ナラティヴ・アプローチ ナラティヴ・セラピー


ナラティヴ・アプローチとは何か

1. ナラティヴ・アプローチの概要

ナラティヴ・アプローチ(narrative approach)は、主に心理療法やカウンセリングの分野で発展した理論・実践的枠組みです。人間の経験を「物語(ナラティヴ)」として捉え、その語り直しや再構築を通じて自己理解や問題解決を促すことを目指します。

単なる心理療法の一技法にとどまらず、教育、福祉、医療、コミュニティ開発など、幅広い分野に応用されている点も特徴です。近年では企業組織のコンサルティングやコーチング、さらには司法や紛争解決の領域でも注目されています。

ナラティヴという言葉自体は「語り」「物語」を意味します。私たちは自分の人生や体験を物語として理解し、それによって自らのアイデンティティを形づくっています。この物語が固定化してしまい、「自分はダメな人間だ」「自分の人生は失敗続きだ」といった狭いストーリーに囚われると、そこから苦しみが生まれます。

ナラティヴ・アプローチは、その語りを共に探究し、より豊かで多様な物語へと書き換えていく作業です。そこに治療的・変容的価値があると考えます。


2. 歴史的背景と思想的基盤

(1)構成主義・社会構成主義

ナラティヴ・アプローチの理論的な背景には、構成主義(constructivism)や社会構成主義(social constructionism)があります。

  • 構成主義:私たちが認識する現実は、個人の認知や解釈によって「構成」される。外側に客観的真理が固定的にあるのではなく、経験や理解の枠組み(スキーマ)を通して作られる。
  • 社会構成主義:さらにそれを進めて、人の理解や現実認識は、言語や文化、社会的対話の中で形づくられる。つまり「問題」や「アイデンティティ」も社会的に作られた物語に根ざしている。

(2)ポストモダンの影響

20世紀後半、ポストモダン思想が精神療法にも影響を与えました。単一の真理や普遍的理論を疑い、多様な価値観や物語の共存を重視する立場です。

(3)ナラティヴ・セラピーの創始者

ナラティヴ・セラピー(narrative therapy)として体系化したのは、

  • オーストラリアのマイケル・ホワイト(Michael White)
  • ニュージーランドのデヴィッド・エプストン(David Epston)
    です。

彼らは家族療法の枠組みから出発し、問題を「個人内部のもの」ではなく、「問題の物語」として外在化(externalizing)し、それをクライエントと共に再編していく方法論を発展させました。


3. 理論と基本概念

(1)物語(ナラティヴ)

  • 私たちは体験したことを出来事の羅列としてではなく、時間的な筋道をもつ物語として理解します。
  • 物語は選択的です。無数の出来事からどれを取り出し、どの順序で語るかによって、全く異なる意味が生まれます。
  • ナラティヴ・アプローチは、この語りの構造と意味を丁寧に探究し、閉塞した物語からの脱却を試みます。

(2)外在化(externalizing)

  • 「問題はあなたではない。問題は問題である」という姿勢です。
  • たとえば「私は怠け者だ」という内面化された問題語りを、「怠けという習慣があなたの生活にどのように入り込んできたのか」と外在化して語り直す。
  • これによりクライエントは問題に巻き込まれず、問題との新しい関係性を築けます。

(3)オルタナティヴ・ストーリー(代替物語)

  • 一つの問題支配的な物語(problem-saturated story)に囚われているとき、他の視点や経験はしばしば見落とされています。
  • ナラティヴ・アプローチでは、例外的な経験や別の解釈を手がかりに、オルタナティヴ・ストーリーを構築します。
  • これにより自己理解や未来の可能性が広がります。

4. 実際の方法と進め方

(1)丁寧な語りを聴く

  • クライエントの物語を価値判断せずに詳しく聴く。
  • 物語の中でどんな意味付けがなされているか、どのような価値が脅かされているのかに注目します。

(2)問題の外在化

  • 問題を人格から切り離して話し合う質問をします。
    • 例:「その“失敗感”は、いつ頃からあなたの人生に現れるようになったのですか?」
    • 「その失敗感は、どんな状況で特に強くなるのでしょう?」
  • これにより問題を観察・対話の対象とします。

(3)例外の探究と代替物語の構築

  • 「その問題があまり影響しなかった時期や場面はありましたか?」
  • 「それを可能にしたものは何だったのでしょう?」
  • そこから新たなストーリーを組み立て、クライエントの価値や希望を再確認します。

(4)文書化(レター、証人の利用)

  • 面接後にセラピストがレター(手紙)を書き、セッション内容を言語化し保存します。
  • 第三者(リフレクティングチームや家族、友人)を巻き込み、クライエントの新たな物語を承認してもらうこともあります。

5. ナラティヴ・アプローチの臨床例

(例1:自分を「ダメな親」だと思い込んでいた母親)

ある母親は、子育てにおいて「私はいつも失敗ばかりして、子どもをちゃんと育てられないダメな親だ」という物語を強く抱えていました。

セラピーでは、外在化の質問を通じて「失敗感」という問題を対象化し、その影響や出現パターンを丁寧に探究しました。すると「子どもが楽しそうにしている時間も実はたくさんあった」「夫が支えてくれた瞬間も多かった」という別の視点が見つかりました。

これをもとに「私には困難な状況でも関係を大切にしようとする努力があった」という新たな物語が生まれ、母親は以前より柔らかく子どもに向き合えるようになりました。

(例2:うつ的な思考を繰り返す若者)

長年「自分には価値がない」という物語を抱えてきた若者は、セラピーの中で「それはどこからやってきたのか」「どんな時に強まるのか」を対話しました。

同時に、学校で小さな成功体験を語る中で、「価値がないはずなのに、人に頼られた自分」「感謝された自分」という事実が浮かびました。それを一緒に物語化し、具体的な言葉にすることで、新しい自己像が少しずつ築かれていきました。


6. ナラティヴ・アプローチの応用分野

  • 精神療法・カウンセリング(個人療法、家族療法)
  • 看護・医療現場(ナラティヴ・メディスン)
  • 教育(教師と生徒のストーリー探究)
  • 地域福祉(コミュニティの物語を掘り起こし再構築する)
  • 司法(修復的司法=リストレイティヴ・ジャスティス)

7. ナラティヴ・アプローチへの批判と課題

  • 問題の「外在化」ばかりが強調され、現実的な行動変容や症状軽減に直結しにくいケースもある。
  • 社会構造的な差別や貧困の問題を個人の物語だけで扱うには限界がある。
  • また、ナラティヴを構築する際、セラピストが望ましいストーリーへ誘導してしまうリスク(操作性)も指摘されます。

8. 終わりに

ナラティヴ・アプローチは、人生や問題を「語り」として捉え、その語りを探究し書き換えていくことで、人が自分自身や未来との関わり方を変える可能性を開きます。

そこには「人は物語る存在である」という深い人間理解があり、また「どの物語を生きるかは常に問い直すことができる」という希望が含まれています。

近年は、マインドフルネスや行動療法などと統合的に用いられることも増えています。閉塞した物語に光を当て、そこから新しい章を書き始める手伝いをする――それがナラティヴ・アプローチの最大の魅力といえるでしょう。


もしご希望があれば、ここからさらに

  • 面接での具体的な質問例集
  • ナラティヴ・メディスンとの関連
  • 主要な参考文献リスト
    などもお作りできます。いつでもお申し付けください。
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