■“正しさ”の中で苦しんでいる
自殺対策のメッセージは、本来、最も追い込まれている人に届く前提で設計されるべきものです。
「命を大事にしなさい」「あなたは支えられているのだから生きるべきだ」という言葉は、“正しさ”として受け取られます。
しかし、自殺に至る人の多くは、まさにその“正しさ”の中で苦しんでいます。
繰り返し目にするのは、次のような言葉です。
「長い話に付き合ってもらってごめんなさい」
「自分は恵まれているのに、死にたいと思ってしまう。こんな自分は生きる価値がないと思う」
これらに共通しているのは、苦しさそのものだけでなく、苦しんでいる自分を責めていることです。
本来であれば助けを求めていいはずの場面でさえ、「申し訳なさ」や「自己否定」が先に立ってしまう。
また、「自分は恵まれている」と語る子どもであっても、その背景には、虐待と呼ばれるような環境や、子どもが強く追い込まれる状況が存在していることがたびたびあります。
にもかかわらず、「親には感謝しなければいけない」「育ててもらっているのに、死にたいと思ってしまう自分はおかしい」と考え、自分をさらに追い詰めてしまっている。
子どもたちの言う「恵まれている」という言葉は、必ずしも実態を表しているわけではなく、“そう思わなければいけない”という内面化された価値観であることも少なくありません。
■生き延びるための自傷からの連続性
だからこそ、「多くの人に支えられている」「つながりの中にある」といった言葉をそのまま受け取ることで、かえって「それでも苦しい自分は間違っている」「こんな自分は生きる価値がない」という感覚を強めてしまうことがあります。
なぜ、私たちは「命を大切に」という趣旨の言葉をかけないのか。一つ目の理由は、薬の過剰摂取や、体を傷つけたりする自傷行為は「死にたいからする行為」だと思われがちですが、実際はむしろ逆だからです。
自傷は、耐えきれない感情を少しでも外に逃がすため、パニックや絶望感を一時的に落ち着かせるため、自分が壊れてしまわないようにするために行われることが多く、生き延びるための行為として選ばれているケースが少なくありません。「これをやらないと耐えられない」という切迫した状況の中で、自傷が“最後の手段”になっていることもあります。
ただし、その延長線上で自殺リスクが高まることも事実です。
同じ行為を繰り返す中で感覚が麻痺(まひ)していくことや、行為がエスカレートしていくことがあります。結果として、意図せず致死的な状態に至ってしまうこともあります。つまり、生きようと必死に踏みとどまってきたにもかかわらず、それでも耐えきれずに自殺に至るケースは少なくないのです。
自傷と自殺は切り離されたものではなく、「生きようとする過程の中で起きている連続した現象」でもあるのです。
もう一つ重要なのは、「関係性」です。
虐待やいじめなど、親しい関係の中で深く傷ついている人にとって、「あなたは一人ではない」という言葉は、別の問いを突きつけることがあります。


