4. うつ病における認知機能障害と治療の重複
うつ病における認知機能障害の特徴
うつ病における認知機能障害は、単なる「気分の落ち込み」にとどまらず、注意・集中力、作業記憶、遂行機能、処理速度といった高次認知機能の障害を含むことが多い。とくに反復性うつ病や大うつ病エピソードの重症例においては、これらの障害が顕著となり、社会的・職業的機能の低下の主因となる。
近年では、うつ病の「回復後」も認知機能障害が遷延することが知られており、これが再発のリスクや社会復帰困難の一因であると考えられている(Rock et al., 2014)。
統合失調症との重複と識別困難性
認知機能障害という点において、統合失調症との鑑別は必ずしも容易ではない。統合失調症では病前から認知機能障害が存在することが多く、障害の領域もより広範(エピソード記憶、視空間認知、言語流暢性など)に及ぶが、うつ病においても**「精神病性うつ病」や「双極性うつ病」では、統合失調症に類似した認知障害を呈することがある**。
加えて、うつ病に特有とされる「反すう傾向(rumination)」や「自責的思考」は、思考制御やワーキングメモリに悪影響を与えるとされ、統合失調症の思考障害とは異なるが、結果として類似の遂行機能障害をもたらすことがある。
治療反応性と神経認知の観点からの比較
薬物療法においても、両者にはいくつかの重複が存在する:
- **抗精神病薬(とくに第二世代)**は、うつ病の精神病症状に有効であるだけでなく、認知機能の改善効果を併せ持つとされる(例:クエチアピン、ルラシドンなど)。
- 一方で、うつ病の治療薬であるSSRIやSNRIも、認知機能改善に一定の効果を示すことが報告されている。とくにボルチオキセチン(vortioxetine)は、抗うつ作用と並行して注意・記憶・処理速度の改善作用があるとされ、「認知的うつ病(cognitive depression)」の治療薬として注目されている(McIntyre et al., 2016)。
このように、神経認知機能をターゲットとした治療戦略が、うつ病と統合失調症で部分的に重なることは、両者が完全に別個の疾患ではなく、共通の脳機能障害を共有している可能性を示唆している。
機能画像研究と脳内ネットワークの共通性
fMRIやPETなどの神経画像研究においても、**うつ病と統合失調症の間には共通の異常領域(例:前頭前野、帯状回、海馬、扁桃体)**が報告されている。特に「セントラル・エグゼクティブ・ネットワーク(CEN)」や「デフォルトモード・ネットワーク(DMN)」の異常は両疾患で認められ、うつ病では過活動(rumination)、統合失調症では不適切な抑制解除が指摘されている(Menon, 2011)。
このようなネットワークレベルでの機能障害が、認知機能や自己認識の障害に直結しているとする「脳内ネットワーク異常モデル」は、両者の連続性を示す神経基盤として近年注目されている。
リハビリテーションと治療の実際
認知リハビリテーションの手法(例:CRT, cognitive remediation therapy)は、統合失調症に加え、うつ病患者にも有効性が示され始めている。たとえば、注意や作業記憶への介入を通じて、再発予防や復職支援、生活機能の改善につながる可能性があり、臨床現場でも徐々に導入が進んでいる。
また、うつ病においてもメタ認知訓練(MCT)やCBT的アプローチと組み合わせた認知機能改善プログラムが開発されており、精神病レベルの障害ではなくとも、機能回復の促進に寄与する実践的手段としての位置づけが明確になりつつある。
結論:認知機能という共通の軸
うつ病と統合失調症は、症状学的には異なるものとされてきたが、認知機能障害という共通の「軸」に注目することで、両者の重なりと連続性が浮かび上がる。そしてこの観点は、診断の再考だけでなく、治療法の共有、予後予測、社会的支援の枠組みにも応用可能な臨床的価値を持つ。
参考文献(第4章)
- Rock, P. L., Roiser, J. P., Riedel, W. J., & Blackwell, A. D. (2014). Cognitive impairment in depression: a systematic review and meta-analysis. Psychological Medicine, 44(10), 2029–2040.
- McIntyre, R. S., et al. (2016). Cognitive effects of vortioxetine in patients with major depressive disorder: a systematic review and meta-analysis. The Lancet Psychiatry, 3(1), 20–28.
- Menon, V. (2011). Large-scale brain networks and psychopathology: a unifying triple network model. Trends in Cognitive Sciences, 15(10), 483–506.
- Harvey, P. D. (2014). Cognitive impairment in major depressive disorder: implications for functional recovery and treatment. The Journal of Clinical Psychiatry, 75(1), 20–24.
- 松下正明・高橋三郎編(2010)『DSM-IV-TR精神疾患の診断・統計マニュアル』医学書院
- 三村將(2022)『うつ病の認知機能障害』医学書院