予測処理理論と実存主義精神医学の接続

予測処理理論と実存主義精神医学の接続

——Binswangerの「世界内存在の変容」を計算論的に読み直す


序論:二つの言語、一つの事態

二十世紀の精神医学は、大きく二つの流れを持っていた。

一方には、Kraepelin以来の記述的・分類的精神医学があり、症状を観察・分類し、疾患単位を確立しようとした。この流れは現代のDSMへと続く。

他方には、フッサールの現象学とハイデガーの存在論を基盤とした実存主義精神医学(Daseinsanalyse)があった。Ludwig Binswanger(1881–1966)はその代表者であり、精神疾患を「症状の集まり」としてではなく、「患者が世界とどのように関わっているか」という構造の変容として捉えようとした。

二十一世紀に登場したKarl Fristonの能動的推論・変分自由エネルギー理論は、脳と行動の計算論的モデルとして精神病理を記述する。その言語は数式であり、その単位はprecision、予測誤差、自由エネルギーである。

一見まったく異なるこの二つの枠組みは、しかし、同一の事態を異なる語彙で語っているのではないか——これが本稿の中心的な問いである。


第一部:Binswangerの枠組みの再構成

1-1. Daseinsanalyseの出発点:ハイデガーからの継承

Binswangerの精神医学は、ハイデガーの『存在と時間』(1927)における二つの根本概念を臨床の場に持ち込むことから始まる。

In-der-Welt-sein(世界内存在)

人間は、まず「内的な主観」として存在し、そこから外部世界へと向かうのではない。人間はそもそも、最初から世界の中に投げ込まれた存在(被投性、Geworfenheit)として存在する。「私」と「世界」は分離した二項ではなく、最初から一体として与えられている。

Existenz(実存)としての開かれ

人間の存在は、固定した本質を持つ「物」ではなく、つねに可能性へと向かって開かれている。ハイデガーはこれを「存在の開示性(Erschlossenheit)」と呼ぶ。世界が「意味の場」として与えられるのは、この開かれがあるからである。

Binswangerはこれを精神医学に転用し、こう問う:

精神疾患とは、この「世界への開かれ」がどのように変容した状態であるか?


1-2. Weltanschauung(世界様式)の概念

Binswangerは、各人が世界と関わる独自のあり方を**Weltanschauung(世界様式)あるいはWeltentwurf(世界企投)**と呼んだ。

これは単純な「世界観」ではない。意識的に選ばれた信念体系でもない。それは、ある人が世界を経験するそもそもの構造——何が前景に浮かび上がり、何が背景に退くか、何が脅威として現れ、何が安全として現れるか——という、経験の先構造的な枠組みである。

健常な状態では、この世界様式は柔軟であり、複数の可能性に開かれ、他者との共有が可能(Mitdasein、共同存在)である。

精神疾患においては、この世界様式が固定し、硬直し、単一の様式が全体を支配するようになる


1-3. 妄想における世界様式の変容:「脅威の地平」の固定

Binswangerが被害妄想的な患者を記述するとき、彼が注目するのは「妄想内容の真偽」ではない。彼が記述するのは:

患者の世界において、すべての存在者がどのように現れるようになったか

である。

被害妄想の患者の世界においては:

  • 他者の視線はつねに「監視」として現れる
  • 他者の言葉はつねに「暗号」か「罠」として現れる
  • 偶然の出来事はつねに「仕組まれたもの」として現れる
  • 空間そのものが「逃げ場のない囲い」として現れる

これはいくつかの信念の誤りではない。世界の現れ方そのものの変容である。Binswangerはこれを「世界の開かれの収縮(Einengung des Weltoffenheit)」と呼ぶ。

世界がかつては多様な意味の可能性を持つ場として現れていたのが、単一の脅威の構造だけが全体を覆う場へと変容する。これが妄想の現象学的本質である。


1-4. 時間性の変容:未来の閉塞

ハイデガーにおいて、実存の根本構造は**時間性(Zeitlichkeit)**である。人間は過去から投げられ、現在において他者と共にあり、未来へと向かって可能性を企投する存在である。

Binswangerは、精神疾患における時間経験の変容を精緻に記述した。

うつ病においては、未来が完全に閉塞する。可能性の地平が消え、あらゆる将来が灰色の壁として現れる。これは「気分が悪い」という主観的状態ではなく、時間の存在論的構造そのものの変容である。

被害妄想においては、また別の時間変容が起きる。未来は閉塞するのではなく、「脅威の到来」として先取りされる。患者は常に「これから何かされる」という未来予期の中に生きている。現在はその脅威への準備として組織化され、過去はすべてその脅威の証拠として再解釈される。

時間が「開かれた可能性の地平」から**「脅威の到来を待つ時間」**へと変容する——これがBinswanger的な妄想の時間論である。


第二部:予測処理理論との接続

2-1. 「世界様式」と「生成モデル」の対応

ここで、両者の語彙の対応関係を確立する。

BinswangerのWeltentwurf(世界企投)、すなわち世界の先構造的な現れ方の枠組みは、予測処理理論における**生成モデル(generative model)**に対応する。

生成モデルとは、脳が世界について持つ「仮説の体系」である。感覚入力がどのように生成されるかについての内的モデルであり、これによってあらゆる知覚と行動が方向付けられる。

両者は同一の機能を記述している:

Binswanger(現象学)Friston(計算論)
Weltentwurf(世界企投)生成モデル(generative model)
世界の開かれ(Weltoffenheit)モデルの柔軟性・更新可能性
世界の現れ方(Erscheinung)予測(top-down prediction)
驚き・不安・驚愕予測誤差(prediction error)
世界様式の固定Priorのprecision過剰上昇による更新停止
世界の閉塞自由エネルギー汎関数の縮退

2-2. 「世界への開かれ」と「予測誤差の更新可能性」

Binswangerにとって、健全な実存の条件は**Weltoffenheit(世界への開かれ)**である。これは世界が驚きをもたらし得る、予期せぬ他者の言葉が自分を変え得る、という可能性への開放性である。

予測処理理論において、これは何に対応するか。

健全な生成モデルとは、予測誤差を適切に受け取り、モデルを柔軟に更新できるシステムである。感覚入力のprecisionと上位priorのprecisionが適切にバランスされ、外界からの情報がモデルを変化させ続ける。

「世界への開かれ」とは、予測誤差が上方に伝播し、生成モデルを更新し続ける回路が開いていることである。

逆に、Binswangerが「世界の閉塞」と呼ぶ状態は、計算論的には:

$$\Pi_z \rightarrow \infty \quad \Rightarrow \quad \dot{\mu}_z \rightarrow 0$$

すなわち上位priorのprecisionが無限大に近づき、内部状態がいかなる感覚誤差によっても更新されなくなる状態として定式化される。

これは数式であると同時に、Binswangerが語った「閉塞した実存」の形式化である。


2-3. 「Mitdasein(共同存在)」と「社会的生成モデル」

ハイデガー=Binswangerの枠組みにおいて、**Mitdasein(共同存在)**は実存の根本構造である。「私」は孤立した個ではなく、そもそも他者との共存において世界を開示する存在である。

これは単なる「他者と一緒にいる」という事実ではない。他者の視線、他者の言葉、他者との共鳴が、世界の意味を共同で構成しているという、より根本的な主張である。

予測処理理論において、これは**社会的生成モデル(social generative model)**の問題として定式化できる。

他者の行動を予測するモデルは、単一の感覚モダリティのモデルとは異なり、他者の内的状態(意図・感情・信念)についての階層的モデルである。これはいわゆる**心の理論(Theory of Mind)**の計算論的基盤であり、近年の予測処理理論はこの領域に積極的に展開している。

被害妄想においては、この社会的生成モデルが特定のprior(「他者は敵意を持つ」)に固定され、他者の行動すべてがそのモデルを通じてのみ解釈されるようになる。

Mitdaseinnの崩壊とは、社会的生成モデルが「共有可能な他者理解」から「閉じた被害的解釈体系」へと変容することである。

Binswangerはこの変容を「他者との共存の様式の変容」として記述した。予測処理理論はそれを「社会的priorのprecision異常による更新不全」として定式化する。


2-4. 時間性の変容と「時間的深度を持つ生成モデル」

Binswangerが記述した時間性の変容——「脅威の到来として先取りされた未来」——は、予測処理理論の時間的拡張において特に明示的に対応関係を持つ。

Fristonの**generalized filtering(一般化フィルタリング)**では、生成モデルは現在の状態だけでなく、時間的な軌跡(trajectory)全体についての予測を含む。モデルは「今、何が起きているか」だけでなく、「この先、どのように展開するか」についての予測を常に生成している。

これを定式化すると、状態は時間的に拡張された変数 $\tilde{x} = (x, x’, x”, \ldots)$(状態とその高次時間微分の系列)として表され、モデルはこの全体についての予測を持つ。

被害妄想においては、この時間的予測モデルが「脅威は必ずやって来る」というpriorに支配されている。未来の時間的軌跡が、脅威の到来として先取りされている。

Binswanger(時間論)Friston(計算論)
開かれた未来への企投時間的軌跡の柔軟な予測
脅威の到来として先取りされた未来脅威的軌跡への固定されたprior
現在の脅威への準備として組織化行動が予測される脅威的軌跡に沿って選択される
過去の証拠としての再解釈感覚誤差の事後的吸収・同化

2-5. 「身体性(Leiblichkeit)」の問題

Binswangerはまた、精神疾患における身体経験の変容を記述した。健全な実存において、身体は「使われる道具」でも「観察される対象」でもなく、**世界へと透明に向かう媒体(Leib)**である。

歩くとき、足を意識しない。言葉を話すとき、口の動きを計算しない。身体は「透明に」世界へと向かっている。

被害妄想においては、この透明性が失われる。身体が「見られている」対象として意識化され、自分の動作・表情・視線が常に他者に監視されているものとして経験される。身体が「透明な媒体」から「曝露された表面」へと変容する。

予測処理理論において、これは**身体状態についての予測モデル(interoceptive/proprioceptive model)**の変容として記述できる。

健全な状態では、身体の感覚入力(固有感覚・内受容感覚)は上位のpriorによって予測され、予測誤差は小さく保たれる(身体は透明に機能する)。

被害妄想においては、「他者に監視されている」というpriorが身体の固有感覚的処理にも影響し、身体の動作すべてが「他者の視線にさらされたもの」として処理される。これは自意識過剰や関係念慮の計算論的基盤とも接続する。


第三部:接続の限界と残余問題

3-1. 「意味」は計算に還元されるか

両者の接続には、しかし、解消されない溝がある。

Binswangerの関心は、最終的には**「意味(Sinn)」**にある。患者がどのような意味の世界に住んでいるか、その世界においてどのような苦しみを生きているか——これが現象学的精神医学の問いである。

予測処理理論は、なぜ特定のpriorが形成されるかどのようにprecisionが決定されるかについては、計算論的に精緻な記述を与える。しかし、その世界が当人にとってどのように感じられるか——苦しみの質感、恐怖の肌触り、妄想の世界に生きることの内側——は、計算論的記述の外にある。

これはいわゆるクオリアの問題であり、あるいは現象学が「志向性の内在的構造」と呼ぶ問題である。$\Pi_z \rightarrow \infty$ という式は、世界が閉塞する「仕組み」を記述するが、閉塞した世界に生きることがどのようなことかを記述しない。


3-2. 「自由」と「決定論」の問題

Binswanger的な実存主義精神医学は、どれほど重篤な精神疾患においても、実存の自由の残余を手放さない。患者は病に縛られながらも、何らかの意味で「自分の存在様式を引き受ける」主体である。

これは治療的楽観主義の根拠でもあり、患者の尊厳の根拠でもある。

予測処理理論は、この「自由」をどこに置くか。能動的推論の枠組みにおいては、行動は自由エネルギーを最小化するよう決定論的に選択される。「自由」は、少なくとも素朴な意味では、この枠組みには居場所がない。

ただし、Fristonの枠組みでは、生成モデルの階層的上位レベルが「目標」や「価値」を表現する。どのような未来状態を「あり得る状態」として期待するか(これをFristonは「先好(prior preferences)」と呼ぶ)——この設定が、ある意味での「自由」あるいは「主体性」の計算論的残響である。

しかし、これで実存主義的な「自由」が救済されるかは、依然として未解決である。


3-3. 「他者」の非対称性

Binswangerにおいて、**他者(Mitdasein)**は単なる情報源ではない。他者との出会い(Begegnung)は、自己を根本から変容させ得るものとして、非対称な力を持つ。

これは、予測処理理論における「社会的生成モデル」の枠組みでは捉えにくい。予測処理理論においては、他者もまた感覚入力の源泉として処理される——その入力が、自分の生成モデルによって予測・解釈される。他者は、ある意味でモデルの「検証対象」として扱われる。

しかし、Binswanger的な出会いにおいては、**他者は自分のモデルを根本から揺るがす「外からの呼びかけ(Anrede)」**である。これはレヴィナス的な「他者の他性(altérité)」の問題とも接続する。

この非対称性、この「真の他者性」が、予測処理理論の中にどのように位置づけられるかは、両者の接続における最も重要な残余問題の一つである。


結論:二つの言語は何を照らし合うか

冒頭の問いに戻る。二つの枠組みは「同一の事態を異なる語彙で語っている」のか。

答えは、部分的にはYes、部分的にはNoである。

Yesである部分:妄想的確証循環のメカニズム——priorが感覚誤差を吸収し、行動が環境を変形し、更新が停止するという構造——は、現象学的記述と計算論的記述が見事に対応する。「世界の閉塞」と「$\Pi_z \rightarrow \infty$」は、異なる語彙で同じ事態の異なる側面を照らしている。

Noである部分:計算論的記述は「仕組み」を与えるが、「意味」を与えない。現象学的記述は「意味の構造」を与えるが、「メカニズム」を特定しない。両者は相補的であり、一方が他方に還元されるわけではない。

この相補性こそが、両者を接続することの意義である。

計算論的枠組みは、治療の論理を与える。どこに介入すれば、どのようなメカニズムで変化が起きるかを、原理的に記述できる。

現象学的枠組みは、治療の目標を与える。何のために介入するのか——それは、閉塞した世界から、世界への開かれを取り戻すことである、と。

Binswangerが問い、Fristonが計算し、臨床家が実践する——その三者の円環の中に、精神医学の最も深い問いが宿っている。


附記:この接続をさらに展開するとすれば、メルロ=ポンティの身体論(Leiblichkeit)と予測処理理論における内受容感覚モデルとの接続、あるいはサルトルの「対自存在(pour-soi)」における否定性と予測誤差の構造的類比、そしてハイデガーの「不安(Angst)」——特定の対象を持たない根源的な気分——を、感覚入力のprecisionが全般的に崩壊した状態(aberrant salienceの現象学的等価物)として読み直す試みが、次の課題として浮かび上がる。

タイトルとURLをコピーしました