱フュージョン)**である。本稿では、この概念の理論的基盤と実践的意義を、具体例を交えて詳述する。


2. ACTの基本モデル:6つのコアプロセスと心理的柔軟性

ACTの目的は、**心理的柔軟性(psychological flexibility)**を育むことである。これは、苦痛や困難な感情を排除しようとするのではなく、それらを受け入れた上で、自分にとって意味ある人生を生きる力を高めることに他ならない。

ACTの6つのコアプロセスは以下の通り:

  1. アクセプタンス(受容)
  2. 認知的脱フュージョン
  3. 現在との接続(今ここ)
  4. 自己としての文脈(観察する自己)
  5. 価値(バリュー)
  6. コミットメント(行動)

このうち、特に「巻き込まれる自分」と「見つめる自分」の分離に関わるのが、認知的脱フュージョンと**観察する自己(self-as-context)**である。


3. 「巻き込まれる自分」とは何か?

ACTでは、「巻き込まれる自分」を**自己フュージョン(self-fusion)**とも呼ぶ。これは、自分の思考・感情・記憶がそのまま“現実”であり、“真実の自己”であると信じ込んでいる状態を指す。

具体例①:うつ病のクライアント

  • 自動思考:「私は無価値だ」「何をしても無意味だ」
  • フュージョン状態:「私は=無価値な人間」という自己同一化

このとき、クライアントは「思考を持っている人」ではなく、「思考そのものになっている」。
この状態では、新しい行動を起こす余地がなくなり、苦痛の中に「閉じ込められた自己」が強化されていく。


4. 「見つめる自分」とは何か?

ACTが重視するのは、**「自己としての文脈(self-as-context)」という視点である。これは、苦しんでいる「内容的な自分」(self-as-content)に対して、それを受け止め、見つめ、包み込む視点としての“自己”**を育てる考え方である。

具体例②:パニック障害のクライアント

  • フュージョン:「動悸がした=もう発作が来る=死ぬかもしれない=逃げなきゃ」
  • 脱フュージョン:「ああ、また“発作が来るかも”という思考が出てきたな。怖いけど、それは“私”じゃない。」

このとき、クライアントは「私は不安」ではなく、「不安を見つめる私」にアクセスしている。
この視点に立てると、不安や思考に巻き込まれながらも、それに飲み込まれず、行動の選択肢が広がる。


5. ACT的支援のプロセス:分離を育む介入技法

● 技法①:脱フュージョンの練習

  • 「私はだめだ」→「“私はだめだ”という思考が今、頭に浮かんでいる」
  • 「失敗したら終わりだ」→「“失敗したら終わりだ”という声が、心のラジオから流れている」

➡ 思考=現実ではなく、“心の中の言葉”として距離を取る練習

● 技法②:観察する自己のメタファー

  • 「空の中の雲」:思考や感情は雲のように流れていく。空そのもの(=観察する自己)は変わらない。
  • 「舞台と俳優」:思考や感情はステージの上の役者。観客席の自分がそれを見ている。

➡ 自己同一化ではなく、自己としての視点(context)を育てる

● 技法③:「今ここ」での身体感覚に気づく

  • 呼吸、手足の感覚、姿勢などを丁寧に観察することで、“今”の自分の存在に戻ってくる
  • 過去や未来の思考に巻き込まれるクセを緩める

6. 臨床応用事例:自己と距離を取ることで回復に向かうプロセス

事例:30代男性・うつ状態・自責感の強い性格

背景:

職場での評価に強く影響を受け、「ちゃんとしないと見捨てられる」という思いに苦しんできた。うつ状態で休職。面接中も「ちゃんと話さないと」「迷惑かけてはいけない」と繰り返す。

面接中のやりとり(ACT的介入):

  • クライアント:「今日も何もできなかったです。自分がほんとにダメで…」
  • セラピスト:「“自分がダメ”という声が、頭の中でずっと流れてるような感じですか?」
  • クライアント:「そうです。朝起きた瞬間からずっと…。」
  • セラピスト:「じゃあ、その“自分はダメ”という声を、ちょっと“声”として観察してみましょうか。たとえば“心の中のアナウンサー”がしゃべってるとして、今なんて言ってますか?」
  • クライアント:「……“また寝すぎた。もう社会人失格だ”って言ってます。」
  • セラピスト:「なるほど。それ、けっこう厳しい放送ですね。“失格”って。」
  • クライアント:(笑う)「ほんとですね。朝からあんな放送が流れてたら誰でも元気なくなりますね…。」

変化:

このやりとりを通じて、クライアントは「思考=真実」ではなく、「思考=一つの声」として距離を取る練習が始まった。その後、「何もできない日でも、昼にコーヒーを飲んだだけで“よし”にしてみる」というコミットメント行動に移行。

巻き込まれる自己から、見つめる自己への転換は、回復の大きなきっかけとなった。


7. ACTと実存的視点の接点:「苦しみの意味を変える」

ACTの「見つめる自分」は、実存的精神療法のいう「実存的主体」と深くつながっている。たとえば:

  • ヤスパース:「限界状況(死、苦悩、罪、偶然)において人は自己に目覚める」
  • フランクル:「人は苦しみに意味を与えることで、それを超える存在である」

ACTもまた、**「不快な感情を排除する」のではなく、「それらと共に生きる道を見出す」**アプローチであり、「観察する自己」とは、「人生の苦しみを包み込みながら、それでも自分であり続ける力」そのものだと言える。


8. 実践に向けて:支援者が心がけるべきこと

ACT的支援において重要なのは、支援者自身が「自分の中に生じる感情や思考」に巻き込まれず、クライアントと共に“今ここ”を分かち合う態度である。

  • うまく支援しなければ…という思考に気づき、それと距離を取る
  • クライアントの“沈黙”や“混乱”を「何か意味がある」として見守る
  • 支援者自身が「価値に基づいて」この仕事に向き合っていることを、時に言葉にする

9. まとめ:選択可能な自己として生きるために

ACTは、「自分を変える」ためのセラピーではない。むしろ、「自分のままで、どう生きるか」を問い直す実践である。

「私は不安な人間だ」という声に従って避け続けることもできる。
しかし、「不安を抱えたまま、大切なことに向かって一歩を踏み出す」こともまた、選択できる。

そのために必要なのは、**「私は思考や感情ではない」**という確かな感覚――
「私はそれを、ただ見ている」という視点の回復である。

ACTが提供するのは、“巻き込まれた自己”ではなく、“選び直すことのできる自己”への回帰であり、
それは、現代における心理療法のもっとも倫理的な営みの一つといえるだろう。


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