マインドフルネスもだいぶ時間がたった。
インド、中国、日本などの瞑想や座禅の伝統は色々な枝分かれがあるもので、
単純化してはいけないのだろう。
個人的には少し読んだだけだ。
この領域には寛容な人も多いが、厳格な人もいるので、
色々な意見があるだろうとは思う。
最初は、個人的には、マインドフルネスではなくて、マインドレスネスとかマインドゼロネスとかが
良いのではないかと思った。
心の中にある、無駄で雑多で余計なものを捨て去る。
またはそういったものは発生するとしても、風通しの良いがらんどうの空間を保ち、
あまり長居しないようにして、流していく。
そのようにして心の中を風通し良くしておいて、
そこをたまに神様が通り過ぎる、
そんな状態がよいと思っていた。
マインド・空っぽ とでも言えばいいのか。
そこに、マインドフルネスというので、「フル」なのかと思った。
逆のような気がした。
しかしこれは、マインドの働きの中の、よいものをフルにするという意味なのだろう。
それならば、その通りだと思う。
最近では人間は常時ネット接続しているせいで、一人になって、自分の心の中を感じてみることがとても少なくなっていると思う。
何かの事情で、スマホもない、パソコンもない、テレビもラジオもない、でも、眠ってもいない、そんな時間を過ごすと、自分の心の中とか記憶の一部とかと向き合うことになり、それが貴重な体験のように思う。
人間は変化するものなので、昔のことを思い出してみても、その意味付けは違ってくることがある。
リフレーミング、ナラティブなどの領域であるが、
人生の中の一つの情景の意味付けが多層化とする場合がある。
そんな風にも思えるかなと思って、その情景を心の中のどの引き出しに入れておくかを変更することもできる。
そして、そのようなことも一時のことで、時間がたてば、全て風に乗って流れて行って、忘れてしまう。